55 眩しさの裏側で
「この辺りでいいかしらね」
試合がよく見えそうな真ん中寄りの席で、イザベラは足を止めた。
会場は屋根のある大きな建物で、大会に使用するスペースを中央に四角く取り、それをぐるりと囲んで板を張った床にシートが敷き、その上に簡易の椅子が並べてある。
一階は会場兼、即席の選手の控え場所と関係者の観覧席。二階はもともと備え付けの椅子が配置された観覧席だ。
「ふわー、流石は王子さまでございますですね。なんだかあそこだけ眩しいでございますです」
両脇に結った髪をぴょこんと揺らしてエミリーがある一角に視線を向ける。
開会式まではまだかなり早い時間のせいか、会場に入っている人数は多くない。そのせいで例の一角がかなり目立っていた。
「……そうね」
イザベラはエミリーから目を逸らし、頬を掻いた。
ちらりと話題に上った一角を見る。
それは机や放送用の魔具が設置された本部席ではない。ジェームス王子のために護衛騎士たちが整えた場所だった。
ゆったりとスペースを確保し、椅子をわざと取り除いて、代わりに座り心地の良さそうなソファーを置き、床にはシートの上に絨毯まで敷いてある。ソファーにはさすがに動きやすい服装のジェームス王子とドレス姿のアメリアが腰かけていた。
今あらためて客観的に眺めると、眩しいというかなんというか、剣術大会においては場違い感が否めない。正直、近づきたくない空間だ。
しかし前のイザベラはあそこにいた。しかも特別待遇に得意になってマリエッタたちに自慢して。優越感丸出しでアメリアに見せつけていた気がする。うわあ、我ながら感じ悪い。
以前の自分の性格の悪さに内心で悶えていると、ジェイダが椅子に持ってきた座布団を置いた。
座布団はジェイダお手製で、剣術の鍛練中にこつこつとしていた刺繍が施されている。会場の椅子はパイプ椅子のような簡素なものだからと、事前に作ってくれていたのだ。
豪奢でふかふかのソファーなんかより、パイプ椅子に手作りの座布団の方が、よっぽど贅沢だと思う。
「ありがとうジェイダ」
「仕事ですので」
感謝の気持ちをこめて礼を言うと、相変わらずジェイダの素っ気ない声が返ってきた。
黒縁眼鏡の下にある切れ長の目は、伏せられていて感情の色が見えない。しかしここへ来るまでに、散々エミリーと一緒に座布団の出来と刺繍を褒めまくっていたことと相まって、白い頬が少しだけ赤らんでいて口元がいつもより柔らかい。
いつの間にかやっている細やかな気遣いも、こういう微かな表情の変化も全部、ジェイダをよく知らないと分からなかったことだ。
ジェイダの隣では、エミリーが荷物を邪魔にならないよう、椅子の下に置いている。荷物の中身は飲み物と試合の合間に食べられるような軽食だ。エミリーとジェイダが準備しているところに突撃してイザベラも混ぜてもらった。
「俺にもあるんですね」
驚いたように瞬きをしながら、セスがそっとジェイダお手製の座布団をつついた。誰かに何かを用意してもらうということに、セスは慣れていない。それが判明したのは、ジェイダが来てからだった。
エミリーの場合だと一緒に準備するかセスがやるかなのだが、ジェイダの準備や支度が早い。セスがやるよりも早くされていることがあり、そういう時はついでとばかりにセスの分も用意されていた。その度にセスは戸惑い、途方に暮れた子供のような顔をする。
「当り前でしょう。貴方が今日の主役なのですよ」
「そうそう。セスが主役なんだから、ほら、座って」
そんなセスが可愛くて、イザベラは笑って隣の席を勧めた。
「いや、お嬢様を差し置いて俺が先に座るわけには。それにこんなに繊細な刺繍の上に座るなんて……」
「私の刺繍に何か文句があると?」
