53 可愛げのない不器用な女
刺繍の目を見たままのジェイダが、タオルをエヴァンに差し出す。こちらに視線も寄こさないジェイダの唇だけが小さく動いた。
「セスの相手が随分ときつくなっているようですね」
「まさか。まだまだやれますよ」
正直きつい。しかしエヴァンは平気だとうそぶいた。
ジェームス王子も吸収が早く、成長するごとに相手取るのが難しくなってはきているが、セスの方が王子以上だ。
聞けばまともに教えられたことなどなく、独学で剣を振っていたらしい。対人戦の経験もなかったらしく、鍛練を始めた当初は少しのフェイントなどで翻弄されてくれたが、段々とそうはいかなくなってきている。
「やせ我慢ですか。それを恰好いいなどと思っているのならお門違いですよ」
「ははっ。相変わらず手厳しい」
刺繍の手を休めることもなく、心配する風でもなく淡々と告げるジェイダに、エヴァンは苦く笑った。
横顔をみやれば無機質な黒縁眼鏡。冷たい薄青の瞳は手元に落ちていて、頬には柔らかさの欠片もない。割と社交上手なエヴァン相手に、ここまで態度が軟化しない女性は珍しかった。
「それで。実際のところ、セスはどうなのです」
「坊主の剣術は同年代からすれば飛び抜けています。まず決勝まで負けることはないでしょうね」
その質問は探りか自然な疑問か。判断しかねたエヴァンは、無難な情報を流すにとどめた。大方の予想を覆さないものを。
これなら単なる世間話で終わらせることが出来るが。さあ、どうする。
「決勝まで負けないということは、決勝で殿下に負けるか否かをセスが選べるということです」
出方を伺ったエヴァンに踏み込んできたのはジェイダの方だった。このままそれを受けるかどうか、エヴァンは少し迷った。
自分も踏み込めば後戻りのできない会話になる。場合によってはこの侍女と本気でやり合わなければならない。それはおそらく、セスに肩入れしている自分よりも侍女の方が分が悪い。それを分かっていて、踏み込んだのかどうなのか。
「負けるか否かですか。殿下と侯爵の間で交わされた約定からすると、負けるの一択ですよ」
迷った末にとぼけた。踏み込まないことを選んだ。
出会った当初は、ガチガチに凝り固まった公爵の手駒のように見えたジェイダだが、どうもそれだけではないらしいことは見ていて知っている。お互い立場が立場であるが、出来れば敵対したくない。
「もちろん分かっていて言っております。この期に及んで逃げ道など必要ございませんよ」
「そうですか」
果たして逃げ道が必要だったのはジェイダだったのか、エヴァンだったのか。
どちらにしてもジェイダにぴしゃりと退路を断たれては仕方がない。エヴァンは腹を据えて核心に触れることにした。
「公爵は坊主に『殿下に勝て』と命じた。違いますか」
イザベラたちとの距離はそれなりにある。この声なら届かない。ジェイダはそれを見越してここに陣取っていたのだろう。
「違いませんね。殿下はモンスターを倒されましたが、それはセスも同じこと。今回の剣術大会でセスが優勝すれば、旦那様はセスこそが勇者なのではないかと主張するおつもりです。といっても、旦那さまはセスを過小評価しておられます。セスが決勝に残るかどうかは半信半疑でございましたが、もしも決勝までいけば……」
ジェイダが美しく正確に刺した針を引き抜き、糸を引っ張る。糸を引くために斜めに上げた針が、陽光を反射して鋭く光った。
「いけ好かない若造の鼻っ柱を折って、勇者の栄光から引きずり下ろした上で、婚約などこちらから破棄してやると。息まいておられました」
おいおい。そこまでストレートに。
エヴァンは思わず口元を引きつらせた。
普通なら主人が漏らした言動をもっとオブラートに包むものだろうに。
「それを俺に言いますか」
「ええ。貴方には」
……貴方には。
よりによってジェームス王子の陣営である自分に言うのかと、思わずたしなめれば、間髪入れずに返ってきた意味深な答えがなんとも不意打ちで。
思いがけず心が揺れた。
「旦那さまの思惑など貴方の想定内でしょう。隠す必要などありませんよ」
動揺するエヴァンに対して、ジェイダの態度は崩れない。
「自分の主人の言動から毒を抜く気は……」
「ございません。毒に毒を足して中和出来るのなら、私はここにおりませんよ」
半分呆れてたしなめるも、当のジェイダが自分と主人が毒だとすぱりと言い切った。
「私は男爵家の長女に生まれましたが、この性格ゆえに伴侶にしようという酔狂はおりませんでした。可愛げがなく、無駄に教養の高い女など望まれはしません。行き遅れた貴族令嬢など厄介者です。『余った女』として家庭教師に収まる他ありませんでした」
家庭教師は客人扱い。それが建前だ。しかし実際の家庭教師は使用人でもなく、家族の一員でもない。世間一般では憐れまれるような職業だった。
よくも悪くも、ジェイダは歯に衣を着せない。
公平な性格と生真面目さを持ち、頭の回転は速い。代わりに柔らかさやしなやかさをどこかに落としてきたような、そんな女性。
こういったタイプは貴族にも平民にも珍しい。
エヴァンはシアーズという王族公爵の令息ではあったが、そもそも両親がおおらかであったことと、五男という立場から、爵位も煩わしい付き合いもない平民同然の気楽な身分だ。
おかげで貴族、平民、どちらとも接してきたが、女性は男性に対して従順でなければならないとされる風潮はどちらにもある。
ジェイダのような人間は貴族はもちろん平民でも、ましてや女性だと尚更煙たがられるだろう。
「家庭教師は生徒が成長してしまえば解雇されます。侍女としてイザベラ様付きになれたのは、幸運でした。本当なら旦那様たちの期待に応えて、何を思おうが何が正しかろうが従い、侍女の地位を安定させる方がいいのでしょうが。それを良しと出来るくらいなら元からここにいないで、とっくにどこぞの家に嫁いでいたでしょう」
柔らかさの欠片もない顔をこちらに向けもせず、ぴんと背筋を伸ばして、淀みなく手を動かしている。
そんなジェイダの、堅く閉ざされた薄い唇に視線がいく。
唇に指を当てて黙らせた時の彼女は可愛かったんだがな。
今思い出すようなことではないことが、エヴァンの胸にふっと浮かんだ。
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