68 攻防
背後にジェームスを置いたまま、セスはワーウルフに向かって走る。
姿勢は低く。高く跳んだところで、自分よりも大きなワーウルフをかく乱するのは無理だ。なら小さな体躯を生かして足元を狙う。
……低い攻撃には跳んで避けるか、打ち下ろすかの二択だ。好戦的なワーウルフは後者を選ぶ。
予測通りに打ち下ろされる拳。跳ぶのではなく、片側の膝の力を抜く。すれすれを通過したワーウルフの拳が床を破壊する。それを横目に、そのまま剣を横に薙いだ。
しかしワーウルフの対応も早い。既に抜いた拳がセスの剣に向かっていた。
……迎え打つな。剣を折られるぞ。
分かってる!
セスはワーウルフが剣を叩く瞬間、剣を引き同じ方向に跳んだ。派手に空中を回転して勢いを殺す。
ぐるぐると回る視界で、ワーウルフに斬りかかるジェームスの姿を捉えた。
ジェームスの剣がワーウルフを叩き、不快な金属音を鳴らす。
「なんだァ? 温い剣だな、おい」
黒金の体毛に白い擦り傷を作ったワーウルフが、ジェームスを見下ろして笑った。
まずい。まったく効いていない。
ジェームスのサポートに回りたいのに、まだ滞空している。一秒にも満たない時間がもどかしい。
ジェイダの構える拳銃が火を噴いた。銃声の後、銃弾が弾かれる。
ここでやっとセスの足が床に届いた。
くそ。思ったよりも遠くなった。
アメリアの祝福で少しだけ身体能力が上がっていることを考えてなかった。
着地の衝撃を関節で柔らかく吸収し、セスは猫のように床に降り立つ。その足で床を蹴り、ジェームスのもとへ駆ける。
無傷のワーウルフがあざ笑った。
「そんなもんで俺が殺れるかよ。本気だせよ、なァ?」
ワーウルフが爪をジェームスに向かう。
もう一度ジェイダが撃った。
……いい腕だ。魔力弾でないのが悔やまれる。
的が大きいとはいえ、正確な狙いだが。ワーウルフの黒金の体毛が銃弾を通さない。弾が跳ね返る音だけが小さく響く。
ワーウルフの爪を受け、防御したジェームスの剣が粉々に砕けた。
間に合え。
剣を失くしたジェームスに、ワーウルフの爪が届く。その一瞬前に滑り込んだ。
……振れ。最速に。最小限に。最低限に。何百、何千、何万と振った軌跡をなぞれ。
過去の自分が振ってきた剣の軌跡。今の自分が振り続けてきた軌跡。体に染み込んだそれを、力まず正確に。
なぞる軌跡が白く閃き。自分の力を遥かに超えるそれを。ワーウルフの爪を受ける。
……そのまま受けるな。力に力で勝とうと思うな。力は添える程度でいい。ただ方向を変えろ。いなせ。
やり方は過去の自分が知っている。体に叩きこまれている。衝撃の瞬間。剣をひいて力を殺し、角度をわずかに変える。いなし、逸らす。
爪の脅威がセスの横へ流れた。音はない。背後でジェームスが転がる。
ダン!
剣を翻し、軸足で床を踏みしめた。肉薄。ワーウルフの爪をかいくぐって一撃。肉を絶つが浅い。
爪が振るわれ、皮を裂き、頬を掠め、目の前を通過する。爪をいなし、弾かれ、斬りつけ、肉を斬る。ワーウルフと目まぐるしく交わす攻守。少しでも判断ミスがあれば即崩れる均衡。実際、危ない時もあったが、護衛騎士のフォローが入る。僅かでも隙を作ってくれた。
剣と爪。黒金の体毛と銃弾。それらがぶつかり、擦れる度に立てる金属音の合間に、女の声が割り込んだ。
「ジェームス様っ」
切羽詰まった様子のアメリアの白い光。弱い光が彼女の外側だけから迸り、周囲を満たす。
外側、だけ。妙だとセスは思った。聖女の祝福はもっと内側から、魂から放たれる。なのにアメリアの祝福は外側からしか放たれない。
外側……器。器?
過去の自分は、魔王の呪いでセスとイザベラの魂と器が一致してないと言っていた。
外側だけの弱い聖女の力を持つアメリア。
アメリアは、お嬢様の本来の器ってこと?
「アメリア」
静かだけれど力強いイザベラの声が、空気を伝い会場内に広がった。イザベラの白い手がアメリアに触れる、その瞬間。白い光が全てを染め上げる。
……懐かしい。
何度も受けてきた聖女の祝福。魂から放たれる波動。
心と体の隅々まで白い光が優しく触れる。細胞が震え、血潮が巡る。
それまでとはくらべものにならないくらい、体が軽くなった。擦り傷の小さな痛みも消えた。武器の威力も上がっているだろう。今なら何でも斬れる。
目の前のワーウルフの顔から、笑みが消えた。
振りかぶりもせず。体のどこにも力を入れず。重力に任せるだけで、セスは剣を振り下ろした。狙いは体の中心だが。外され、ワーウルフの足に吸い込まれる。
……ちっ。足だけか。流石だ。
「ウオオオオオォォオオォッ、やりやがったなァッ、このクソガキがァ!」
血飛沫と怒りの咆哮が上がる。ワーウルフの怒りに呼応するように、赤黒い光がバチバチと瞬いた。ビリビリと大気が震え、圧力がかかる。
ワーウルフから立ち上る魔力。
魔法だ。床を破壊した程度のものとは段違いの魔力が集まっている。
あれを許せば、会場ごと破壊される。その前に倒せ。
振り下ろした剣を斬り上げるべく。セスは左から右へ体重を移動させ腰をひねろうとした。が。
何だ。
ゾクッ。全身の肌が泡立った。
危険危険危険危険。目の前のワーウルフじゃない。背後からの殺気。ワーウルフとはくらべものにならない脅威に、けたたましく警鐘が鳴った。
避けろ。回避。回避回避回避回避ッ。
攻撃を中断し、なりふり構わず体を引くセスの横を、悠然と黒い影が横切る。
一閃。
ジェームスの剣がワーウルフを斬った。
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