おまけの番外編 言葉にはしない
コヤギ芽衣さまからFAを頂きました。
とても可愛らしくて素敵なFAに合わせ、ちょっと番外編です。
といっても、まだイザベラがセスへの気持ちを自覚する前なので、甘くないのですが。
イザベラが最悪の結末を迎え、リスタートするよりずっと前。クラーク学園に入学して間もない。我儘放題、悪役令嬢のイザベラであった頃。
ティーカップを口に運んだイザベラは、一口飲むなり顔をしかめた。
好みの濃さじゃない。蒸らしが足りない。
バシャン。
「不味い! よくこんなものを出せたわね!」
一秒後。侍女の顔目掛けてお茶をぶっかけた。
「も、申し訳ございません」
頭からびしょ濡れになった侍女が、床に手をついて謝る。それがまたイライラする。
もし謝らなくてもイラつく。謝ってもイラつく。何もかもが気に入らない。
だってこの侍女がこうやって謝っているのは、イザベラが怖いから。イザベラの機嫌を損ねたことで両親に怒られ、解雇されるのが嫌だから。
悪いと思っての事じゃない。
形だけの人間は信用出来ない。けれどイザベラの周りには形だけの人間だらけだった。
「もう。謝罪なんていいからさっさとそこを片付けて、出ていって! 目障りよ。やっぱりお前じゃ駄目ね。セスを呼んできて、セスを」
セスだけだ。失敗した時、本当に悪いと思って謝るのは。
「ですがお嬢様。旦那様がセスの同行を許されたのは、護衛騎士としてです。お嬢様はもう十二歳になられます。異性であるセスが、いつまでも身の回りのお世話をするのは……」
「はあ? お前、私に口答えするの? 何様のつもり!」
イザベラの声に、イラつきだけでなく怒気がこもる。
「申し訳ありません」
もう一度頭を下げた侍女が、慌ただしく部屋を出て行った。
パタンと扉が閉まる音がした後。静寂が部屋を満たす。
その静寂がイザベラの心を逆なでした。音のない空白を埋めるように怒りがとぐろを巻く。
「ああもう、ムカつく」
イザベラは側にあったクッションを、ぼすんと殴った。
こういう時はセスのお茶を飲むに限る。セスの淹れてくれたお茶の香りを胸いっぱいに吸い込んで、しようがないですねという声を聞けば、鬱々とした怒りも柔らかくなだめられる。
それで無理なら、怒りをぶつけてしまうのもいいかもしれない。セスなら受け止めるし、イザベラの元を去ったりしない。
なんてことを考えながら待つ。
数秒。一分。2分。
「遅いっ」
やけに遅い。
「何やってるのよ、セスのバカ!」
しびれを切らしたイザベラは部屋から出た。
部屋の外は学園の廊下だ。ざっと目を走らせたが、セスの姿が見えない。セスの癖に。
また別の怒りを膨らませ、イザベラは隣の部屋に向かった。廊下に敷かれた毛足の長い絨毯を踏みしめるのに、音が立たないのが忌々しい。
「セス!」
隣の部屋。セスの部屋のドアを開けた。いない。
「どこ?」
侍女の姿も見えない。
この階はイザベラが貸し切っている。こんなことが出来るのは王族であるジェームス王子か自分くらいなもの。本来なら誇らしいそれが、心細さと不安の原因となってイザベラに押し寄せてきた。
一人は苦手だった。
ただ一人。誰もいない部屋で膝を抱えていなければならない時間が。誰かが帰ってきたらきたで、恐怖が待っているのに、それでも待たずにはいられない。その時間が、狂おしいくらいに嫌い。
「変なの」
イザベラは呟いた。別に一人だからといって、何が起こるわけじゃない。誰かを待っているわけじゃない。もし誰かが来たって、公爵令嬢の自分に恐怖を与える存在なんていない。そもそも膝を抱えて誰かを待ったことなんてなかったのに。
なのにどうしてこんなに。心をかきむしられるんだろう。
「もう、セスが悪いんだから」
早く側に来ないのが悪い。声を聞かせてくれないのがいけない。全部全部、セスが悪い。
廊下にいるイザベラの耳に、微かな声が届いた。
声がしてきた方は、侍女の部屋の方だ。セスの部屋とは反対の方向にある。
「もうダメ。酷い。もうお嬢様には付き合いきれないわ。こんなにびしょびしょにされて。それでも私は謝ったのに。お茶だって熱かったのよ」
すすり泣きと、囁くようなか細い女の声。さっきお茶をかけた侍女のものだろう。静かなお陰で、なんとか聞き取れた。
「火傷はしませんでしたか」
「したかもしれないわ」
心配そうなセスの声。
自分以外の女を心配するなんて!
