38 ジェームスの手札
「平民の娘との婚約とは、どういうことですか!」
学園寮の部屋に響くサンチェス公爵の大きな声に、ジェームスは顔をしかめた。
まったく。麗しい女性の声ならともかく、中年の大声など耳障りでしかない。
「どういうこともこういうこともないよ、公爵。聞いた通りだ」
不快感を押し込め、にこやかな仮面で対応する。軽く、明るく、爽やかに、だ。
「しかし殿下! 殿下は高貴なる王族なのです。何も平民の娘などと婚約などしなくとも、良家の令嬢がいくらでもおりましょう」
はいはい。こういう輩はそう言うと思った。本当に、王族に群がる貴族連中はプライドの高い馬鹿が多い。
「サンチェス公爵」
ジェームス王子は口調を変えず、天気でも言うように公爵の名を呼んだ。ゆったりとソファーに腰かけたまま、品よく足を組み直す。
「アメリアは僕自身が選んだ未来の伴侶だ。平民の娘など、と蔑むのは許さないよ」
口元には令嬢たちに見せているのと同じ、美しい笑み。柔らかいというより軽い口調。威圧はしない。手の内を見せてしまうから。
「も、申し訳ございません。殿下」
それでも怒りが滲んでしまったらしい。対面に腰かけている公爵が顔を強張らせ、慌てて謝った。
「知っているだろうけど、どうやら僕は勇者の再来で、アメリアは聖女の再来らしい。勇者と聖女の婚姻。これは我が王家の始祖と同じだ」
いけない、いけない。アメリアのことになるとついムキになってしまう。気持ちを落ち着かせようと、ジェームスは優雅に髪をかき上げた。
「僕とアメリアの婚姻は神が定めた運命なのだよ。王も王妃もそう言って下さっている。公爵のお前がとやかく言えることではないよ」
王と王妃、を強調して釘を刺す。
キャンベル王国は勇者と聖女が興した国だ。歴史・民話・娯楽・宗教。勇者と聖女の伝説は生まれた時から骨の髄に染み込んでいる。
王家の始祖の再来という称号は、国民の強い支持をもたらす。おかげで国中がジェームスとアメリアを祝福する空気に包まれ、王宮でさえ例外ではない。
かつ、国王公認の婚約だ。公爵も黙るしかないだろう。
「……っ。心得ております。ですから、私は先日、お二人の婚約発表をお祝いさせて頂いたのです。ですが」
公爵の口調が、悲哀を帯びた口調に変わる。婚約は認め、祝っていることを抜かりなく伝えた後、切々と娘を心配する親を演じ始めた。
「婚約発表からたった三日。たった三日で、聖女様が正妃有力候補だという噂を耳にいたしまして」
それは『聖女こそ正妃に相応しい』そういう『意見』をそれとなくあちこちにばら撒いてきたからね。
大げさに嘆いてみせる公爵を眺めながら、心の中でべーっと舌を出す。
王宮にいる頃から、ジェームスはよく城を抜け出している。いつもは綺麗に撫でつけている長い前髪をぼさぼさにして目元を隠し、中古で購入した平民の服で出歩けば、誰にも気づかれたことがない。
それを利用して、今回はあちこちで噂を流してやった。もちろん、一人で流せる噂などたかが知れている。
ジェームス王子として、ご令嬢たちや姦しい侍女たちにもそれとなく匂わせておいた。
「ああ、離れたサンチェス公爵領にも届く噂でございます。侍女の話によれば、我が娘イザベラの耳にも届き、悲嘆に暮れる毎日を過ごしていると。我が娘イザベラの心境を思うと、親として胸が張り裂ける想いなのです!」
公爵の熱弁と名演技は続く。
馬鹿らしい。白々しい。
サンチェス公爵は娘を溺愛している…‥‥というのが表向きで通っている。しかしジェームスは知っていた。この公爵が心から娘を愛していないことを。
なにせ公爵が娘を語る時の目が、父王や兄上とそっくりなのだ。
どれだけ物や金を与えてきたか。愛を注いだか。本人を見ないで語られる、上辺だけ形だけの愛の嘘臭さったらない。
「殿下は我が娘イザベラの婚約者でございます。私はよもや殿下が聖女を寵愛されるあまり、幼少の頃より正式な婚約者であった娘をないがしろになさらないかと、親として心配しているだけなのございます」
この狸め。
アメリアとの婚約を阻止出来ないときたら、今度は国民の同情を買って婚約破棄の牽制ときた。
国王となった勇者は側室を持たず、生涯聖女だけを愛した。そのことは人気の題材となって、数々の恋物語や恋歌を生んでいる。
ジェームスはこれを利用して、ゆくゆくはイザベラとの婚約を解消するつもりだった。
ところが同時に、イザベラが悲劇のヒロインであるかのような噂も流れ始めてしまったのだ。
ちっ。あの女も化かし合いが上手い。
このままだと婚約破棄をしたジェームスの方が悪者になってしまいかねない。せっかく勇者と聖女の婚約を祝うムードなのに、国民の心象が悪くなるのはまずい。
そんな風に忌々しく思っていたのだが。
光をくれたのは、やはり愛しいアメリアだった。
「イザベラのことなら心配には及ばない、サンチェス公爵」
白い歯を見せてジェームスはにっこりと笑う。
「彼女と僕は家同士が決めた幼い頃からの婚約だけれどね、恋心というのは誰にも止められないものだ」
「は?」
『ここだけの話にしてね』
二人だけの時に声を潜めて告げられたこと。
告げ口ではなく、『ただ二人のことを応援したい、どうしたらいいと思う?』そんな相談だったことがアメリアらしくて、可愛かったけれど。
『大好き』だなんて、まさかあの女にそんな可愛いところがあるなんてね。
ジェームスとしてはそちらの方に驚いてしまった。同時に納得もした。自分みたいな者がアメリアをこんなに好きになったのだ。似た者同士のあの女にだって、そういう存在が出来てもおかしくない。
そして、知ったからには、どんなことでも手札にする。それがジェームスだ。
「イザベラの心は僕ではなく護衛騎士にあるらしくてね」
ごめんね、アメリア。君の情報を使わせてもらうよ。
青くなってから赤くなり、今度は白くなった公爵の顔を眺めながら、ジェームスは脳内のアメリアに謝った。
お読み下さりありがとうございます。
本作は、毎週水曜日と土曜日の更新。
(水曜日だと5月6日ですが、前回間違って5日と宣言したので5日に更新しました)
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何かと大変な時ですが、心身ともに皆さまのご健康を祈っております。




