80 願いの行方
とにかく、セスに加護を与えられた。イザベラはよし、と拳を握った。
「まずは第一関門は突破ね」
次にやるのは、まずアメリアを倒すこと。それで魔王の眷属が滅びなければ、ジェームスを倒す。それで終わりのはず。
でも。
イザベラは爪を噛んだ。
それではアメリアが魔王であってもなくても、死んでしまう。
アメリアを死なせたくない。それはジェームスだって同じだ。
はっきり言ってジェームスのことは好きじゃない。外側だけ甘ったるくて、中身は傲慢で、冷たくて、孤独で、愛がなくて。でもイザベラよりも先に愛を見つけた、憎い男。
婚約破棄をして奴隷落ちさせてくれるわ、今だって敵となって立ちはだかるわ。
はっきり言うと、助けてあげたいと思える要素が一つもない。
だけど殺したいわけじゃない。
「それにセスがアメリアとジェームスを殺すなんて嫌だもの。セスを人殺しになんてさせないわ」
セス本人は覚悟を決めているのかもしれないが、駄目だ。イザベラがさせたくない。
だってセスは優しい。誰よりも優しい。命を懸けて地下室のイザベラを助けに来てくれた。麗子を庇ってくれた。黒い影に飲みこまれそうになった時、魂を削って魔王を滅ぼそうとした。
イザベラはエミリーに身を寄せた。
「ねぇ、エミリー。見える?」
目線をアメリアとジェームスに向けたまま問うと、エミリーが頷いた。
「はいです。見えますですよ。お二人とも弱いけどちゃんと光ってますです」
「良かった」
エミリーの答えにほっと息を吐く。エミリーの見える光というのが何なのかは分からないが、黒い影の反対なのではないかと思う。この場合、元の人間の心ではないだろうか。
「他の人は?」
エミリーがぐるっとあたりを見渡した。イザベラもエミリーの視線を追いかける。王や王妃を含め、皆黒い影に覆われている。もちろん、アメリアとジェームスもだ。イザベラからは真っ黒にしか見えない。
「ぼんやり光ってる人もいるですぅ」
ということは、皆まだ元に戻れる可能性があるのかもしれない。
「小娘。お前は一体何だ」
王と王妃が光る眼をエミリーに向けた。ひぇっとエミリーがイザベラにしがみつく。
「ただの聖女付きの侍女にございますよ」
ジェイダが太もものホルスターから拳銃を抜く。エヴァンも剣を抜いていた。
「ザザザ……もういい。芝居は終わりだ。何だろうと構わない。ザザッ聖女以外は殺せ……ザザザァアアアアァアッ」
王がそう言うと、次々と姿を変え始めた。骨だけになり果てるもの。体が縮むもの。虫になるもの。獣になるもの。腐り果てるもの。
酷いノイズが鼓膜を通り越して頭蓋に響く。周囲が暗く見えるほど黒い影が広がる。
「ひぃい」
真っ青になったトレバーが、ダイアナを抱えてその場に座り込んだ。トレバーは腰が抜け、ダイアナは気を失ったらしい。
「ど、どどど、どうしましょうです」
「どうしようもないわよ。お、落ち着きなさい」
出入り口はもちろん、周りは異形のモンスターに囲まれている。唯一、開けている場所ではセスとアメリア、ジェームスが戦っていた。
「ぅらぁあああ!」
セスがアメリアの爪を弾き、かいくぐって懐へ入る。剣と爪が消えて見えるほどの速度だ。大きく股を開いたセスの腰が回転する。回転の乗った剣がアメリアの腹に刺さるその前に、横からリアンの足が剣の腹を蹴った。
ボッ。蹴り上げた足が空気を切り裂く音が、遅れて届く。その間にアメリアはバックステップ。腕が上がったセスの胴が空く。それを狙うのは、ジェームスだ。地面を駆けるというよりも飛ぶように、セスに迫る。
「セス!」
