41 敵か味方か味方か敵か
騒がしいと思っていたら、突然部屋の扉が乱暴にノックされ、イザベラの返事も待たずに開いた。
「お父様! 突然どうしたのですか」
音をさせないための絨毯が敷いてあるにもかかわらず、ドスドスと廊下に足音を響かせてやってきたのは、トレバーだった。
「セスはどこにいる」
低く軋むようなトレバーの声と、爆発前のぴくぴくと痙攣しているこめかみと口元が怖い。
イザベラにとって実の父親だというのに……いや、実の父親だからこそ怖かった。
「……何の用事ですか。セスを呼ぶ理由をお聞かせください」
足が震える。手足が冷たくなる。それでもイザベラは背筋を伸ばした。
怖い。怖いけど、このままトレバーをセスに会わせては駄目だ。
「旦那様! 私ならここにおります!」
お茶を淹れるために、隣の給湯室にいたセスが、飛び出してきた。それを目にした途端に、トレバーの眉がキリキリと上がる。
「この駄犬!」
トレバーが拳を振り上げた。動けないイザベラはひゅっと息を飲み、セスは歯を食いしばって衝撃に備える。そこへ。
「ちょっと通してくれないか?」
「困ります」
コンコン。ノックの音が響いた。
「誰だ」
拳を振り上げたトレバーが、怒りを殺して問いかける。
「失礼、サンチェス公爵。ジェームス殿下の使いの者です」
落ち着いた成人男性の声だった。
「悪いが今取り込み中でね。後にしてくれ」
「そうはいきません。至急用件を伝えよとの殿下のご命令ですので」
渋々、トレバーが拳を下ろした。
「入り給え」
「ありがとうございます」
開いた扉からにこやかな顔を見せたのは、ジェームス王子の護衛騎士の一人だった。
金髪碧眼の二十代後半の青年で、背は高く肩幅も大きい。しかし瞳に優しそうな色が浮かんでいるせいか、威圧感はなかった。
セスが青い目を見開き、ぽつんと呟いた。
「貴方は」
「よ、坊主」
驚くセスに軽く片手を上げると、目線をトレバーに戻した。
「お取込み中とのことですから、単刀直入に言わせてもらいます。殿下の勅命でセス・ウォードの剣術指南に遣わされました。エヴァン・シアーズです」
護衛騎士エヴァンの名乗りに、トレバーが苦虫を嚙み潰したような顔になる。
イザベラはシアーズという家名に驚いた。
現シアーズ公爵は前国王の弟だ。サンチェス公爵家は国創設時からの由緒ある貴族だが、王族公爵には敵わない。
「シアーズ公爵家の令息に、うちの護衛騎士の剣術指南などさせるわけにはいきませんな。その旨を殿下に伝えて頂きたい」
相手が格上の家柄とあって、トレバーも無下には出来ないのだろう。丁寧に断りを入れた。
「いえいえ。シアーズ公爵子息といっても五男です。公爵家の跡継ぎは兄たちで十分間に合ってますからね。家名は飾りだと思って下さい。私は剣を選んだ身の気楽な立場ですから、どうぞお気になさらず」
明らかに歓迎していないトレバーに対し、エヴァンはにこやかだ。
「しかし……」
「それと、殿下の護衛は私の他に手練れが数人います。ご心配には及びません」
口を開いたトレバーに、言葉をかぶせて封じ込める。口を閉じたトレバーが、エヴァンに鋭い眼光を向けた。
イザベラは二人のやり取りをぽかんと眺めた。
何。この人。すごい。
今、お父様の先回りをしたのよね?
家名で牽制してから五男という自分の立場を明かし、家柄を理由に断ることが出来なくした。
何が何やら状況はつかめていないが。
あのお父様がやりこめれている。それだけは分かった。
「失礼、イザベラ嬢。説明が遅れましたね。実はジェームス殿下と貴女の護衛騎士セス・ウォードに剣術大会出場の話が来ているのですよ」
「剣術大会にセスが、ですか?」
イザベラは戸惑いながら聞き返した。剣術大会は毎年行われているが、二年生からしか出場出来ないはず。
「うぉっほん」
トレバーがわざとらしく大きな咳ばらいをした。
「そうだ。先ほど殿下からお話を頂いたのだ。モンスターを倒した殿下とセスは、特例で参加できるとな。セス!」
「はい」
セスが背筋を伸ばした。胸に手を当てて、トレバーに礼をとる。
「出るからには死に物狂いでやれ。上位にも入れんかった時には、放り出してやる。いいな」
「はい。必ず」
強張った表情で頷くセスにトレバーが近づいた。耳元に寄せて何かを囁く。
何を言ったのかは聞き取れない。イザベラは後で聞くことが出来るので、エヴァンに聞かれないようにだろう。
トレバーはイザベラの父親だ。本来は家族で味方。なのに、どうも嫌な予感がする。
「サンチェス公爵。そろそろお帰りにならないといけない時間じゃないですか」
エヴァンの視線がわざとらしく、備え付けの時計に向いた。
「此度は殿下の婚約祝いに駆け付けて下さり、ありがとうございました。急な滞在で公務を圧迫しているそうじゃありませんか。大丈夫ですよ。詳しい事は私から説明しておきますので、公爵はどうぞお戻りください」
まただわ。お父様がこれ以上何か言わないようにした。
イザベラの心臓がどくどくと波打った。
トレバーはセスに何を言ったのだろう。エヴァンはそれをやめさせようとしている?
「そうですな。説明は任せて、代わりに私は娘との別れを惜しむとしよう。イザベラ」
エヴァンを横目に見たトレバーが、大きく眉を跳ね上げてから、わざとらしくゆっくりとセスから離れた。冷たい色の青い目でイザベラを見据える。
「殿下のご決断でお前の立場も変わるかもしれん。これからはそこの侍女だけでは不十分だろう。お前にはもう一人侍女をつける」
「必要ありません。侍女は一人で十分です」
他の侍女なんて冗談じゃない。イザベラは首を横に振った。
「可愛いイザベラ。これはお前の為なのだよ。異論は認めん。ジェイダ、入ってこい」
温度のない青い目が細く弧を描き、形ばかりの笑みを作る。有無を言わせずに、扉の向こうに声を張り上げると、二十代後半の女性が入ってきた。
よりにもよって、ジェイダを寄越すなんて。
側についた侍女をことごとくクビにしてきたイザベラだったが、ジェイダは例外だった。ジェイダは母がつけた家庭教師で、彼女だけはイザベラの我儘でやめさせることが出来ない存在だったのだ。
「では、急ぎますので私は失礼する」
そうして嵐のようなトレバーが去って行った。
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