75 トレバーの憔悴
「……え?」
イザベラは、馬鹿みたいに口を開けた。隣のセスも、ポカンと口を開けたまま固まっている。
あのトレバーが。父が。
母と抱き合ってる……。
おかしい。夢でも見ているのだろうか。
イザベラは、目の前の光景を信じられなかった。
イザベラたちが王城に着くと、国王陛下を始めとした王族、家臣一同に出迎えられた。それだけでも異様なのに、国王は最初に降りたジェームスに礼を取った。
国王も、王妃も王子も、家臣たちも。侍女や衛兵さえ真っ黒だ。
はっきり言って、王都の住民の方がましだった。
そんな中でただ一人、影に塗りつぶされていなかったのが父トレバーで。トレバーに案内された控えの間に入った途端、外から鍵をかけられて閉じ込められた。案内してきたトレバーもだ。
控えの間には母ダイアナがいた。トレバーとダイアナは吸い寄せられるように近付くと、抱き合ったのだ。
イザベラとして生まれてこのかた、二人が抱き合っているところなど一度も見たことがない。それどころか、二人が一緒にいることさえ稀だったのに、一体これはどうしたことか。
「イザベラ」
トレバーの片手が上がる。指先が上下に振られ、手招きされた。
背中を向けているトレバーの表情は見えない。母もトレバーの背中にすっぽりと隠れている。
戸惑ってセスを見ると、彼もまた戸惑っているようで青い瞳が揺れていた。
正直、セスへの暴行を目にしてから、イザベラはトレバーが怖い。否。前世の記憶が蘇ってから、怖くなった。
トレバーは前世の父親のように、イザベラに暴力を振るうことはなかった。むしろベタベタに甘やかしていた。反面、使用人たちには容赦なく、セスが折檻されるのを何度も目撃していた。それをイザベラは仕方のないことだと思っていたのだ。
けれど前世を思い出し、殴られる痛みを思い出した。父親の恐怖も。
そうなると、どうしてもトレバーと前世の父親が重なる。
ぽん、と背中を叩かれる。振り向くとエミリーが握った両拳を軽く上下させた。声を出さないまま口が動く。
だ・い・じょう・ぶ。
それからにっこりと笑った。
そうよね、エミリー。大丈夫。大丈夫よ。
おそるおそる、イザベラはトレバーに近付いた。上げたままだったトレバーの手が、イザベラの肩を掴む。ぎゅっと抱き寄せられた。
体が強張る。現実にはない、怒鳴り声と煙草の臭いがする。
ダイアナとイザベラに覆いかぶさるようにして、二人を抱いているトレバーは無言だ。
おでこにトレバーの顎があたり、チクチクと無精髭が刺さった。痛い。
大きくて硬い体。体温。少し鼻につく加齢臭。
イザベラも麗子も、初めて父に抱きしめられた。
隣で同じように抱きしめられているダイアナも無言だった。
柔らかな体。温もり。品のある香水の匂い。
三人でただくっついている時間。これも初めてだ。
逃げ出したいような、でもずっとこうしていたいような。複雑な思いに囚われる。なんだか、むずむずとかゆい。
いつの間にか、怒鳴り声と煙草の臭いが消えていた。
「……お前たちまで奴らに乗っ取られなくてよかった」
トレバーの低い声がボソッと降ってきたと思ったら、抱擁が終わった。ダイアナとイザベラから離れ、ドカッとソファーに体を沈める。
「ああ、くそどもが!」
苛立たし気に吐き捨てたトレバーが、ふんぞり返って手足を組み、貧乏ゆすりを始めた。いつものトレバーの態度だった。
「随分とおやつれになりましたね、あなた」
「うるさい。余計なことは言うな。お前も同じだろう」
ダイアナをぎろりと睨んだトレバーだが、確かにやつれている。目の下にくまが出来ているし、髭もうっすらと生えている。身なりに気を遣っているトレバーらしくない。
母であるダイアナもまた、髪や肌にいつもほどの艶がなく、目が充血していた。
「お父様、お母様。一体、王都はどうなっているの。どうして閉じ込められたの」
トレバーの青い瞳がイザベラを映した。
「王城は奴らの手に落ちた。王太子殺害はお前たちをおびき寄せる餌だ」
トレバーが低く答える。ぐるる、と唸り声が聞こえそうだ。
「信じられないが、王も王妃も、王城にいる全ての者が奴らに乗っ取られた。どいつもこいつも中身は別人だ」
「奴らとは、何でございましょう」
「分からん! 人間ではない何かだ!」
質問してきたジェイダを怒鳴りつけてから、苛々とトレバーが王城での出来事を話し始めた。
剣術大会のあった夜、翼を生やしたアメリアとリアンがやってきたこと。
王も王妃も、王太子や他の王子も、その場にいた家臣も。全員が二人を当然のように迎え入れたこと。
王太子本人が、進んで殺されたこと。
「自分の命すら道具に出来るものが、人間であるわけがない。金、名声、権力、保身、色。自分のために動くのが人間だ」
なんともトレバーらしい理由で、人間ではないと判断したらしい。
「別邸にいた使用人たちも、半分以上が変わってしまったわ。トレバーは忙しくしていて、顔を合わせることもなくて。そうしたら王城から呼び出しがかかったのよ」
王都の別邸にいるダイアナも、異常を感じたのだと言う。
過労でトレバーが倒れたのだと呼び出され、この控えの間に監禁されたらしい。
「過労で倒れただと? は! 俺の状態をよく分かっているではないか!」
腕組みをしたトレバーが吐き捨てた。
「確かに過労だろうな。奴らが何なのか、連日調べていたのだからな。奴らの目を盗んでいたつもりだったが。こうやって監禁されたということは、筒抜けだったようだ。全く腹立たしい! この俺が奴らの思い通りに動かされたわ!」
バン、とトレバーの拳が机を叩く。
「駄犬! お前は勇者だそうだな。それは本当か」
「はい」
「はっはっは! 駄犬が勇者か! ははははは!」
片手で両目を塞ぎ、後ろにひっくり返りそうなほど天井を仰いだトレバーが大声で笑った。
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