40 お気楽馬鹿娘と傀儡王子
扉が閉まり、公爵が王子の部屋から立ち去る音を『神様』はアメリアの中で聞いた。
もう出てもいいかな。いやいや、まだ隠れていた方がいいかも。だってあのおじさん、なんだか怖いし。
迷うアメリアの思考を読み、さっさと出て行けばいいものを、と『神様』は笑う。
アメリアを通して外の情報は勿論、彼女の思考も知識も全て筒抜けだ。しかし『神様』はそれを言わない。彼女から話しかけられない限り、彼女に話しかけない。自分の心の中を全て覗かれていることを悟らせない。
出るべきかもう少し待つべきか、アメリアの心が二つの選択肢を行ったり来たりしている内に、扉が勝手に開かれた。
「いつまでそうしているつもり? 出ておいでよ」
驚きでぽかんと間抜けな顔をさらすアメリアの前には、くすくすと笑うジェームスがいた。
「ジェームス様! ありがとうございます。イザベラ様を守ってくれて」
「わっと」
感謝と一緒に飛びついたアメリアを受け止めて、ジェームスが表情をとろけさせる。
「アメリアのためなら当然だよ」
少し頬を染めて嬉しそうに笑った。その様子に、アメリアがお気楽で甘い思考を垂れ流した。
さっきまで隙のない王子様だったのに、可愛い~。『ローズコネクト』のスチルよりこっちの方が断然いいよね。ゲームのジェームス様も素敵だったけど、純粋っていうか、幼くて可愛いんだもん。
それは単に今のジェームスの年齢がゲームの設定より幼いからだろうに。馬鹿な娘だ。
「?」
腕の中のアメリアがじっと顔を見つめたまま動かなくなり、ジェームスが首を傾げた。
ゲームの王子様!って笑顔もいいけど、こういう素の表情もいいよね。転生して良かったぁ。ゲームじゃこんな表情、見られないよ。
あーほんとにこの世界は本当に夢みたい。皆優しくて、大事にしてくれる。失敗したって「もう、仕方ないんだから」でおしまい。何をやってもいい方に解釈してくれて、好感度が上がるだけだもの。
ゲームの世界に転生するって最高。
胸やけしそうなほどに甘ったるく生温かさに満ちたアメリアの心が、ますます浮き立つ。それを感じながら、『神様』は鼻で笑った。
ゲームは餌だ。
都合のいいストーリーを好み、異性を見た目で選び、怪しい選択肢のボタンを疑いもなく押すような娘を釣り上げるための。
おかげで、ふわふわとおめでたくて無防備。ぬるま湯に浸かって苦労を知らず、騙されたこともなくて無条件に人を信じる。そんな操りやすいお気楽馬鹿娘が釣れた。
「それにしても、イザベラを助けてくれだなんて。君は人がよすぎるよ。相手は正妃候補のイザベラだ。君にとっては敵みたいなものなんだよ」
困ったような呆れたような、複雑そうな顔のジェームスにアメリアが笑って答える。
「イザベラ様は敵なんかにならないですよ。友達ですから」
一緒に誘拐されてモンスターから逃げたことで、アメリアの中からイザベラの冷たくて怖いゲームの悪役令嬢という印象は、すっかりどこかへ行ってしまった。
キツイ美貌と完璧すぎる所作、物言いから誤解されているけれど、イザベラ本人はいい人だ。
ヒロインのアメリアにはハッピーエンドが約束されている。何もしなくてもジェームスとハッピーエンドが迎えられる。どんなイベントもアメリアの都合のいいように用意されているし、攻略対象たちや周りの人たち皆が好意的だ。
悪役令嬢のイザベラ様は可哀想よね。逆に、何をしても王子に嫌われてしまうんだもの。
「イザベラ様がジェームス様を好きなんだったら、ちょっと困ってしまいますけど、彼女が好きなのはセス様ですしね」
でもでも『神様』が、イザベラ様がセス様を好きになるシナリオに変えてくれて良かったぁ。『神様』ありがと。
ジェームス様にも教えてあげたら喜んでくれたし、イザベラ様とセス様がくっつけば、二人はハッピーエンド。ジェームス様の婚約者は私だけになる。私だけを愛してもらえる。ウィンウィンで皆ハッピー。最高よね。
「それには驚いた。まあ、僕もセス・ウォードにイザベラをやるつもりだったからいいんだけど」
「やるって、ジェームス様! イザベラ様は物じゃないんですよ」
ぷくっと頬を膨らませたアメリアが、ジェームスを軽く睨んだ。
「……令嬢なんて物みたいなものさ。見た目だけが綺麗なお人形。政治の道具だ。それが貴族の世界なんだよ、アメリア。そしてそれを言うなら、僕も同じなんだ」
「ジェームス様……」
寂しそうな笑みを浮かべるジェームスに、アメリアの心がきゅんと震える。
「駄目だね。君の前だと本音が出る。王子様でいられない」
アメリアが目を瞑り、視界が閉ざされる。すう、と深呼吸を一つ。再び目を開いた。
「ジェームス様、ちょっと言葉遣いを元に戻していいですか?」
「アメリア?」
驚いて見開かれるジェームスの目を、アメリアが真っ直ぐに射抜く。
「あのね、ジェームス。最初からジェームスは王子様じゃなくてジェームスだったよ」
はじめてジェームスと会った時、アメリアには前世の記憶なんてなかった。ジェームスも端正な顔をぼさぼさにした前髪で隠し、服装だって普通のシャツとズボン。それもどちらかというとくたびれてしわのあるシャツと色あせたズボンで、王子様どころかちょっとダサい人。そんな人が表通りじゃなくて、裏路地を一人できょろきょろしていた。
「王子様じゃなくて、ジェームス?」
ジェームスが両目を瞬かせる。
「うん」
声をかけたのは困っている人を放っておけなかったから。玉の輿とか、白馬の王子様とかなんて、全く思ってなかった。
だからジェームスも王子としてではなく、ジェームスとして振る舞った。
『神様』はそれを全て見てきた。
ジェームスとアメリア。普通の平民同士としての交流。それは常に王子でいたジェームスにとって、かけがえのないものだったらしい。
この王子は他者に自分の心を見せない、信じない、頼らないように生きてきた。
作り上げた鉄壁の王子像で自分を守っている、孤独な人間。こういう人間を崩すのは、正反対の人間がいい。
両親に愛されて育ったアメリアと、厳しい世界など知らない夢香はうってつけだった。
「そうか。王子様じゃない、ジェームスか」
「そうそう。あんまり難しいことばっかり考えてちゃ駄目」
ほっとしたように息を吐くジェームスに何も考えていないアメリアが屈託なく笑う。肩の力が抜けたジェームスと見上げていたアメリアの額がこつんとぶつかると、二人してくすくすと笑い合った。
ああ、本当にこの二人は可愛くて仕方がない。
『神様』は寄り添う二人を眺めて笑った。
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