48 戸惑い
どうして急にイザベラの態度や考えが変わったのか。それはセスの心にずっとつきまとってきたきた疑問だった。
別に変化が嫌なわけじゃない。むしろ好ましいと思う。
ただ最近のイザベラは時々妙に大人っぽくて、セスは置いていかれてしまったような気分になっていた。
大人びて綺麗になっていくイザベラ。それなのにいつまでも子供の自分に苛ついて、ジェームス王子と比べては自己嫌悪に陥っていた。
地位、駆け引き、考え方。全てがセスより上で、セスよりも大人の王子。
彼にイザベラを渡したくない。負けたくない。追い越したい。
そのために早く大人になりたくて。
剣術大会で爵位を貰うことは、その第一歩だった。絶対に爵位を手に入れて、イザベラに並ぶんだとひそかに息巻いていたのに、エヴァンにコテンパンにやられ、ぐうの音も出ないほど子ども扱いされてしまった。
ショックだった。面白くなくてふてくされた。そこへ一番笑われたくないイザベラにまで笑われて、焦った。どうしてだろうと思った。それがつい、口をついて出たのだ。それだけ。
それが思った以上にイザベラに影響を与えてしまって、セスは少し焦った。
「未来……? 高熱で寝込んでいるときに見た夢の話ですか?」
よほど怖い夢だったらしい。怯えたような表情を見せているイザベラが、こくりと頷く。その仕草がなんだか幼い。
ヤバい。なんだこれ。
セスの中で自分でもわけが分からない、猛烈な感情が暴れ始めた。
いつもは気の強そうな眉とまなじりを、不安そうに垂らしている。
セスの服の裾を、小さい子のようにきゅっと掴んでいるのが、頼られている気がして嬉しい。少しだけ摘まんでいる掴み方がいじらしい。可愛い。
自分の余計な一言で不安がらせてしまったのに。感じているのは、変なことを言うんじゃなかったという後悔よりも、どうしようもない庇護欲と独占欲というか。
細い肩に手を回して、抱き寄せて大丈夫だよって言ってあげたい。反面、もう少しいじめて、もっと頼らせたい。腕の中に囲い込んで、自分だけのものにしてしまいたい。
こんなの、おかしい。こんな風に思ってはいけない。
そう思うのに、止まらない。
どうしたらいいんだ、これ。深呼吸かな。駄目だ、変わらない。
「未来の私は馬鹿だった。惨めだった。今まで私が信じていたものは脆くて、上辺だけで、本物じゃなかったんだって思い知ったの」
話ながらイザベラが語尾と肩を震わせた。夢の話なのに、ずいぶんと実感のこもった声に思える。まるで本当に酷い体験をしたみたいだ。
「今までの私のままじゃ、夢で見た未来が現実になってしまう。それは嫌。だから変わろうと思ったの。変える努力をしているの」
夢に怯えている様子のイザベラがやけに儚くて、頼りなくて。セスの中で暴れている言いようのない感情がさらに膨らんだ。
守りたい。守ってあげたい。
いや、違う。自分が守ってやりたい。守ってやらないと。
以前からイザベラは守りたい存在だった。自分の命の恩人で、絶対的な主人。命に代えても守りたい、守らなければならない人。
それは下から見上げるような、崇拝の気持ちだったのに。
今セスの中にあるのは、自分が守ってやらないと、という上からの気持ちだ。
『いいか。お前は犬だ。人間のイザベラと私はお前の主人だ。拾ってやったイザベラとお前を養ってやる私に感謝しろ。尽くせ。いいな』
『汚い野良犬。駄犬。お前とイザベラは同じ空気を吸っていても、違う存在。違う生き物なのだということを忘れるな』
イザベラに拾われてから、トレバーに何度も何度もそう教え込まれて、セス自身も納得していた。主と使用人。その立場は永遠に変わらない。そう思っていた。
それが降ってわいたように、違う未来を提示された。
もしかしたら、と希望を持ってしまってから、欲も生まれた。
いいや。きっとその前からだ。
「セス。変わった私は嫌? それとも今までの私が嫌だった?」
伏せていた長いまつ毛がふるふると揺れた。ゆっくりと上がって、まつ毛の下から潤んだ瞳がセスを見つめてくる。
「違います! どちらのお嬢様も嫌なわけがありません」
セスは勢いよく首を横に振った。
「本当に?」
「当り前です。お嬢様を嫌うなんて有り得ません」
それだけは断言できる。その反対はあるかもしれないけれど。
イザベラはこれから、どうあがいても王子に婚約破棄されてしまう。
セスがイザベラを望まなくても、アメリアだけと結婚したい王子は邪魔なイザベラを排除する。それこそ最悪の場合、イザベラが見た悪夢のようになるかもしれない。
それだけは駄目だ。絶対に避けなければ。
セスがイザベラを望んで剣術大会で王子の望み通りの結果を出せば、円満な婚約解消の末、セスに下賜される。イザベラ自身がそれを望まなくても。
そうなったらイザベラは泣くだろうか。使用人なんかと一緒になりたくないと喚くだろうか。
そんなイザベラを、セスは慰めて、自分のものにしてしまうのだろうか……?
……それは、嫌だな。
「嬉しい。良かった」
セスの目の前で、ぱあっと花が咲いた。誇張でも比喩でもなく。
この笑顔が自分のものであってほしい。一度生まれてしまったそんな欲は消えない。
でもそれ以上に、この笑顔を守りたい。
泣かせたくない。
王子を想って泣くイザベラを慰めるんじゃなくて、自分を好きになってもらって、笑顔のイザベラを抱きしめたい。
こんな風に、ほしい、したい、と願うことなんて今までなかったのにな。
「悪夢なんて来させません。俺が守ります」
飴の袋を持っていない手で、セスはイザベラの手を取ると唇を寄せた。手の甲に唇を押し当てて、ちらりと反応を見る。
そこには、真っ赤になったイザベラがいた。さっきまでとは違う様子で、唇と体を震わせている。
可愛くて、こんな反応をさせたのが自分だと思うと妙に嬉しくて、ふっと口元が緩む。
「せっかくだから、お土産食べませんか? 俺も一つ貰いますから」
あまり困らせては嫌われてしまう。セスはイザベラの手を離して、代わりに飴の袋をかかげた。
「どうぞ」
「えっ? あ、う、うん、じゃあこれ」
まだ顔の赤いイザベラが、おずおずと手を伸ばして青い飴玉を一つ摘まむ。
モンスターの襲撃の後。自分の不甲斐なさでイザベラを危険にさらしたのに、無償の信頼と笑顔を向けられたあの時。
――絶対に幸せにしてみせる。
そう誓ってから。幸せになるイザベラを見守るのではなく、必ず幸せにするのだと誓った、あの時から。セスはイザベラを見上げるのをやめた。
イザベラも、セス自身も変わり始めている。
「甘い」
飴玉を口に入れたイザベラの一言が、ぽつりと吐き出される。ほんのりと桜色の頬を膨らませて、ころころと飴玉を転がすイザベラの横で、セスも黄色い飴玉を摘まんで、口に放り込んだ。
安い飴玉は酸味も風味もなくて、ひたすら甘かった。
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