しぶるセスに、眼鏡の奥からぎろりと鋭い光を向けられる。ジェイダの威圧にたじろいだセスが、ぶんぶんと慌てて首を横に振った。
「あ、いえ! 文句なんてありません」
「だったらつべこべ言わずに座りなさい」
「はいっ」
「ぷっ」
ジェイダに肩を掴まれ、セスが半ば強制的に座らされると、イザベラは堪えきれずに吹きだした。
「お嬢様。笑わなくてもいいじゃないですか」
「ごめんなさい」
少し不貞腐れたセスにぺろりと舌を出すと、自分の名を呼ぶ声が割り込んできた。
「イザベラ様!」
声の方向に目をやる。
イザベラたちが場所取りをしているうちに、ちらほらと増え始めた参加者やその関係者たちの間を縫って、アメリアがこちらに駆け寄ってきていた。アメリアの後ろにはエヴァンがついてきている。
「おはよう、アメリア。エヴァン様」
「おはようございます、イザベラ様!」
何の屈託もない笑顔でアメリアが手を振った。
「おはようございますです、アメリア様」
エミリーが勢いよく頭を下げると、ぴょこんと亜麻色の髪が跳ねた。下げた時と同じように勢いよく戻し、えへへとそばかすのある頬を緩める。
「おはよう、エミリーさん」
素朴なエミリーに釣られるように、アメリアも微笑んだ。
「おはようございます、アメリア様」
二人の間に漂うほのぼのとした空気を裂くように、ジェイダの冷たい声が響くと、アメリアの顔が強張った。
「おはようございます」
ほんの少し緊張を混ぜてアメリアがジェイダに挨拶をした。どうやらアメリアはジェイダを苦手としているらしい。
その気持ちはよく分かる。
ピンと伸びた背筋と黒縁眼鏡ときっちりと結った髪、動かない表情、冷たそうな薄青の瞳に浮かぶ眼光の強さ。その裏にある優しさを知らない人間には、怖い印象しか与えない。
「大丈夫よ、アメリア。ジェイダは不愛想でとっつきにくく見えるけれど、実は……」
「アメリア!」
アメリアを安心させようと口を開いた所で、誰かが彼女を呼んだ。
同時に出場選手であり、攻略対象であるデイビッドとリアンが、イザベラたちとアメリアの間に体を滑り込ませる。
「デイビッド、リアン」
彼らの登場にアメリアが笑顔になった。
「やあ、アメリア。殿下の応援かい? それもいいけど、俺たちも出場するんだ。応援してくれよな」
陽気なデイビッドが明かるくアメリアに話しかけながら。寡黙なリアンは無言でこちらに警戒の視線をちらつかせている。
アメリアを守るように間に立つ二人に、イザベラはこっそりと溜め息を吐いた。
イザベラは悪役令嬢だし。表情筋が硬くて冷たい声のジェイダは威圧的にしか見えないし、アメリアの表情はカチカチで怖がっているように見えたはず。そして二人が来てからの笑顔は、ほっとしたように思えただろう。
つまりイザベラがアメリアに嫌味なり悪口なり言ったのだと、誤解されたのだ。
「もちろんよ! 応援するから頑張ってね」
それに気づいていないのか、笑顔のアメリアが二人の手を取った。手を握られた二人の顔に喜色が浮かぶ。
八方美人というか小悪魔というか、罪作りよね。
素なのか天然なのか。ヒロインの特性なのかもしれないけど、アメリアのこういうところがマリエッタの嫌う要因で、前のイザベラの神経を逆なでした。
「ああ、見てい……くれ」
「アメリアに応援されたら優勝する……もね」
――ザザッ――
「!?」
微かなノイズが耳に届いた気がして、イザベラは弾かれたように二人を見る。
「何か?」
「何ですか、何か言いたいことでも?」
「あ、いえ」
眉をひそめてイザベラを見下ろす二人には、黒い影など見えなかった。
「ごめんなさい、何でもないわ」
アメリアが触れた部分から黒い影が移っていたのを、イザベラは見逃したのだった。
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