67 勇者は僕だ
セス・ウォードの背中が遠い……。
「ぐっ、何をやっている、セス・ウォード!」
セスに下敷きにされて床に倒れたジェームスは怒鳴った。
破壊された会場の床。飛び散った木片はジェームスには当たらず、全てセスが負った。擦り傷だらけになったセスが、自分を置き去りにしてワーウルフへ飛び込んでいく。
その、背中が遠い。
「冗談じゃない」
ジェームスは立ち上がった。剣を構え、走る。
セスの背中を追っているのではない。自分の攻撃をするためだ。モンスターは自分が倒す。勇者の自分が。
低い姿勢でセスがワーウルフに迫る。対するワーウルフは拳をセスの背中めがけて打ち下ろした。それを読んでいたかのように、セスが体を半回転。剣を横に薙ぐ。再度床を破壊したワーウルフが拳を抜き、セスの剣を払った。セスの体が木の葉のようにくるくると空中を舞う。
そら見ろ。やつでは歯が立たないじゃないか。やはりモンスターを倒すのは勇者の自分だ。
ジェームスは唇を緩めた。
オークを倒した時の感覚ほどではないが、体が軽い。アメリアが聖女の力を使ってくれたのだ。剣の威力だって上がっている。ワーウルフはセスを払いのけたモーションからまだ戻っていない。今ならジェームスに対応できない。
やれる。
――ザザ……本当に?――
当たり前だ。幼少の頃から剣の天才と言われてきた。同じ年頃でジェームスに敵うものなどいなかった。アメリアの加護を受け、オークを倒した時。運命だ。天啓だと思った。
自分こそが勇者で、アメリアこそが聖女。自分たちは運命の恋人。
――天才。本当に本心なのか? 天才だとおだててご機嫌を伺っていただけではないのか。誰も敵わないのは、王族だから手加減していただけではないと言えるのか? ザザザァァァァ――
雑音が耳の奥から響く。
うるさい。
ジェームスの剣がワーウルフに到達する。
――ザザザザッザァッ……オークを倒した時。おかしいと思わなかったか? 何度も何度も斬りつけたが倒せなかった。なのになぜセス・ウォードがガーゴイルを一撃で倒せた。自分はあんなに苦戦したというのにザザザ、ザァァァァ――
針金の体毛がジェームスの剣を迎える。硬いものを殴りつけた衝撃に歯を食いしばる。ギャリギャリという耳障りな金属の音。返ってくる凄まじい反発。痺れる手。
「なんだァ? 温い剣だな、おい」
体毛に小さな擦り傷だけを作ったワーウルフが、ジェームスを見下ろして嗤った。
――ザザ……そうだ。兄も、弟も。父も母も。貴族。家臣。民衆。やつらのあの目。口から綺麗ごとを吐き出し、目で嗤う……ザザザ……やつら――
同じだ。
嗤うな。自分は王族だ。勇者だ。自分を嗤うものなどいない。許さない。
ダガン。銃声が響く。カン。硬いものが弾かれた音。何事もなかったかのようにワーウルフが笑みを深めた。
「そんなもんで俺が殺れるかよ。本気だせよ、なァ?」
本気などとっくに出している。
また銃声と、チュインという弾が跳ね返る音。
ものともせず、ワーウルフの爪がジェームスに迫った。剣を立てて受ける。
鉄球で殴られたような重い衝撃。剣が粉々になり、腕さえ砕けたかのような錯覚がする。
ジェームスの防御などワーウルフに停滞を生むことも出来ず、爪が目前で鈍く光った。
鈍い光に、鋭い光が割り込む。
剣身が白い閃光に見えたのだと、遅れて認識した。
セス・ウォード。彼の剣が、ワーウルフの爪を受け止めた。音もなく、いなされて逸れていく爪。欠けることもなく、セスの剣が翻った。
ダン!
