73 別人だらけ
冗談じゃない。
王城に向かう馬車の中。トレバーは胸中で吐き捨てた。
声や表情には出さない。出せばどうなるか。考えたくもない。
馬車内にはトレバーの他に家令が一人。御者台に御者が一人。二人とも公爵家に長く使える使用人で、信頼に足る。しかし今のトレバーは彼らを信用しきれなかった。
王太子が殺害されてから三日が経った。今日はクラーク学園から向かっているイザベラたちが、ここ王都に到着する。到着予定時刻はまだだが、トレバーは前もって王城に詰め、ジェームス一行を除くイザベラたちを出迎えるつもりだ。
奴らに気付かれないよう、現状を伝えなくては。
魔具を使っての連絡は、痕跡を辿られる可能性があるから出来なかった。不自然に見えないように接触するには、城の者が対応する前にイザベラを捕まえるしかない。
学園で剣術大会が行われる日に合わせ、トレバーは領地を離れ王都の別邸に滞在していた。剣術大会の結果次第で、自身の動きと娘のイザベラの嫁ぎ先を決めるためだ。
世間一般で、王との謁見というと難しいように思われているが、そうではない。王の世話をする者、政治に関わる者はもちろんだが、毎日朝晩と話をする場がある。共に食事をしたり、ダンスを楽しんだり、時には立ち話すらする。
王に取り入る絶好の場であり、他の貴族たちとの交流と腹の探り合いの場なのだ。
セスが勝つか負けるかで王がジェームス王子の扱いをどうするのか、貴族連中はどう立ち回るのか。様子を見て、方針を決めるつもりだった。だったのだが。
そこで、王太子殺害の現場に立ち会ってしまった。
冗談じゃないぞ。どう立ち回るか、誰に嫁がせるか、なんて問題じゃない。
少し前まで頭の大部分を占めていた問題が、可愛らしく思える。
王太子の殺害。それ自体は大事ではあるが、歴史的にはありふれたものだ。
もしイザベラの婚約が順調に進んでいたなら、ジェームス王子を王にするため、王太子を失脚させるなり暗殺するなりトレバーも何かしら画策しただろうし、ジェームス王子本人も手を打っただろう。
しかしあんなに堂々と、公然でなされるとは。流石のトレバーも戦慄した。それも、やったのは魔王だ。
魔王。かつて人間を脅かしたという、おとぎ話の存在。
復活したことも驚きだが、実在したこと自体にトレバーは驚いていた。
くそ。こんなことなら、魔王に関する文献を漁っておくのだった。今そんなことをすれば、奴らの仲間でないことがバレてしまう。
王太子の胸に大穴を開けたアメリア。否、魔王。自ら命を差し出し、骨と皮になった王太子。笑って眺めていた王妃、王子。
あの場にいた諸侯も、王太子が殺されたというのに誰一人騒がなかった。それどころか予定調和であるかのように振る舞っていた。
別人だ。どいつもこいつも別人だ。
気弱で神経質だった王は死体に眉一つ動かさなかった。高慢でヒステリックな王妃は穏やかに笑っていた。穏健に見えて野心家だった第三王子は、王太子の死に喜びも悲しむふりもしなかった。
王太子派の宰相は怒りもしなかった。アメリアを聖女と認定していた大神官は魔王に呪いの言葉も吐かず、アメリアを聖女認定した落ち度を取り繕いもしなかった。
有り得ない事態に、トレバーは息を潜めてやり過ごすのがやっとだった。
元から王宮は私利私欲の巣窟だが。今は得体のしれない化け物どもの城となり果てている。
「旦那様。着きました」
「ご苦労」
馬車が静かに止まる。扉を開けた家令に一言かけて、下りる。トレバーのご苦労という上からの言葉で、家令の顔に浮かぶ明らかに不快そうな色を見て、ずしりと腹が重たくなった。
やはりこいつも別人か。
三日前からトレバーを苛んでいる疲労が、さらに増した。
この家令は従順で、おべっかとごますりにまみれている男だった。何を申し付けても表面上は笑い、無駄に褒めちぎる。裏では居丈高で、使用人たちをこき使うのが上手い。
決してあからさまな不快や不満をトレバーに見せるような男ではない。
王太子が殺害されて以来。見た目や記憶、知識は今までと変わらないが、性格が違う。趣味嗜好の類も変わっている。そんな人間が増えた。
彼らは変わっていない人間を、ゴミを見る目で眺める。それどころか、舌なめずりをすることさえある。
『魔王様に勝利を』
あの日に聞いた魔王の言葉が脳裏によみがえり、トレバーは体が震え出しそうになるのを堪えた。
殺された王太子は、殺されることにすら抵抗や躊躇もなかった。
仲間の死に、動揺も賞賛もなかった。
王を含め、城の官僚全てが一貫した目的で動いている。
トレバー自身があいつらと同じフリをして聞き出した情報から、王都の半数以上を占める変わってしまった人間たちも同じ目的だと思われた。
ただ魔王のために。世界を、人間を恐怖と絶望と闇に染めるために。
命すら考慮に入れず動く。
人間じゃない。
人間は、己のために行動するものだ。金。名声。保身。他人に愛情を注ぐのも、親切も全ては己の為に行う。
しかし奴らは違う。人間の皮をかぶった化け物だ。
一体どうなっているんだ。何が起こっている。誰がまともなんだ。いや、まともなやつはいないのか。
奴らはなぜ人間のフリをしている。何かを待っているのか。何を。
なぜ。
なぜ俺は正気なんだ。
トレバーはそっと手を伸ばし、内ポケットに入れていた懐中時計に触れる。誕生日にイザベラが贈ってくれたものだ。肌身離さず身に着けていて、緊張した時などに触れるのが癖になっていた。
いっそやつらと同じように別人になっていれば、恐怖も怒りもなかっただろうに。忌々しい。
叫び、怒鳴り散らしたい衝動を堪えて、トレバーは王城を進む。娘を出迎える為に。
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