60 情報整理
しん。沈黙が落ちた。
洗いざらい全て話した。以前のイザベラの最低の所業も。麗子の最低の過去も。
エミリーの腕に包まれたままのイザベラは、痛い静寂を甘んじて受け入れるしかない……と言いたいところだが。
本来なら心に痛い静寂もまったく痛くなかった。痛くない代わりに苦しい。心理的なものではなく、物理的に、である。
「一度死んだ……」
顎に手を当てて眉間にしわを寄せる厳しい表情のエヴァンと。
「全く違う世界に生きた麗子という女性の前世……にわかには信じられない話ですね」
相変わらずピンと背筋を伸ばし表情を変えないジェイダ。
「前に言っていた夢の話は、夢じゃなかったんですね」
セスがため息交じりに囁いた。
大人二人の反応だけなら、きっと不安に心が潰れていただろう。けれど。
黙って話を聞き続けたセスの手は、イザベラの手を握ったまま離れなかった。むしろイザベラが言葉につまる度に、励ますようにもう片方の手で撫でてくれた。
口角を眉を上げたり下げたり、百面相をしたエミリーの腕はどんどん力がこもっていった。
嫌われるかも、軽蔑されるかもと、あんなに悩んで怖がったのは、何だったんだろう。
そんな風に思えるほど、イザベラの心は落ち着いていられた。
それは今現在、手を握ってくれているままのセスと、うるうると涙目でイザベラを抱きしめているエミリーのおかげだ。
エミリーに至っては、逃げられないほどぎゅうっとくっつかれ、もはや抱きつかれているというより締め技のようになっていて、苦しいが。
「勇気を振り絞って話して下さったのに、信じられない話ってなんでございますですかっ!!」
イザベラに抱きついているエミリーが、ますます腕に力をこめた。苦しいを通り越して、痛い。骨がきしむ。
そろそろギブだと言った方がいいとは思うが、全身で好意を伝えてくれるエミリーの態度が嬉しくもあって、イザベラは口をつぐんだ。
「落ち着きなさい、エミリー。信じられない話ではありますが、信じないとは言っておりません」
「うー」
まだ不満げなエミリーの肩を叩き、ジェイダが続ける。
「それよりも、いい加減お嬢様を離しなさい。肋骨でも折る気ですか。いくらお嬢様が一度死んでやり直したからといって、骨が折れても平気な不死身ではないのですよ」
流石にそれは大げさにすぎたが、エミリーには有効打だった。
「はぃっ? あっ、ああああっ、すみませんですっ、お嬢様っ」
「それともう少し声を小さくしなさい。不審に思われます」
エミリーの腕からピタリと締めつけがなくなったと思ったら、ばっと勢いよく離れる。その際に振り回されたエミリーの腕を、ひょいと避けたジェイダがさらに注意した。
「悪かった、エミリー嬢。考えが追いつかなくてね、難しい顔になった」
顎からゆっくりと手を離したエヴァンが、セスに視線を移した。
「坊主。お前の記憶の方はどうなんだ」
迷うように少し青い瞳を揺らしてから、セスが答えた。
「俺のは、記憶とか思い出したとかとはまた違うんです。なんか、勝手に頭の中で自分がしゃべっているというか。自分の声で自分が知らないことを普通にしゃべっていて。その内容が麗子さんという女性のことで」
どうやらイザベラと違ってセスは思い出したわけではないらしい。
「つまりセスは麗子という女性を知っている人物の生まれ変わりで確定ですね」
「ああ。それも、イザベラ嬢の言う裕助と坊主は同一人物だとみていいでしょう」
エヴァンとジェイダが顔を見合わせ、頷き合った。
「情報を整理していきましょう。本来ならお嬢様は、アメリア様に嫌がらせをして断罪され、殿下に婚約破棄された上に奴隷に落とされる。お嬢様はそれを回避するために変わられた。そうですね?」
「ええ」
エミリーにも手伝わせ、茶を淹れ始めたジェイダに頷いて肯定する。
「断罪されて死ぬ間際、麗子という前世を思い出した。それによると、お嬢様は『悪役令嬢』という嫌われ役で、奴隷に落とされる以外にも何かしら罰を受けることになる、と。どうりで。あのお嬢様が急に変わられたと思いましたが。そういう事情が。確かにこれなら必死で改心しますね」
「お嬢様はもともとお優しい方でした。ただ、分かりにくかっただけです」
ジェイダがカップに注いだ茶をイザベラに、次いでエヴァンに渡す。セスがむっと口をへの字に曲げた。
「私自身にも返ってくることですが。優しさも周りに伝わらなければ優しくないのと同じですよ。セス」
「俺には伝わっていました」
「こら、坊主。今は情報整理で感情の話じゃない。そいつは一旦置いておけ。話が進まない」
手を伸ばしたエヴァンがセスの頭にぽんと手を置く。ぶすっと黙り込んだことを了承と受け取り、ジェイダが続きを口にした。
「お嬢様が死ぬ前。セスだけは助けてという祈りに応えた声。その声がお嬢様の時間を逆行させたのでしょう。それほどのことが出来るなんて今の魔法はもちろん、古代の魔法にもありません」
愛しい男を助けてほしい、という祈りだったとは言えなかった。言えば告白になってしまう。どうせ告白するのなら、こんな形ではなくちゃんと言いたい。
だから少しぼかして、自分を助けようとしてくれたセスだけは助けてほしいと祈ったと話したけれど、『セスだけは』という言葉に、セス本人は大きく瞳を揺らして動揺していた。
「イザベラ嬢の前世だという麗子の世界には?」
「いいえ。そもそもあの世界に魔法なんてものは存在しないわ。神だって宗教はあるけど、この世界みたいに何か奇跡を起こしたとか姿を見せたことなんてない」
エヴァンの問いにイザベラは首を横に振った。
「ふむ。じゃあそっちの世界の魔法や神の仕業じゃないとして。この世界の人間が使える魔法でないなら、神か」
「わが国の女神モイラは運命の神でもありますね。しかしそれは伝承だけで、過去にモイラの加護を受けてやり直したという史実はありません。世界に闇が迫った時、勇者と聖女の運命をつむぎ、割り当てるとしか」
前世と違ってこの世界では、神は実在している。国ごとに違う神がいて、それぞれの国を守護している。この国の神はモイラだ。この国を興した勇者と聖女に加護を与えた女神で、人に運命を割り当てるという。
「ガーゴイルとオーク。あれを倒した時の違和感。イザベラ嬢が聞いた女神の、『愛し子』という言葉。神の愛し子といえば……」
言葉を切ったエヴァンが、さっと周囲をうかがう。少しずつ人が増えているものの、それぞれが歓談していてこちらに気を払っている者はいないようだった。
ジェイダが荷物から手帳とペンを取り出し、エヴァンに渡した。礼を言ったエヴァンが手帳にペンを走らせる。
書き終えたエヴァンが手帳を見せた。流麗な文字が簡潔に綴られている。その内容は。
『あの時の癒しの力はアメリア様じゃない。本当の聖女はイザベラ嬢。勇者は殿下ではなく、セスでは?』
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