69 偽物の聖女
どうして? 聖女の力を使ったのに。どうして治せないの?
アメリアは両手を組んだまま、ジェームスを見つめた。
ジェームスの苦痛に歪む表情。ぶらりと垂れたままの腕。明らかに治ってなんかいない。
痛そうで、こっちまで泣いてしまいそうだ。
ワーウルフに怪我をさせられたジェームスを助けたくて、神様に目覚めさせてもらったはずの、聖女の力を無我夢中で使った。
白い光が出たから使えたんだと思う。なのに、ちっとも治らない。
自分は聖女なのに。ヒロインなのに。ゲームだったらすぐ治ってたじゃない。ジェームス様だって、勇者でヒーローなんだよ。こんなのおかしいよ。どうして上手くいかないの?
そうだ。神様。前は神様に祈ってもらったんだった。ねぇ、神様。なんとかしてよ。また私、前みたいに寝てるから。
しん。
神様? 神様ったら!
アメリアは焦った。
いつもなら答えてくれる神様の声が聞こえない。
ゆっくりとジェームスがこっちを見た。目が合う。アメリアはぎゅっと組んだ両手に力を入れた。
ジェームスがあんなに辛そうなのに。自分に助けを求めているのに。どうして。神様は何をやっているの。
「アメリア」
イザベラ様?
アメリアの名を呼んだのは、聞きたかった神様の声じゃなく、イザベラだった。
制服でもなく、以前よく着ていたドレスでもなく。生地こそ上等だけど、ブラウスとスカートという貴族令嬢にしては質素な衣服を翻し、こっちに手を伸ばしてくる。あっと思う間もなく、腕を掴まれた。
途端に、今までとはくらべものにならない力が溢れだした。真っ白い光で何も見えなくなる。
――ザザッ……ああ、あれこそ聖女の力――
え?
やっと聞こえた神様の言葉が信じられなくて、アメリアは思考と動きを止めた。
何言ってるの、神様……?
聞き間違いかな。きっとそう。だって神様の声、変な雑音が入っててなんだか聞き取りづらいし。
ジェームスが立ち上がった。ぶらぶらとたれていた腕はすっかり元通り。怪我も治ったらしい。
重そうな足取りで、ジェームスがワーウルフに近づいていく。ワーウルフと戦っていたセスが、弾かれたようにジェームスを避けた。
その横を悠然とすり抜けて、ジェームスが剣を振り上げた。
無造作に振り下ろす。
ジェームスの剣がワーウルフに吸い込まれ、あっさりと消滅した。ワーウルフを包んでいたおどろおどろしい光も消える。
「やった!」
アメリアは嬉しくて飛び跳ねた。
良かった。ワーウルフを倒せて。
安心したアメリアは、ほっと胸を撫で下ろした。
怪我を治せなかった時はどうなることかと思ったけど、結果オーライ。当然よね。ジェームス様はヒーローで、私はヒロインだもの。
ああそれにしても、格好いい。ジェームス様はやっぱり勇者様。私のヒーロー。
ジェームスが歩いてくる。
「ジェームス様」
アメリアは感極まって瞳を潤ませた。
ああ、ジェームス様。私の王子様。私を抱きしめてくれるのね。
ゲームのスチルにもあった。モンスターを倒した後の、勇者と聖女の抱擁。あのシーンだわ。なんて素敵なの。
近づいてくるジェームスを準備万端で待つ。
スッ。
ジェームスがそんなアメリアの横をすり抜けた。
え。どうして。
「ジェ、ジェームス様?」
振り向いた先には、地面にへたりこんでいるイザベラの前に立つジェームス。
「ね、ねえ、ジェームス様」
どうしたのだろう。ジェームス様が自分を無視するなんて。
わけが分からないまま、アメリアは二人のそばに寄った。
「イザベラ、君が」
「殿下?」
ぼんやりとしたイザベラが、ジェームスを見上げた。
ジェームスが微笑んでいる。いつもアメリアに向けてくれる甘い笑みを、イザベラに向けている。
「君が本当の聖女だったんだね」
「へ?」
イザベラがぽかんと口を開けた。アメリアも同じだった。
「な……何を言ってるの。ジェームス様。聖女は私ですよ」
甘くとろけるような笑みを消して、ジェームスがアメリアを見た。見たこともないような冷たい目で。
「アメリア。君にはすっかり騙されたよ」
騙した? 私が? ジェームス様は何を言ってるの。
わなわなと唇が震えた。言いたいことはいっぱいあるのに、言葉が口から出てこない。
うそ。こんなの嘘よ。ジェームス様が私に冷たいだなんて。だって彼は私のヒーローで、私はヒロインなんだよ。
――ザ……ザザザザッ……嘘ではない。イザベラは紛れもなく聖女の力を使った。アメリア。なぜイザベラが聖女の力を持っていると思う? 答えは簡単。君から奪ったのだ――
イザベラ様が……奪った……?
――忘れたのか? イザベラは悪役令嬢。ヒロインの邪魔者だザザザッ――
そうだった。そうだったけど。
だってイザベラはゲームよりいい人で、友達、……ザザザッ……で。
指先が、手足が、頭が、心がどんどん凍っていく。
冷たくしびれてしまって、うまく働かない。
「殿下、違います。聖女はアメリアです」
イザベラがよろめきながら、立ち上がった。イザベラの護衛騎士がふらつく彼女を支える。
ほら、神様。イザベラ様は私を庇ってくれてるよ。
――ああ、私の聖女は汚れを知らない。あれは全部演技だ。イザベラはいい人のふりをして、裏切るタイミングをはかっていただけ――
「ああ、イザベラ。今まですまなかった、僕の聖女。僕はどうかしてたんだ」
ジェームス様! やめて。私以外にそんな顔しないで。
――ザザッほら。あんな風に。善良そうな顔をして、君のヒーローをたぶらかしている。でなければジェームスが君にこんな仕打ちをするわけがないだろう? あの悪女が彼を操っているのだ……ザザザァ――
駄目。許さない。ジェームス様は私のヒーローよ。私はヒロインなの。あんな風にジェームス様の笑顔を向けられるのは私だけ。あそこは私の場所よ。
「聖女を騙る偽物。君の顔など二度と見たくない」
ジェームス様の蔑むような顔。こんな醜い顔をするなんて。
――ザザザ……可哀想に。君の勇者は悪女にたぶらかされてしまった。君こそが本物の聖女。あの女こそ断罪される者。――
ああ、そう。そうなのね。可哀想なジェームス様。
ザザ……イザベラ様が……あの女がジェームス様を。
私のジェームス様を……ザザザザザザザァ……。
胸の底に黒い炎が点った。炎が凍ったアメリアをあぶり、溶かしていく。
――ザザザ……さあ、勇者の目を覚まさせてやろう。イザベラから奪い返してやろう。絶望を……私を望め――
ザザザザザッ……望むわ、神様ザザザザァアアアアァアアッ。
アメリアの心を、ノイズが埋め尽くした。
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本作は、水曜日の更新。
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