カッと頭に血が上った。
セスはイザベラのものだ。イザベラのためにいて。イザベラのために生きていて。イザベラの命令だけを聞いて。イザベラだけを見ている。
「信じられないわ。あの性悪女。お茶が不味いだなんて難癖よ。私を苛めて喜んでるのよ。ほんと、歪んでる。あんな性格ブス。いくら見た目が良くたって、あれじゃ殿下もいつか愛想を尽かすわ」
余計なお世話よ。
つかつかと歩みを進め、ドアノブに手をかける。
「セスだって、お嬢様のお気に入りなのに振り回されてるじゃない。夜中でも呼びつけられて。あれしろこれしろってうるさいし。機嫌が悪かったらすぐ怒るし。我儘で偉そうで付き合いきれない。ねぇ。セスも本当はお嬢様のこと、嫌いなんでしょ」
そのまま勢いよくドアを開こうとして、イザベラはぴたりと動きを止めた。
嫌われたって構わない。イザベラは公爵令嬢。嫌われたって、皆従う。思い通りに命じられる。
だから嫌われたって平気だ。
「私はもうごめんよ。侍女を辞めるわ。セスは可哀想。拾われた孤児じゃ逃げられない、逆らえないわよね。同情するわ」
可哀想。
そんなの、当たり前だろう。拾った恩で縛っているだけなのだから、言われなくても分かっている。
なのに。心が痛い。
「思ってませんよ」
「……」
「もう行っていいですか。お嬢様が待ちくたびれていますから」
「あ、そう。お好きにどうぞ」
イザベラはそっとドアノブから手を離した。踵を返し、駆け足で部屋に戻る。大急ぎで部屋に飛び込み、ソファーに座った。
走ったから息が荒い。足をソファーの上に上げ、膝を抱えて丸くなった。
コンコン。
ノックが響く。返事をしないでいると、しばらくしてドアが開いた。
「失礼します」
「遅い!」
自身の膝に額をつけて、イザベラは怒鳴った。
こんな風に文句を言いたいんじゃないのに。
違う。遅いと怒るのは当たり前だ。イザベラはセスの主人。どんなに怒っても許されるのだから。
「お待たせして申し訳ありません。すぐ片付けてお茶を淹れ直しますね」
床を拭く気配がしてから、足音が移動する。お茶の注がれる微かな音の後、陶器が小さく奏でる。
「お待たせしました」
「もう要らない。下げて」
「……かしこまりました」
また陶器が鳴る。ティーカップが盆に戻され、セスの気配が遠ざかろうとする。
「ねえ、セス」
気配が背後で止まった。
「私に拾われて、後悔してる?」
「いいえ。俺はお嬢様に拾われて幸せです」
「……」
イザベラはゆっくり顔を上げた。セスは後ろにいるから、顔は見えない。
「やっぱり飲むわ。それ頂戴」
「はい」
ふわりと柔らかい返事と、再度置かれるティーカップ。漂う香り。ほんのりと立ち上る湯気。
ありがとう。ずっとずっと、側にいて。
言葉には絶対にしない気持ちは、お茶と一緒に胃の腑に沁み込んだ。
セスの淹れたお茶は、やっぱり美味しかった。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございます。
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一応悪役令嬢ものであるものの、かなり変則的でらしくない作品ですが、こうして読んで下さる読者の皆様がいることがとてもありがたく、励みになっています。
感謝です。
よいお年を!




