65 ○○だから
セスもジェームスも四試合目を勝利で収め、いよいよ決勝が始まるという時だった。
観覧席で誰かが叫ぶ。
「おい、デイビッド!! どうしたんだ!?」
「……ハッ。うるせぇ!! てめぇのそういう小賢しいとこが大っ嫌いだぜェッ!」
ただならぬ様子に、ドキドキと両手を握りしめて二人に集中していたイザベラは、声の方向を見やった。
「何?」
騒ぎの主はリアンとデイビッドだが、様子がおかしい。
リアンに腕を掴まれていたデイビッドの体が黒い影を噴き出しながら、メリメリと音を立てて巨大化する。身に着けていた衣服が破れ、あらわになった皮膚に長く鋭い体毛が生えていく。牙がのび、鼻づらが前に出て両耳が上にぴんと立った。
デイビッドだったそいつに振り払われたリアンの体が、観覧席の椅子と生徒にぶつかった。
「きゃあああああ!」
「うわあぁああっ」
二階からも一階からも、悲鳴が上がる。椅子を蹴倒し、生徒たちが我先にと出口に向かっていく。
「ひぃいいいぃっ」
コートにいた審判も、ばたばたと無駄に手足を動かしながら逃げ出した。
残ったのはコート上にセスとジェームス。観覧席のイザベラたち、アメリアとジェームスの護衛騎士たち。他、スカウトに来ていた騎士らしき男が数人だった。
「デイビッド!!」
ジェームスが呼びかける。
にぃ、と笑った。金色に光る目がジェームスをとらえ、鋭い犬歯の下から赤くぬめった舌がべろりと顔を出し、口元を舐めた。
「デイビッドの坊ちゃんはもういねぇ。俺が喰っちまったからなァ」
そいつは二足歩行の黒金の体毛を持つ狼だった。背丈はもともと身長のあったデイビッドと同じだが、筋肉が明らかに人であった時と違う盛り上がり方をしていて、その体躯を巨大に見せている。
「嘘……ワーウルフ!?」
イザベラの顔からざっと血の気が引いた。ワーウルフは『ローズコネクト』では魔王の側近として、中盤に出てくるモンスターである。
狙われたアメリアをヒーローが身を挺して守り抜き、二人の絆を深めるイベントなのだが、麗子が読んでいた小説では絆を深めるだけでなく、世界を救うための魔王サイドとの戦いがドラマチックに描かれていた。
まだ覚醒していなかった頃に戦ったガーゴイルとオークとは違い、勇者が聖女の加護を受けていてもギリギリの勝利だったのだ。
「ワーウルフ。文献には載っていましたが、確か魔王と共に倒されたという側近では」
「そうよ。ガーゴイルとオークよりずっと強いモンスターよ。そんなのに勝てないわ」
ガーゴイルとオーク相手でさえ、聖女の力がなければ歯が立たなかったのだ。その上セスは今、試合用の木剣しか持っていない。ジェームスだって同じ。
肩を裂かれて大量の血を流したエミリーの姿が脳裏に浮かんだ。腕の中で冷えていく体。満身創痍でイザベラの前に立っていたセス。思い出しただけで体温が下がり、足が震える。
「しっかりなさいませ。負ける姿勢で誰が勝てるのです」
肩を掴まれ、イザベラはハッと顔を上げた。ジェイダの冷えた薄青の瞳が、真っ直ぐイザベラを捉えていた。
「負けるなど冗談ではありません。諦めた腰抜けはこの場から消えなさい」
冷たく言い放つと、ジェイダの手が肩から離れる。くるりとイザベラに背中を向けた。
「待って。もし私が聖女だとしたら……」
イザベラは前に立つジェイダに詰め寄った。
イザベラが聖女であるなら、その力が必要だ。ここから離れるわけにはいかない。聖女の力がない時、ジェームスもセスもモンスターに手も足も出なかった。誰かが怪我をしたとき、回復だって出来る。
「だから何だと言うのです」
ジェイダが肩越しに顔だけを振り返らせた。黒縁眼鏡の向こう側にある、冷たい薄青が燃えている。
「聖女の力がなければ勝てないと? 勇者と聖女以外のものが、モンスターを倒してはならないと? ご冗談を。聖女だから、勇者だから。……女だから、令嬢だから。そういう決めつけは嫌いだから、私はここにいるのです」
氷のような薄青はイザベラからワーウルフに移り、美しく伸ばされた背中が目の前に広がった。
「それに、聖女だから勇者だから、モンスターを倒さねばならないわけでもありません」
素っ気なく言い放つと、ジェイダが黒のロングスカートの中に手を差し入れ、ためらいもなくめくった。
「なっ、ジェイダ嬢、なんてところに武器を!!」
うろたえたのは隣にいたエヴァンだ。赤味の差した顔を背け、サッと体を寄せてジェイダを隠そうとする。
ちなみにイザベラが剣のことに思い至った時、すでにエヴァンとジェームスの護衛騎士が動いていた。エヴァンはセスに剣を放り投げ、護衛騎士はジェームスに駆け寄って剣を渡している。
我先にと逃げている観客たちは、入り口で混みあっていた。
「侍女が見えるところに武器を持っていたら不審でしょう」
あらわになった白い太ももには黒革が巻かれ、小型の拳銃が装着されていた。それをするりと抜き取ると、スカートから手を放す。あっという間に太ももの白はスカートの黒に戻った。
おそらくエヴァンが言いたいことはそういうことではなく、ためらいとか恥じらいとかだろうが。ジェイダ本人は、そんなものは不要だと切り捨てていそうだ。
「ああ、くそ。色々言いたいが、後だ」
ジェイダがスカートを戻したため、隠す必要はなくなったと、エヴァンはセスの元へ向かう。
「エミリー!」
「はいぃっ」
突然ジェイダに名前を呼ばれたエミリーが、背筋をシャキッと伸ばした。
「その不甲斐ない主人を外へ」
「で、でも、ジ、ジェイダさん」
戸惑うエミリーにジェイダが容赦なく畳みかけた。
「貴女が怪我をすれば治療に労力を割かれます。主人のために身を挺すなど、美談でもなんでもありません。単なる足手まとい。迷惑です」
「あう」
足手まといと言いきられ、エミリーが口を閉じる。
そうか。
イザベラはふっと息を吐いた。足手まとい、迷惑。だから逃げろ。こんな風に言わなければ、エミリーはここに残ろうとしただろう。もし逃げても、ジェイダたちに何かがあれば後悔が深くなる。
「待って」
イザベラに対してもそうだ。怖いのなら逃げろ。聖女だから戦わなくていい。責任を負う必要などない。そう言っている。
「逃げるのはエミリーだけよ。私を誰だと思っているの。聖女じゃなくて悪役令嬢のイザベラよ。諦めて逃げるのはごめんだわ」
すっかり力の抜けた肩をすくめる。震えも止まっていた。
申し訳ありません。
詳しくは活動報告に書いていますが、右目の調子が悪く、痛みと共に視力が低下しています。
パソコンやスマホをひかえますので、次の更新を休みますm(_ _)m




