66 過去の知識
パシッ。軽い音と共にエヴァンの放り投げた剣を掴んだ。試合のため鞘を吊り下げる剣帯を着けてない。鞘を抜き放ち、放り捨てる。
それからセスは目の前のモンスターを眺めた。
ワーウルフ。二本足で立つ狼。
……あの体毛は黒金という金属だ。通常の剣では歯が立たない。それはガーゴイルも同じだったが、こいつの硬さはガーゴイルの比じゃない。
まただ。腰を落として剣を構えると、自然とセスの知らないワーウルフの知識が湧いてくる。
自分の声ですらすらと出てくるから、違和感もなくすとんと落ちてくるが、おかしい。
モンスターなど魔法の時代にいたという、おとぎ話のような存在。300年以上前に魔王と共に滅び、それ以降一度も確認されていない。研究している学者か、よほどの物好きでないと知らないのが普通で、セス自身も今まで知らなかった。
知らないことを知っている自分。イザベラの前世の話から考えると、これも前世の知識なのだろうか。
……ガーゴイルの比じゃないが、斬れないわけでもない。だが今の俺じゃ厳しいな。なんだ、この頼りない筋肉と希薄な魔力は。
セスは自分の体に舌打ちした。出来上がっていない成長途中の体。まとな魔法も使えない程の微々たる魔力。以前の自分には程遠い。
以前の自分。どんな人間だったんだろう。
どうやら今の自分より相当強かったらしいし、魔法も使えたらしいけど。
……魔王の呪いで魂と器が一致していない。彼女もだ。俺のせいで。身内だというだけで、俺があいつを無条件に信じたから。裏切られて、心に染みを作った。魔王が彼女に呪いをかける隙を与え、神の用意した運命を捻じ曲げられた。
あいつ?
セスには覚えのない後悔が押し寄せてくる。セスは内心で首を捻りながら、内の声に耳を傾けた。
今の自分よりも、過去だか前世だかの自分の方が、知識が深いのを分かっている。イザベラを守るために、少しでも真実の欠片を掴みたい。
あいつって、誰だろう。
あいつという人物には、憎くて許せないのに、憎みきれない自分への苛立ちを感じた。なぜなんだろう。
彼女とは、イザベラの前世ことだと思う。魔王が呪いをかけた……魔王?
おかしいな。イザベラの前世の麗子が生きていた世界には、魔王なんてものはいないとイザベラ本人が言っていたのに。
「デイビッド!!」
セスが物思いに沈んでいる間、ジェームスがデイビッドだったワーウルフに呼びかける。
ワーウルフの金色の瞳が、にぃっと細くなった。べろりと口元をなめる。
「デイビッドの坊ちゃんはもういねぇ。俺が喰っちまったからなァ」
「喰っただと?」
唖然としたジェームスが、オウム返しに呟いた。
「乗っ取った、が正しいかもしれねぇな。ま、どう言おうが興味ねぇけどよ」
……やはり。魂を闇に堕とし、喰らって体を乗っ取ったのか。
自分じゃない自分が勝手に納得する。
するなよ!
全然『やはり』なんかじゃない。喰らって体を乗っ取るってなんだよ。
分かっている自分に苛ついていると、声が続く。
……ガーゴイルやオークのような下っ端だけでなく、魔王の側近であるワーウルフが復活したのなら。魔王もまた復活したか、復活しかけているはず。魔王とは、魔族とは、人間を器にして成るもの。誰かが器になる必要がある。器は誰だ?
今度は魔王の器がどうのとか言い始めた……。
お嬢様みたいに全てを思い出せたらいいのに。これじゃあ、誰かの独り言を盗み聞きしているみたいだ。
セスは地団駄を踏みたくなった。
ああもう、これ制御が利かないというか。役に立つ情報だけ、分かりやすく説明してくれないかな。さっぱり分からないっ。
「そんなことよりもよぉ」
前方で、殺気が膨れた。
セスは思考を中断し、内に沈んでいた意識を浮上させる。
「俺と遊ぼうぜ、勇者ァ」
ワーウルフが両手を広げた。三日月のような目と口。黒々とした影のように広がる両手の隙間から、我先にと逃げている人々が見えた。
観覧席にいた人のほとんどは、逃げようと入り口に向かっている。しかしイザベラたちは残っていて、何やらジェイダとイザベラが言い合っていた。
自分の中の情報を拾うのは、取り敢えず後だ。今は目の前のこいつに集中しろ。
……貧相な体格、ない魔力がなんだ。あるもので戦え。あいつより足りないこと。何も持っていないこと。そんなことは普通だった。
無い物はない。持っている最大限を使え。
言われなくても。
過去の自分に言われなくても、骨身に染みている。
拾われ、飼われていただけのセス。右も左も分からず、役立たずの奴隷ではイザベラの側にはいられない。
だからセスは死にものぐるいで働き、合間に棒を振った。イザベラの護衛騎士の座を勝ち取るために、十歳で当時の護衛騎士に挑み、打ち負かせてみせた。
子供が大人に勝つ。並大抵では無理だ。
何度も血反吐を吐いた。足りないものを嘆いた。だけど。嘆いて、呪っても届かない。届かせるためには、自分自身の全てを最大で使った。
姿勢は低く。開いた膝は柔らかく。肩からは力を抜く。剣の握りには少しの遊びを。
知覚を広げ、目で見えないところへもアンテナを伸ばす。
声、音。直前で把握していた会場の配置、人の位置。それらを体全体で捉える。
「アメリア!」
「はい、ジェームス様」
ジェームスの呼びかけに応え、アメリアが両手を合わせて祈りはじめた。白い光が彼女を包み、広がっていく。
セスではない自分が知る聖女の力とはほど遠い、弱い光。それでも確かに聖女の力だった。
身体能力、武器の威力が向上される。馴染みの感覚だが、やはり弱い。
「うおおおっ」
一番先に動いたのはジェームスだった。ワーウルフとの距離をつめながら、下段に構えた剣を振り上げる。
ガイン。金属音と共にワーウルフの爪がジェームスの剣を弾いた。弾かれて動きの止まったジェームスに反対の爪が伸びる。
ギンッ。そこに身を滑り込ませたセスは、剣で爪を受けたが。やはり受けきれずに弾かれてジェームスに背中がぶつかる。
「!?」
背中にジェームスの体を感じながら、セスはワーウルフの左腕を見た。そこに何かが集まっている。
……魔力だ。魔法がくる。
ぶつかった勢いを殺さず利用して、セスは力いっぱい床を蹴る。ジェームスの体ごと後ろに跳んだ。
「ハッハァ!」
先ほどまでジェームスのいた床が爆発した。爆音と爆風、悲鳴が会場を揺らす。爆風で跳躍よりも後方に吹き飛ばされ、飛び散った木床の破片が肌を裂いた。
「ぐっ、何をやっている、セス・ウォード!」
セスの下敷きになったジェームスが怒鳴る。それを置き去りにして、セスは前に飛び出した。
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