腕を上げた恰好で、セスが後ろに体を倒した。ジェームスの剣が、倒れたセスの鼻先でひゅっと空気を切る。
危ない。
イザベラの背中に冷や汗が流れる。躱したけれど、地面に転がってしまったら恰好の的になってしまう。
焦るイザベラを他所に、セスは冷静だった。片手を剣から放して地面に着ける。着いた手を支点に蹴りを放った。
「ちぃっ」
剣と腕をクロスさせ、ジェームスがセスの蹴りを防御する。蹴りと同時に立ち上がったセスが、身を回す。アメリアの爪が通過。床を砕いた。
端から見ていても目まぐるしく展開される攻防だが、一方的だ。
攻撃しようとすれば、別の誰かが邪魔をする。別の誰かを捌けば、別の誰かがセスを攻撃する。
「あんなのアメリアとジェームスを倒すより先に、セスが殺されちゃう!」
三人を相手に攻撃どころじゃない。防戦一方だ。
「それより先に、お前たちが死ぬか、だな」
元は王だった巨大なムカデが、キチキチと甲殻を鳴らした。
「させません」
銃声。ムカデの体が小さく後退した。
ジェイダの構える銃口から硝煙が微かに立ち上る。
「そんな玩具は効かんな」
銃弾を受けたムカデは無傷だ。嗤うように触覚を揺らし、赤い脚が蠢く。ジェイダの眉間にしわが寄った。
「まず手足を切り落としてやろう。それから柔らかい腹を喰おうか」
「恐怖に染まった目玉をくりぬいてもいいなァ」
獣の歯からよだれが滴り落ち、骨がカラカラと音を立てた。
「お嬢様ぁ」
エミリーの目に涙が浮かんだ。
「大丈夫よ」
根拠も何もない言葉を吐いて、イザベラは両手を組んだ。まったく大丈夫じゃないけれど。ここで諦めたらそれこそ終わりだ。
「大丈夫だとよおおぉ! いつまでそう言ってられるかなぁあ!」
「いつまでもよ! だって大丈夫なんだから。誰も、絶対に死なせない!」
神様。
目を瞑って胸の前に組んだ両手を置き、イザベラは祈った。捧げるのは純粋で、真摯で、強欲な祈り。
ノイズが消えた。瞼の裏には何も映らない。恐怖も死にたくないという焦燥も失せ、祈りだけが残る。
奇跡は起きるものではなく、起こすもの。確率が低くても、起きる可能性がある事象なのだ。ただし、行動しなければ起きない。それが奇跡。
自分はいつも、そうやって奇跡を起こしてきた。
前のイザベラは祈りなど届かない。届いたことなどないと思っていた。
事実、麗子の時の祈りは届いたことがなかった。でもあれは、諦めていたから。そもそも本気で祈ってなどいなかった。暴力も愛されないことも日常で、当たり前で、喉から手が出るほど欲するものがなかった。裕助が麗子を庇って死んだ時でさえ、ただ空虚に支配されただけ。
裕助の行動の意味が分からなくて、彼に抱いていた自分の感情が分からなくて。黒い影に飲まれた。
今の自分は違う。
欲しいものは欲しい。絶対に手に入れる。諦めない。
皆が生きて、幸せになった世界が欲しい。どうしても欲しい。
だから死なせない。
エミリーも、ジェイダもエヴァンも。トレバーもダイアナも。
ジェームスとアメリアだって。
誰も死なせない。死なずに笑っている世界を手に入れる。
命を、魂をくれてやってもいい。自分の捧げられる、ありったけを捧げてもいい。
セス。
閉じた瞼の裏に、柔らかな銀色が光った。
神様。
やり直せるなら。次があるなら。次こそ。
次こそ、あなたが幸せになりますように、と。
やり直す前。そう祈って、必ずと答えた筈だ。
叶えなかったらいい加減、詐欺で訴えてやる。
「それは困りますね、愛し子」
笑いを含んだ女の声が鼓膜を震わせた。
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