43 クッションの攻防
「それでは少し坊主を借りますよ」
恐ろしい表情で睨むジェイダをエヴァンが華麗に無視。ぽん、とセスの肩に手を置いた。
「学園寮なら安全でしょうとは思いますが、少しの間は護衛が不在になります。ジェイダさん、エミリーさん、お嬢様を頼みます」
エヴァンの横に立ったセスが深々と頭を下げる。
「はぃっ! イザベラ様は私がお守りしますです!」
「私は護身術も嗜んでいます。貴方に頼まれなくても守ります」
ビシィッと音がしそうな勢いでエミリーが力こぶを作り、ジェイダの方は冷めた視線でさっさと行けと促した。
「それは頼もしいですね。じゃあ行こうか、坊主」
後ろ髪を引かれる様子のセスの背中をエヴァンが押す。
「あ……」
イザベラはセスを呼び止めようと口を開きかけ、また閉じた。
トレバーに何を言われたのか、聞き出したい。けれど、ジェイダとエヴァンがいる場で聞いてもいい内容かどうか判断がつかなかった。
何度も振り返るセスを、イザベラは黙って見送るしかなかった。
行ってしまった。
寂しいような、セスを追いかけたいような。
でも少し怖い。
剣術大会の決勝に残ってジェームスに負ければ、イザベラと吊り合う爵位を貰える。
そうすれば。
堂々とセスと結婚できる。
だけど。セスはそれを本当に望んでいるのだろうか。
トレバーがセスに囁いたこと。
あれが『王子に嫁げなくなった娘と結婚しろ』という脅しだったら。きっとセスは断れない。
それでもイザベラはセスと一緒なら幸せだけど。セスは幸せだろうか。
そこまで考えて、イザベラはぶんぶんと首を横に振った。
馬鹿らしい。ちっともイザベラらしくない。
セスが結婚したくなかったら、したいって思わせればいい。幸せじゃなかったら、幸せにしてみせるまでだ。
欲しいものは必ず手にする。私は悪役令嬢のイザベラなんだから。
そんなことを考えているうちに、部屋に着いていた。制服を脱ぐと横から手が伸び、当然のような顔でジェイダがハンガーにかけた。彼女の横顔をイザベラは睨みつける。
ジェイダがいなければ、エミリーに相談できるのに。お父様の回し者なんていたら、セスにアタックも出来やしない。どうやって追い出してやろうかしら。
硬く無機質な黒縁眼鏡に全部跳ね返されているのか。肝心のジェイダは、棘のあるイザベラの視線など気にした様子のない無表情だ。
「エミリー、お茶の用意をして」
エミリーがパタパタと部屋着を持ってくる。着替えてソファーに腰かけたイザベラは、いつも通りにお茶を頼んだ。
「はいぃ……ひゃうっ」
エミリーが嬉しそうに元気よく返事をして、給湯室に向かおうとする。が、ジェイダに阻まれる。驚いて変な声を出した後、恐る恐るジェイダを見上げた。
「何ですか、その返事は。返事は、はい、でしょう」
「ふぇっ」
ただ立っているだけなのだが、妙に迫力のあるジェイダに気圧され、エミリーが後ずさりした。
「ふぇっ、ではありません。はいです」
「はいぃ」
上ずった声で返事を返すと、ジェイダの眉がぴくりと跳ねた。
「語尾を伸ばすのではありません。はい」
「はい」
無表情に抑揚のない訂正が、余計にエミリーを縮こまらせたらしい。エミリーの「はい」は、蚊がなくようなものだった。
「声が小さい」
「はい!」
すっかり涙目になったエミリーが、ビクッと背筋を伸ばした。
邪魔者の癖になんて偉そうなのだろう。もう我慢できない。イザベラはソファーから立ち上がった。
「ちょっとやめなさい、ジェイダ。エミリーが怖がっているじゃないの」
エミリーを抱き寄せると、ジェイダを睨んだ。
「怖がるくらいで丁度いいのです。この娘は全くなっておりません」
「エミリーはなってないくらいの方がいいの!」
最初は確かにイライラした。しかし、何もかも完璧になったエミリーなんて、エミリーらしくない。それにもし、言葉遣いや侍女としての仕事が完璧になったとしても、ビクビクとイザベラの顔色を伺うエミリーなんて嫌だ。
「ふえぇ、お嬢様ぁ……あれ、なってないくらいの方がいい……?」
イザベラに庇われ、ほっとした顔でぎゅっと抱きついてきたエミリーが、首を傾げた。
「なりません。サンチェス公爵家の侍女なら、それ相応の品格が必要です」
「エミリーは素朴さが可愛いの。落ち着くの! ああもう、気分が悪い。貴女みたいにつんけんした侍女が側にいたら、休めるものも休めないわ。出て行きなさい」
「私の主人は奥様と旦那様です。お嬢様の命令は聞けません」
「何ですって」
ああもう、腹が立つ。イザベラは側にあったクッションを掴むと、ジェイダに向かって投げた。
「ちょっ、お、お嬢様ぁっ」
エミリーがあわあわと手を伸ばしてきたけど、遅い。エミリーの手はクッションにかすりもせず。クッションは滞りなく、ジェイダの顔に向かった。
しかしジェイダは、顔色一つ変えずに片手を上げると、眼前でクッションを掴み取った。
「その行動は淑女らしくありませんよ」
「淑女らしくなんてなくて結構。クソくらえよっ」
イザベラは、くいっと眼鏡を定位置に戻したジェイダからクッションを奪い返すと、振り上げた。
「ひゃああぁっ、お嬢様、ストップでございますですっ」
クッションを捕まえようとしたエミリーの手が、ワンテンポ遅れで宙を切る。
ぼすん。
またもや片手で受けたジェイダの目が、眼鏡の向こうで吊り上がった。
「なんて汚い言葉を!」
ぐいっとクッションを引っ張って奪い、今度はジェイダがイザベラを狙う。
「ジェイダ様まで駄目でございま……ふにゅうっ」
ぼふっ。ジェイダが投げたクッションは、バタバタと間に入ってきたエミリーの顔面にヒットした。
「エミリーに何するの!」
床に落ちたクッションを拾ったイザベラは、投げずにクッションを持ったまま振り回した。
「このこのこのこのっ」
「そん、な、こう、げきが」
ぼふっ、ばふっ、ぼすっ、ばすっ。
クッションの高速連打を、ジェイダが片手で全て叩き落とす。
「もおおっ!」
「通じますか!」
業を煮やしたイザベラの渾身の力で突き出したクッションは。
ジェイダが手刀で横に逸らし。
「だからやめてくださいますで、ぶふぅぅうっ!」
「あ」
「……」
イザベラの力とジェイダの力が上乗せされた状態で、エミリーに吸い込まれた。鈍臭いエミリーが上手く衝撃を受け止め切れるはずもなく。
「きゃー、エミリー!?」
「エミリー」
バタン。
そのまま後ろにひっくり返った。
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