81 愛し子なんかじゃない
「まさか詐欺だと訴えられるとは。本当に面白い子ですね」
エミリーが、クスクスとエミリーらしくない笑い方をして、エミリーらしくないことを言っている。
「どうしちゃったの、エミリー?」
「エミリーさん?」
その場にいた者たちの視線が集まった途端に、エミリーから余裕のある笑みが引っ込んだ。
「ふ、ふええええええっ、えっ? あれっ、勝手に手と口が動いたでございますです……ええ。そうです、エミリー。少し貴女の体を借りますよ」
あわあわと手足を動かしたかと思うと、また表情ががらりと変わる。
「これでやっと話せますね、愛し子よ」
『愛し子』という呼び方に、イザベラははっとした。その呼び方は何度か聞いた。やり直す前と、エミリーが死にそうになって祈った時だ。
「まさか、神?」
「ええ、そう呼ばれています……ええええええっ!?」
厳かに告げてから、エミリーが目と口をこれ以上ないくらいに開いた。一人芝居みたいだ。
「役立たずの神が! 死ね!」
「きゃあああ」
巨大ムカデが体をくねらせ、エミリーに向かってきた。
ギャリィイィィ! ムカデの毒牙が空中で何かに衝突。火花を散らし、ムカデの突進が一瞬止まった。見えない壁に張り付いた巨大ムカデが、毒々しい赤の足を口惜しそうに蠢かせた。
別のモンスターの攻撃も、やはり見えない壁に阻まれる。
ザザザ……こんなもの無駄だ……ザザッ
ザ……神がこの程度の結界しか張れぬとは……ザザザザアア
ザザァ……子供だましの結界などすぐに破ってやる……ザァ
ザァァアア……死を先延ばしにしただけだ。皆死ぬ。死ぬ。死ね。死ね死ね死ね死ねェ……ザザザァアアアッ
ノイズと呪いの言葉を吐き出しながら、壁を破ろうと攻撃を始めた。
「ひぇぇええぇぇ」
ぺたん、とエミリーが床に尻を着けた。腰が抜けてしまったらしい。へにゃりと眉を垂らし、今にも泣き出しそうだった顔が、すっと引き締まった。
「長くはもちませんが、しばらくは大丈夫でしょう」
「長くもたないって、あの壁みたいなやつが?」
「結界です。壁のようなものと思ってもらって構いません」
「どれくらいもつのでしょうか」
剣を構え結界の外を睨んだエヴァンが尋ねた。
「数分というところでしょうね」
「数分! 冗談じゃないわ」
イザベラはずいっと神に詰め寄った。
「神! 数分の結界なんていいから、この状況をなんとかして」
「いいえ。なんとかするのは神ではありません。あなた方人間です」
落ち着き払った言い草にイラッときた。
「はあ? じゃあ何しに出てきたのよ! この役立たず!」
鼻が触れるほどの至近距離で吠えれば、神の表情がエミリーに戻った。
「それは……ちょっ、ちょっとお嬢様!! 神様に対して失礼でございますですよ」
「失礼もなにもないわよ。神だからなんなのよ! 何もしてくれない神様なんて、詐欺師でしかないじゃない」
両手でエミリーの手を包み込んだ。エミリーの瞳に目線を真っ直ぐ合わせる。
「エミリー、貴女モンスターにやられて死にかけたのよ。神が貴女の中にいたのたら、どうして死にかけたの。どうして助けてくれなかったの。死ぬような目にあう前に助けてくれたらいいじゃない。痛くて苦しい思いなんてさせないで」
前半はエミリーに。後半は中にいる神に向けていた。
神なんて嫌いだ。試練なんて与えないで、最初からみんな幸せにしてくれたらいいのに。
エミリーの普段は晴れ渡った空色の瞳が、硝子のように透明になる。見透かしているような、それでいてイザベラを見ていないような、無機質な瞳。超越して、遠くから眺める神の瞳を射抜くように睨む。いっそ貫いてやりたい。
「神って何でも出来るんでしょう? 今のこの状況だって。神だったらなんとでも出来たし、出来るでしょ!」
神なら出来たはずだ。前のイザベラが死なない様に。モンスターが現れない様に。ジェームスとアメリアが黒い影に飲まれてしまわないようにも。
「いいえ。神は直接世界に干渉出来ません。すれば世界を壊してしまうからです」
神がゆっくりと首を横に振った。
「この結界も、私が張ったものではありません。私は聖女を通して力をふるっているに過ぎないのです愛し子。結界は貴女が張ったものです。誰も死なせないという祈りで」
視線がイザベラの後ろに向き、また戻る。イザベラは透明度が高すぎて、底の見えない瞳を見ながら、口を開いた。
「神が世界に干渉できないのは分かった。納得はしてないけど、いいわ。神になんて期待しないから」
神がそんなに都合のいいものじゃないことは知っている。所詮、神には人間の苦しみなど理解できやしない。小さな人間一人一人の祈りを聞き届け、願いを叶えてくれる筈がないのだ。
だから今ここで神への文句を言っても仕方がない。時間の無駄だ。
「この結界は私が祈って張ったものなのね?」
「ええ」
「セスが勝ちますようにって祈れば、勝つの?」
「勝つ可能性を上げることは出来ますが、それはすでにやっています」
聖女の祈りは身体能力向上、武器の威力を高める。三人を相手に戦っているセスの動きは、遠目からでも攻撃が見えないほどだった。
「じゃあどうしたらいいの! 結界がもっている間に、セスがアメリアとジェームスを殺すしかないっていうの!?」
「愛し子」
目を細めた神が、エミリーの手でイザベラの頬に触れた。
「私は愛し子なんかじゃない」
イザベラは神の手を払いのけ、神から距離を取った。
この状況をなんとかしてくれるわけでも、助けてくれるわけでもないのに、優しい手つきで、本当に愛しそうに触れないでほしい。呼ばないでほしい。
イザベラも麗子も、神に愛されるような人間じゃなかった。愛されていた記憶もない。愛し子なんて呼ばれる者じゃない。
「どうして私が愛し子なの。私はイザベラ。誰にも愛されず、疎まれて、憎まれて死ぬ悪役令嬢よ。聖女はアメリアでしょう」
ローズコネクトではそうだった。アメリアが聖女でジェームスは勇者。イザベラはただの悪役令嬢。セスだってイザベラの護衛騎士でしかなかった。
「貴女は紛れもなく愛し子ですよ、イザベラ。貴女ほどの美しい魂はありません」
「は?」
どこがだ。何人もの男を騙した麗子の。アメリアを妬んで陥れようとしたイザベラの、どこが美しい魂なのか。
「愛し子。過去の話をしましょう。かつて魔王を倒した勇者と聖女の話を」
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