47 違和感
「お帰りなさい!」
独りの時間をもて余していたイザベラは、ノックの音に喜んで扉を開ける。するとそこに立っていたのは、見たことがないくらい不機嫌そうなセスだった。
「どうしたの。何があったの?」
初めて見せるセスの表情にイザベラは驚いた。
「別に何でもありません」
セスがちらっとイザベラに視線を向けてから、逸らした。眉間にしわをよせ、斜め下の地面を睨む。
「はははは! 拗ねるなよ、坊主」
隣に立つエヴァンが頭に手を伸ばして、ぐりぐりと乱暴に撫でると、セスの眉間にさらにしわが寄った。何かの袋を握りしめた手が、ぴくぴくと揺れている。
「拗ねてなんかない」
拗ねてる! 絶対拗ねてる! あの温厚で怒らないセスが。うそ。一体何があったの。
むすっと唇をとがらせているセスの、子供っぽい姿が可愛くて、テンションの上がったイザベラだったが、はっと我に返った。
「エヴァン様!」
「おっと。何ですか、イザベラ嬢」
眉を上げてエヴァンに詰め寄る。
「何ですかじゃないです! セスに何をしたの! 場合によっては許さないんだから!」
こんなに不機嫌になるなんて、相当なことをされたのかも。もしもそうなら、許せない。
「わはは。すみません。男同士の秘密です。な、坊主」
イザベラに降参、と両手を上げてから、エヴァンはセスの肩に手を回す。
「知るか」
セスが吐き捨てるような言葉と共に、嫌そうにエヴァンの手を振り払った。
セスらしくない乱暴な仕草に、ますます驚く。
「また明日な、坊主。ではイザベラ様。護衛騎士をお返ししますね」
「えっ、ちょっとエヴァン様」
慌てるイザベラに向かってにこやかに一礼すると、退出してしまった。
パタン。目の前で扉が閉まってしまうと、イザベラは肩を落として大きく息を吐いた。
結局、何があったのか聞けなかった。エヴァンは、はぐらかすのが上手くて困る。
仕方なくセスに聞こうと、振り返ると。
「……セス?」
目の前にぶら下げられた袋があった。意味が分からないし、そもそも何の袋だろう、と首を傾げて袋をかかげるセスを見る。
「エヴァン様からのお土産です」
イザベラの鼻先に袋を突き出し、セスが普段通りにふわりと微笑む。中身が見えるように袋の口を開いた。
「飴?」
袋の中を覗いたイザベラは、ますます首を傾げた。本当だ。袋の中には、色とりどりの丸い飴玉がいくつも入っている。
「飴がお土産って、小さい子どものお土産じゃない」
「そうなんですよ」
セスの口の両端が下がった。
「あの人ずっと俺を子供扱いなんです。それで怒ったら、飴買ってやるから機嫌直せですよ。俺のこと、十歳くらいだと思ってるんじゃないですか」
十歳。
イザベラの感覚は、分かる分かる。十歳扱いはないわよね、とうなずいた。
一年だって長いのに、二年。背だって全然違うし、ダンスもずっと上手くなった。
十歳と十二歳は、天と地ほどの差がある。
麗子の感覚は、吹き出しそうになった。
いやいや、一緒。二歳差なんてないのと同じじゃないの。十歳も十二歳も変わらないって、とツッコミを入れる。
日々の生活を繰り返して、嬉しくない誕生日を二回迎えた、それだけ。
成人していた麗子としては、十歳も十二歳もどんぐりの背比べだ。
この場合の正解は、イザベラとしてセスに共感することだろう。
分かってはいるけれど。
イザベラはセスの顔を見る。口をへの字に曲げた、ふてくされた顔。すごく子供っぽい。
「ぷっ。やだもう。セスったら可愛い」
我慢できずに吹き出してしまった。
「お嬢様まで」
不服そうに唇を尖らせる。そんなセスがますます子供っぽくておかしい。イザベラは片手を口に当てて、ふふっと笑った。
「だって。エヴァン様が子供扱いするのは当たり前よ。私たちは子供なんだもの。そういう時はね、はいそうですかって流せばいいの。むきになって否定するほど子供だって証明してるようなものよ」
きっとエヴァンはそういうところを面白がってからかったんだろう。
「……」
「どうしたの?」
ふと見ると、セスの顔からふてくされた表情が消えていた。じっとイザベラに視線を注いでいる。
「お嬢様は、本当にお嬢様ですか」
「え?」
意味深なセスの質問に、心臓がどくどくと波打った。
「あ、いや。お嬢様はお嬢様なんですけど。なんか違うというか……すみません、何を言っているのか分からないですね」
頭から血の気が引いていく。
さっきのイザベラは麗子としての考えと行動をした。それを違和感としてとらえられてしまった。
違和感は小さなものだろうから、セスとしても正体が掴めていないのだろう。青い瞳を自信がなさそうに揺らしていた。
「今までのお嬢様だったら、子供扱いされても流したらいい、なんて言いませんでした。エミリーさんみたいな人をずっと侍女にしているのも……エミリーさんはいい人です。でも、以前のお嬢様だったら絶対に辞めさせていました」
ゆっくりと、たどたどしく、考え考えセスが続きを口にする。
「爪を噛む癖だって、さっきの笑い方だって、今までしたことがなかったじゃないですか。お嬢様が高熱を出された後から、なんだかお嬢様が、俺の知っているお嬢様のようで、そうじゃないような。ああ、もう、何を言ってるんだろう」
セスが顔をしかめて、くしゃっと髪をかきあげた。
それは正解だ。今のイザベラと前のイザベラでは、同じであって同じじゃない。麗子の記憶があるから。
どうしよう。
「セス……」
震える指先を止めたくて、イザベラは両手を組み合わせた。
言うの? イザベラは一度死んだのだと。前世の、麗子の記憶があるのだと。
セスに打ち明ける?
アメリアを陥れて、それがバレて、婚約破棄されて、奴隷に落ちた未来を?
両親から疎まれて、心も体もどろどろに汚れた、麗子の人生を?
自分は、本当は汚くて醜くて、どうしようもない人間だと。
大好きな人に、話すの?
そんなこと、言えない。話せない。
気のせいだと笑い飛ばしてしまおう。今ならきっと誤魔化せる。
「……未来を見たの。とても怖い未来を。未来の私はアメリアに酷いことをして、殿下に婚約破棄されて、奴隷に落ちたの」
気がつくとイザベラは、セスの服の裾を掴んでいた。
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