63 リアンの剣
名前を呼ばれてセスがコートに上がる。板張りの会場に、白い線が正方形に引かれただけの簡素なもの。その中に入ると中央で対戦相手のリアンと向き合った。
すっと通った鼻筋の横の、緑の瞳が静かにセスを見る。その瞳に感情は見えない。黒い影も。
イザベラはぎゅっと両手を握った。
「双方、礼!」
審判の合図で頭を下げ、木剣を構える。
ピタリとブレのない佇まいは強そうだ。
「大丈夫かしら」
「大丈夫ですって」
笑いを含んだエヴァンの答えでは安心できず、イザベラはコートの二人を凝視した。
リアンの方がセスより背が高い。喉元に剣先を向けるリアンに対し、セスはリアンの左目に向けた。
双方がオーソドックスな構えで探り合うこと数秒。
先に仕掛けるか、迎撃するか。どちらにするかは、すぐに決まったようだ。
セスが右足を這うように前に出す。ダン。踏み込みと同時に右足で床を叩く音が大きく響き、木剣がリアンの腕を叩く。一ポイント。
エヴァンに叩きこまれた、予備動作のない打突だ。
「ぐうっ」
リアンの端正な顔が歪んだ。その時には既にセスは左足を引きつけ、二撃目を放つ。肩口を狙ったそれを、リアンの木剣が弾いた。
「チッ」
舌打ち一つして、セスが軸足を起点にくるりと体を回す。遅れてリアンの木剣が、先ほどまでセスのいた空間に振り下ろされた。回り込んだセスの木剣がリアンの背中に入る。二ポイント。
「やった、よしっ、その調子」
続けざまに木剣を繰り出せば、リアンが木剣で受ける。
「ああっ、わっ、ねえ。エヴァン様。リアン様、強い? セスは大丈夫?」
「大丈夫だって言ったでしょう。落ち着いてさえいれば坊主が敗けることはないです……が」
腕組みをしたエヴァンが片手を顎に当てて撫でた。そのまま黙り込む。
「?」
どうしたのかとエヴァンの横顔を眺めたが、彼の視線はセスとリアンを追うだけで答えてくれそうにない。イザベラもそれどころではなく、さっさと試合中の二人に戻した。
リアンがセスの木剣を受けきれず、ポイントが入る。三ポイント。
「どうも気持ちが悪いな、ありゃあ」
顎に手を当てたまま、ようやくエヴァンが一言発した。
「どういうこと?」
「俺の知っているリアンの剣筋と違うんですよ。少しだけ、ね」
分かるような分からない答えに、イザベラは首を傾げた。エミリーもきょとんとしている。
「セス・ウォード。四ポイント」
セスの攻撃の隙をついてリアンも攻撃を仕掛けるが、なんなくかわしてカウンター。五ポイント。
それからも、終始セスが優勢で試合が進む。ポイントもどんどん積みあがっていく。ここまででリアンはたった三ポイント、セスは九ポイント目を入れた。
イザベラはほっと胸を撫で下ろした。エヴァンの言ったことは気になるが、あと一ポイントだ。ポイント差からしてもう逆転されることはないだろう。
カン。木剣同士がぶつかり合い、乾いた音を立てる。またリアンの攻撃をセスが阻んだのだ。しかし。
リアンの瞳はしごく落ち着いていた。悔しさも闘争心も、欠片も見えない無感動な瞳。その瞳に。黒い影が染みのようにジワリとにじんだ。それはすぐに、瞳の中にしみこむように消えてしまった。
「! ……セ……」
叫びかけて止める。黒い影は自分以外に見えないし、今気をつけてと叫んで、どう気をつけてもらうのだろうと思い直したのだ。
開けかけた口を閉じると、審判の声が響いた。
「十ポイント先取。勝者、セス・ウォード」
セスの勝ちが決定する。
悔しそうな素振りも見せず、リアンが頭を下げた。セスもまた、頭を下げる。顔を上げた瞬間、踵を返してリアンが観覧席に戻っていった。
セスがそれを何とも言えない顔で見送ってから、戻る。
「お疲れ様、セス」
「ありがとうございます」
釈然としない顔で、セスが飲み物とタオルを受け取った。
「手を抜かれたな、坊主」
「多分。でもどうしてだろう」
エヴァンに話しかけられると、セスの眉が上がる。ふいっと横を向いてからボソッと疑問を投げた。
「どの辺に違和感があった?」
エヴァンはセスの質問に答えず、質問を返す。
「淡々とやられるくせに、反撃できるぞって主張だけが激しい」
「やっぱりか」
二人だけが納得しているようで、それから何も言わなくなった。
イザベラはエミリーと顔を見合わせた。エミリーがふんっと鼻から息を吐いて大きくうなずく。
「どういうこと? さっぱり分からないわ。説明して」
くいっとセスのシャツの袖を引っ張ると、セスが少し顔を赤くして口を開いた。
「リアンが仕掛けるチャンスは何度もあったのに、仕掛けてこなかったんです。なのに慌てている素振りもないし。淡々とやられていくし……その癖、時々仕掛けてきそうな気配だけがあって」
「リアンは派手さのない堅実なタイプです。確かに元から淡々とした剣筋ですが、あんなに気持ちの悪い剣じゃない」
「気持ちの悪い剣でございますですか?」
気持ちの悪い剣。仕掛けてきそうな気配。もしかして。
「あのね……関係あるか分からないんだけど。試合中のリアンの瞳に黒い影がにじんで見えたの。すぐに消えちゃったんだけど」
「黒い影が?」
全員の表情がそれぞれ変わった。
「セスと試合中のリアンにということは。黒い影は、イザベラ嬢に対する悪意だけじゃないってことか」
「人の悪意そのものでもないでしょう。それならあちこちで見えるはずです」
「あちこちって、ジェイダ」
「人間などそんなものです」
悪意を持つ人間だらけと言い切るジェイダに苦笑いすると、当たり前のように返されて肩をすくめる。
確かに否定は出来ない。やり直すまではたくさんの悪意をイザベラも抱いてきたから。
「黒い影についてはまだこれから検証していかなければなりませんが、なんにせよリアンは要注意人物ですね」
「そうね」
また気をつけなければならない人間が増えた。
「セスとの試合で手を抜いて負けたのは、普通に考えるとリアンにとってデメリットしかない。リアンの家は殿下を推しているし、殿下と協定でも結んでいるのかもな」
「ふえぇ。剣術大会って一体」
エミリーが頭を抱えた。気持ちはよく分かる。
「ま、学園の生徒は貴族がほとんどだからな。それでも真面目に頑張ってるやつもいるし、そういうやつをスカウトしにきてる騎士もいるから」
ポンポンとエヴァンがエミリーの肩を叩いた。
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