64 怒りと恐怖と甘い毒
セスは三試合目、四試合目も無事に勝ち上がった。ジェームスもなんなく三試合目を勝利で終え、四試合目でデイビッドと対戦した。
結果はジェームスの危なげない勝利だ。
「クソッ」
観覧席に戻ったデイビッドが、リアンの隣にドカッと腰を下ろす。
陽気で派手なデイビッドと寡黙でストイックなリアンは、正反対ゆえに馬が合うのだろう。こうなる前にも、よく二人でつるんでいた。
「ふざけんなよ、チクショウ。アメリアの前でいいとこ見せられなかったじゃん。審判のやつも殿下を贔屓してんだもんな。勝てるわけがない」
イライラと貧乏ゆすりをするデイビッドだが、それだけだ。
まだ手こずっているのか。
座っていたリアンは静かにデイビッドを見た。否。正確にはデイビッドの内側に潜むものを、見出そうとした。しかし黒い影はまだ見えない。
デイビッドの中に仕込まれたモノは、まだ燻っているだけのようだ。
己はとっくにリアンを制圧したというのに。下手くそめ。
仕方がない。手伝ってやる。
「嘘をつけ。負けてほっとしたんだろう」
リアンの端正な顔に嘲りを浮かべ、冷酷に告げた。
「はぁっ? 何を言っているんだ」
デイビッドの顔が怒りに歪む。いいぞ、もっと怒れ。
「審判が殿下を贔屓したから、負けても仕方がない。そう言い訳していれば傷つかないですむ。それだけだ。今もそう。怒ったふりをして弱い自分を守っている」
「なんだと、リアン。お前ッ」
激昂するデイビッドに、リアンは指を突き付ける。
「弱虫め。自信満々なふりをして虚勢を張って、明るく振る舞っていても、お前は震えていた小さな頃のままだ。お前は、殿下に勝つのが怖い。一度勝って、どんな目にあったか、覚えているからな」
デイビッドの怒りの表情にひびが入り、怯えが顔を覗かせる。
心地よい表情だ。
絶望に染まった血はさぞ美味いことだろうが、今は飲めないのが残念だ。
幼少時。デイビッドはジェームスの遊び相手をさせられていた。剣を習い始めたばかりの、遊びのような試合で、何も考えずにデイビッドは幼い殿下に勝った。無邪気に喜んだデイビッドはその夜、父親に折檻されて、同じ年頃の令息・令嬢たちから爪弾きの目に合った。
リアンはその時、ジェームスの側につき見てみぬふりをした。それを後悔していた。デイビッドへの友情からではない。長いものに巻かれるだけの卑屈な自分を後悔していた。
デイビッドもまた、後悔した。結局ジェームスに頭を下げ、屈したことを。
「お前は殿下が怖い。いいや、殿下に逆らうのが怖い。だが、王家に生まれただけの殿下なんて怖がる必要なんてない。我慢する必要なんてないんだ」
ただただ馬鹿の一つ覚えで押すから時間がかかるのだ。怒りと恐怖で乱してから、甘い言葉を流してやれば早い。リアンもそれで堕ちた。
「我慢の必要なんてない……」
心ここにあらずといった虚ろな顔で、デイビッドが呟いた。その目に黒い影が躍っている。
じくじくとした傷を腐らせながら、強くなろうと剣術に打ち込んできたリアン。
鬱々とした心を陽気な振る舞いで隠し、ジェームスに従っていたデイビッド。
正反対のようでいて、とても似ている二人。
上から押さえつけてくるジェームスが憎い。そして二人とも、アメリアを欲している。
リアンはデイビッドの耳に口を寄せ、囁く。
「怒りに身を任せろ。憎しみに委ねてしまえ。そうすればお前の欲しいものも手に入る」
「アメリアが……」
デイビッドの口角がゆるゆると上がる。一瞬、ゆらっと黒い影がデイビッドの体を包んだ。
デイビッドが目をつむる。再度目を開いた時。雰囲気が一変していた。
陽気さや快活さはなりを潜め、今にも噛みつきそうな獰猛さを纏っている。
やっと完全に入れ替わったらしい。
「ここを使え、ここを」
リアンは自分の頭をトントン、と叩いてみせた。
デイビッドがリアンに吐き捨てた。
「ちィッ。うるせぇ。礼は言わねぇぞ」
「貴様に礼など言われたくもない」
挨拶代わりに悪態をつきあい、デイビッドが立ち上がる。
「手助けはいるか」
手助けなどする気はさらさらないが、聞いておく。
「ハッ。俺一人で十分だ。そこで見物してろよ、馬鹿力だけが取り柄の虚弱野郎」
思った通り、リアンの提案をデイビッドが鼻で笑う。普段のデイビッドの軽口ではない。デイビッドの瞳の中では、心底見下した嘲りと、黒い影が躍った。
実に不愉快だが、それでいい。いくらでもいきがっていろ。あの方に選ばれたのは己なのだから。
「勇者の卵をぶっ潰して、平和ボケしたガキどもと遊んでやりゃあいいんだろ? 簡単すぎてあくびが出るぜ」
獣臭い野蛮な狼めが。あの方からの指示を微妙に違えている。やはりその小さな頭には何もつまっていないらしい。
「優先事項は魔王様の器を完成させることだろうが。勇者の卵はその後だ」
「チッ、まだるっこしいッ」
あの方の復活は魔族にとって必要不可欠。不平不満をぶちまけながらも、従う気はあるようだ。
「貴様一人でいいのなら、私はまだリアンのふりを続ける。芝居を打つから合わせろ」
「芝居だぁ?」
「今から大声を出すから、派手に元の姿に戻れ。それだけでいい」
それだけ言うと、リアンはデイビッドの腕を掴んだ。
「おい、デイビッド!! どうしたんだ!?」
「……ハッ。うるせぇ!! てめぇのそういう小賢しいとこが大っ嫌いだぜェッ!」
メリ、メリメリメリ。デイビッドの体があっという間に膨れ上がり、長く鋭い体毛にびっしりと覆われていく。
倍以上に太くなった腕が、リアンの体を無造作に薙ぎ払った。
吹っ飛ばされて観覧席の生徒と椅子にぶつかりながら、リアンはほくそ笑む。
せいぜい暴れろ。捨て駒。
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