56 燻る黒炎
「ジェームス様。ちょっと友達に挨拶してきますね」
「……友達とは、イザベラかい? 本当に君とイザベラは友達なんだね」
イザベラたちの方を指さして断りを入れるアメリアに、ジェームスは溜め息を吐きながら肩をすくめた。
「そうですよ。前にも言ったじゃないですか」
アメリアがぷぅ、と頬を膨らませてジェームスに抗議してくる。それは可愛いのだが。
「ごめん、ごめん。なんだかまだ信じられなくてね」
ここのところ彼女がイザベラと友人関係なことは、アメリア本人から聞いて知っている。親しそうに話しているところも、何度か目撃していた。しかし、どうもしっくりこない。
なにせ相手はあのイザベラだ。強かで貪欲で無駄にプライドの高いイザベラが、平民のアメリアを友人として扱うだろうか。
愛しいアメリアの頬に触れる。
「心配なんだよ。イザベラが友達のふりをしているだけで、君に何かしやしないかと」
「大丈夫ですよ。そんなこと絶対にないですから」
偽りのない本音をぶつけても、アメリアは無邪気な笑顔でジェームスの手をそっと握るだけ。きゅっと力がこめられた手とその表情が『心配しないで』と言っているが、ジェームスの心配は少しも減らない。
無垢で無防備すぎるアメリアは、イザベラでさえ信頼しているのだろう。それは彼女の美徳だが。
――ザザ……全てがあの女のフリだったら? ザザッ――
アメリアの頬に触れているうちに、目眩がし始めた。耳の奥でざわめく血潮が、ザザっという雑音を奏でる。
――ザザ……さも友人ですという態度で信用させておいて、獲物を引き込み、そのうち牙を剥くかもしれない。あの女が裏切らない保障はどこにある? ないだろう――
保障などあるわけがない。あの女を……いや、アメリア以外をジェームスは信用していない。人は裏切る。そういうものだ。
――そう、イザベラはアメリアを裏切る。それでいいのか?――
いいわけがない。アメリアを裏切るだと。ふざけるな。
激しい怒りが血を沸騰させる。耳鳴りが酷くなり、視界まで暗くなってきた。
「そうだな。君を嫌うなんて有り得ない。まして、君に危害を加えるようなことな……ザ……て僕が許さ……ザザ……い」
そんなことはさせない。させるものか。
「そうそう。ジェームス様ったら心配しすぎなんですよ」
暗い決意を固めるジェームスにアメリアがにこにこと返した。
彼女の分も自分がしっかりして、あの女の悪意から守ってやらなければ。
ジェームスは顔を上げると、にっこりと微笑んだ。
「開会式までまだまだ時間がある。僕は軽くウォーミングアップをしているから、今のうちに行っておいで」
「はい!」
警護に手を上げた護衛騎士エヴァンと共にイザベラの元へ向かうアメリアを、ジェームスは見送る。会話を始めたアメリアとイザベラたちを、軽いストレッチを行いながらじっと観察した。
少しでも妙な素振りを見せれば。
アメリアと話すイザベラも、きつい眼差しを和らげている。この様子だけを見れば友人同士の和やかな談笑だ。
赤毛とそばかすが特徴の侍女と和やかに話した後、眼鏡をかけた侍女と会話を始めたアメリアの顔に緊張が走った。
――ほらな――
あいつはイザベラの新しい侍女、ジェイダといったか。侍女として新しいが、元々はイザベラの家庭教師を務めていた古参だ。イザベラの手駒と見ていいその侍女が、アメリアを脅かしている。
やはりあの女は敵だ。
腹立たしいことに、護衛のエヴァンが動かない。
――あいつはセスに肩入れしていた。ザザザザ……イザベラともグルだ――
どいつもこいつも信用できない。ジェームスはストレッチをやめて立ち上がった。一歩踏み出しかけたその時。
いつの間にか近づいていたデイビッドとリアンが、イザベラたちとアメリアの間に体を滑り込ませる。
アメリアがほっとしたような笑顔を二人に向けた。
あの手も笑顔も、僕のものなのに……!
笑顔のアメリアが二人の手を取った。手を握られた二人の顔に喜色が浮かぶのが、はっきりと見えた。
敵だ。アメリアに害を成すイザベラも、イザベラの侍女も。サンチェス公爵も。アメリアに馴れ馴れしいデイビッドとリアンも。アメリアを助けないエヴァンも。
同じ王位継承権を持つ兄。弟。王と王妃。
取り囲む貴族。家臣。
民衆。
味方などいない。いいや、最初から味方などいなかった。
まともにジェームスに触れたこともない両親。冷たく見下す兄。敵意剥き出しの弟。
乳母に危うく窒息死させられそうになったことがある。身の回りの世話をしていた侍女に毒を盛られたこともある。有力貴族は王位継承権を持つ王子をそれぞれに推し、他の王子を隙あらば暗殺しようと互いに間者を放っていた。
暗殺の恐怖。厳しい教育。一挙手一投足を常に見られている王子としてのプレッシャー。友人だと思っていた令息が影で叩いていたジェームスの悪口。いい顔をして近づいてきた商人たちの裏の顔。無責任な民衆。
敵。敵。敵。敵。
闇の中を常に気を張って進んできた。
糸が切れそうだった。半分切れかかっていたのかもしれない。耐え切れずに護衛を撒いて、下町をさまよった。誰も信用できない。誰にも会いたくない。人の目がないか、きょろきょろと見渡していた。そこへ。
『何かお困りですか?』
声をかけてきたアメリア。心配そうにジェームスをのぞき込んできたその顔は、決して美人ではなかったけれど。
護衛もおらず、平民の恰好をしていたジェームスを、王子などとは露とも思わないで優しくしてくれたアメリア。人間そのものが恐怖だったのに、アメリアという光に惹かれた。
初めて触れた、表裏のない純粋な好意。
闇を割って現れた、素朴な光。
ああ。焼かれるというのに、火の中に飛び込む羽虫の気持ちが分かる。
アメリアになら焼かれても構わない。
その光を奪おうとうする者、消そうとする者を許しはしない。
胸を蝕む暗い炎と響く雑音に逆らわず、ジェームスはデイビッドとリアンをねめつける。
そして。
ジェームスの視線はそのまま移動し、イザベラと銀髪の少年を捉えた。
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