床を踏みしめたセスの足だけが、派手な音を立てる。
ギリッ。ワーウルフの爪の威力に吹き飛ばされながら、ジェームスは奥歯を軋ませた。
まただ。また敵の攻撃から救われた。庇われた。
ガーゴイルとオークの時も。今もだ。
お前一人では無理だと言われているようなものだ。お前は弱い。面倒を見てやる、と。見下された。
背中が床に叩きつけられ、ジェームスは転がる。
否。まだ。まだだ。セスだとて、先ほどワーウルフの爪に飛ばされていたではないか。自分も立って、今度こそ反撃してやればいい。
剣を手に、立ち上がろうとする。カラン。剣がまだ痺れている手から滑り落ちた。ジェームスは拾おうと手を伸ばして。
「ああっ!」
激痛に悲鳴を上げた。砕けたような錯覚を受けた腕が、本当に折れていた。
「ジェームス様っ」
アメリアの声と白い光がジェームスに届く。痛み、悔しさ、怒り、憎しみが光に和らぐ。それだけだった。
治らない腕からの激痛を無視して、ジェームスはのろのろと顔を巡らせる。アメリアの姿を探した。
駆け寄る護衛騎士の向こうで、ワーウルフと渡り合うセスが目に入った。次いでセスをサポートする護衛騎士。少し離れたところから拳銃を構える侍女とエヴァン。
絶え間なく金属音が鼓膜を叩き、時々銃声が鳴っている。さらに視線を動かして、アメリアを見つけた。
両手を組み、心配そうに眉尻を下げたアメリア。ジェームスの聖女。
「アメリア」
女の声がアメリアを呼ばわった。イザベラ。あのいけ好かない女が、アメリアに手を伸ばす。
イザベラの手がアメリアに触れた途端、強い光が会場を白に染めた。
光が収まると、腕が治っていた。体も前より軽い。
この腕を治したのはアメリアだ。彼女こそが聖女なのだから。なのにイザベラ。あんな風にアメリアに触れて。さも力を使ったような顔をして……。
――ザザッザザザザ……あの女は聖女のおこぼれにあずかるつもりだぞ。それとも聖女に成り代わろうとしているのかもしれないなぁザザザザ――
「認めない」
勇者には聖女がふさわしい。
ザザザザザザザァァァアアッ。
アメリアだけでは弱い力しかないこと。イザベラが何かすると、劇的な力を発揮すること。それらは雑音が押しやった。
――ザザそうとも。認められない。認めなくていい。認める必要などない。聖女はアメリア一人だザザザザザァァァァ――
甘みを含んだ雑音がジェームスを溶かす。なぜか不快ではない。眠りに誘われるような甘い毒。ゆりかごに揺られているような心地よさで、闇がジェームスを優しく包む。
セス・ウォードがワーウルフの足を斬った。上がる血飛沫と怒りの咆哮。バチバチと空気が赤黒い光をあちこちで瞬かせ、肌が泡立つような圧力を加える。
――ザァ……ザァ……ほら、セス・ウォードがワーウルフを倒してしまうぞザァ……ザザザ――
雑音が、まどろみからジェームスを引き戻した。奥底に黒い火を点す。
「そんなことは許さない。倒すのは僕だ」
ワーウルフが何かしているのか。体が軽くなったはずなのに、ジェームスの体は泥沼を進むようだった。それでもジェームスは足を動かす。
「勇者は僕だ」
自分は勇者だ。勇者の末裔の王族だ。勇者は自分だ。自分が勇者でなければならない。
王座もアメリアもジェームスのものだ。誰にも渡さない。
――ザザザザ……そうだ。ワーウルフを倒すのは、ジェームス。お前だ。憎め。呪え。嗤う者を。ないがしろにした者を。邪魔する者を。自分より力を持つ者を。――
憎い。恨めしい。続柄だけの両親。生まれた順番だけで自分より王位継承権の高い兄。蹴落とす隙を伺う弟。上辺だけの貴族や家臣。無責任な民衆。
憎い。憎い。憎い。全てを引き裂きたい。壊したい。呪って、刻んで、闇に沈めたい。
雑音がジェームスの胸の黒い炎の勢いを増幅する。黒い炎が雑音を高める。
――ザザッザァァ願え。欲しろ。やつらを蹴落とし、闇に沈める力を。私をザザザザザァァァァアアッ――
重い体を引きずりながら、ジェームスは答えた。
望む、と。
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本作は、水曜日の更新。
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