51 話してみれば
授業が終わると、下駄箱でジェイダとエヴァンが待っていた。
「よっ、坊主」
エヴァンの姿を見たセスの顔が、なんともいえないものになる。嫌がっているような、でも楽しみにもしているような、そんな顔だ。
それからくっと表情を引き締めると、イザベラに向かって軽く頭を下げた。
「ではお嬢様。行ってまいります」
「うん。頑張ってね」
小さく手を振ると、セスが背を向けてエヴァンに駆け寄った。
エヴァンに肩を叩かれて、セスが何か言っている。エヴァンがそれを笑い飛ばし、二人して歩き始めた。
騎士という生業もあってか、エヴァンは背も高く体つきもがっしりとしている。そのエヴァンに並ぶとセスはまだ華奢だ。
それでも。迷いのない足取りと、大人びた横顔。それらがセスの背中を大きく見せた。
なんだか置いていかれたような気分になる。そんなことないのに、とイザベラは自分に言い聞かせて、意味もなく引き留めたくなるのを堪えた。
「何て顔をしていらっしゃるのです」
落ち着いた平坦さに溜め息を混じらせたジェイダの声が、横からかかる。
「そんな情けない顔などさらすものではございません」
背筋を伸ばして佇むジェイダが、黒縁眼鏡の下からひやりとする薄青の視線をイザベラに注いでいた。
「注意も指摘もしなかったんじゃなかったの」
唇を尖らせて反論すると、ジェイダの目が細くなった。
「注意も指摘してはおりません。事実を述べただけでございます」
冬の湖を思わせる瞳が、イザベラから遠くなったセスの背中に移る。
「命令されたことをこなすだけだった頼りない護衛騎士が、ましな顔をするようになったのです。イザベラ様としては喜ぶべきことでしょう」
「頼りない護衛騎士ってジェイダ、貴女ね……って、んん?」
セスの悪口は許さないとジェイダに食ってかかろうとしてから、イザベラは首を傾げた。辛辣な物言いなのだけれど、よくよく考えると後半は褒めているような。
イザベラはまじまじとジェイダを見つめた。
「何ですか」
ジェイダの眉が不快そうに歪む。
「ましな顔をするようになったって、それ、褒めているつもりなのよね?」
そういえばジェイダは、イザベラが課題を全て解いた時にもにこりともしないで「完璧です」の一言だった。
「……褒めていますが、何か」
眉間にしわを寄せたまま目をつむり、数秒。それから絞り出すようにジェイダが答えた。
「ああ、やっぱり」
イザベラはそっと額に手をやった。
以前の自分も色々と酷かったが、それは性格そのものが悪かったからだ。しかしジェイダの場合、思ったことが伝わっていなくて誤解されるだけ。イザベラよりずっといいが、その分、勿体なく感じた。
「あのね。間違ってないけど言い方が悪いのと、足りないのと、顔が怖いのよ。それじゃ悪口を言っているか、怒っているみたいだわ」
肩をすくめて言うと、ジェイダの目がかすかにゆらりと揺れた。
相変わらず動きが少なくて分かりにくいけれど、決まりが悪そうにしてしているようだ。
「……そうでございますね。怒っているのか、とはよく言われます」
あっさりと頷いた。エミリーにクッションを当ててしまった時もそうだが、ジェイダは自分の非や負の部分を素直に認める。そういうところは、ジェイダの良いところだ。しかし。
「貴女のその、何を言っても怒っているように見えるのは欠点ね。勿体ないわ」
実際にイザベラは彼女をいつも不機嫌で鉄仮面な、面倒で厄介な女だと誤解していた。
「性分でございますので。直りません」
「そうかしら。そんなことないと思うけど」
イザベラは首を横に振った。現に自分は変わってきている。
「自分の嫌なところも分からないでいたり、変わる気がなければ変わらないけど。なりたいって思ったら変われるのよ、きっと」
まだ変わる最中ではあるけれど、変われると信じている。直らないと決めつけるのは損だと思う。
「確かに。イザベラ様はお変わりになられましたね。今までは気位が高く、傲慢で鼻持ちのならなくて、扱いやすい生徒でしたが……」
「扱いやすかったの!?」
前半は予想通りだったが、最後の意外な感想に思わず突っ込みを入れた。
「ええ。プライドが高いので、そこをくすぐれば簡単に挑発に乗りましたから。難しい課題をやらせるのには重宝しました」
「うう」
確かに。負けず嫌いのイザベラは、ジェイダに「こんなことも分からないのか」「これくらい出来るだろう」と言われれば言われるだけ、意地でもやってみせたが。どうやら手のひらで転がされていたらしい。
「先ほどの情けない顔、と言ったことですが」
「うん」
わざわざ蒸し返してきたのだから、それも非難ではなかったのかもしれない。
「少しの間離れるくらいでなぜ泣きそうな顔をするのか、私には理解出来かねただけです」
……泣きそうな顔。イザベラは自分の頬に手を当てた。
「泣きそうな顔なんてしてた?」
「しておりました」
前にエミリーにも言われたことがある。自覚のないままに色々と顔に出てしまっているらしい。
ほんのりと熱の上った頬を持て余していると、はあ、とジェイダの溜め息が降ってきた。
「四六時中、共にいる関係などあり得ません。戻ってきてから昨日のような甘ったるいやり取りなりなんなりとすればいいでしょう」
苦虫を嚙み潰したような顔で吐いた言葉は、肯定的だった。
「あら、そんなことを言っていいの? お父さまやお母さまからセスと引き離すように言われているんでしょう?」
「いいえ……と言いたいところですが。それも選択肢に含まれてはおりましたね」
選択肢。つまり幾通りかの想定があるということだろうか。
「私への旦那様と奥様からの命は、イザベラ様とセスの仲を探ること。セスがどういう行動を取るのかの報告すること。それとこれは奥様だけからの命ですが、見極め、最善を選ぶこと」
「最善って」
イザベラは大きく目を見開いた。そんなイザベラにジェイダが少しだけ口角を上げて、立てた人差し指を自分の唇に当てた。
「まだ見極めておりませんから、何が最善かも選んでおりません」
凪いだ湖畔のような瞳に、ほんの少し面白がるような光が揺らめいた。
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