37 都合のいい誤解
スプーンで人参をつつきながら、イザベラは溜め息を吐いた。
「イザベラ様、本当に無理をなさらなくていいんですよ」
ちらりと隣に視線を向ければ、小首を傾げたセスが微笑む。これがどうもいけない。つい甘えたくなってしまう。
なんて情けない。強くなりたいって思ったのに、ちっとも強くなれていない。
はあ。
自然と溜め息が増える。
トレバーが嵐のようにやってきて、さっさと帰ってしまったあの誘拐とモンスター騒ぎから、すでに数か月。イザベラは、学園生活に戻っていた。
といっても、全てが元通りではない。
「そうですわ、イザベラ様。食欲がなければ残せばいいのです」
「残すのが勿体ないなら、食べて差し上げますですよ!」
イザベラに甘いセスと、少しずれたエミリーの進言に割って入った声が一つ。お決まりのメンバーで食べるお昼に、この一ケ月でいつの間にか加わった者がいる。
「ああ、お可哀そうなイザベラ様。ショックで食事が喉も通らないのですわね」
マリエッタだ。頬に手を当てた彼女は、イザベラを眺めて気の毒そうに嘆いた。
マリエッタの前には空になった皿。最初は恐る恐る食べていた彼女だったが、ここ最近はすっかり慣れたもの。貴族王族用の食堂ではなく、庶民の食堂を利用するようになった。
気位ばかり無駄に高かったマリエッタが、である。
あの事件の後、一番変わったのは彼女かもしれない。平民を馬鹿にしないようにする努力もしているし、なんというか物凄く懐かれた。
「無理もないですわ。お慕いしていらっしゃった殿下と友人であるアメリアが婚約してしまったのですものね」
いや。違うから。お慕いしてないから。
二人の婚約はショックどころか、願ったり叶ったり。ガッツポーズものだから。
しかしそれを正直に言うわけにはいかない。イザベラはマリエッタへのツッコミを心の中に押し込め、微笑んでみせる。
「そんなことはないわ、マリエッタ。もちろん少しはショックだけれど、二人のことは祝福しているの。友人のアメリアの幸せは嬉しいことだし、勇者と聖女の再来ですもの。二人が結ばれるのは当然よ」
あの騒ぎで明るみになったモンスターの出現と魔王復活の兆しは、クラーク学園はもちろん、国を揺るがすニュースとなった。
出現したモンスターを倒した勇者のジェームス王子は、英雄扱い。聖女のアメリアも同じくである。
人々の不安を払拭するように、二人は魔王に対抗する希望として祀り上げられた。
モンスターの一体を倒したのはセスだが、そちらは申し訳程度のおまけだ。一応セスも叙勲を受け、男爵の爵位を与えられたが、人々の話題はもっぱらジェームス王子の武勇伝である。
男たちが乗り捨てた馬車で帰る際、ジェームス王子とセスの間で何かしらのやり取りがあったらしい。内容は分からない。馬車の外の会話は聞こえなかったし、セスに聞いても頑として答えてくれなかった。
「婚約を祝福される心がけはとてもご立派です。ですがアメリアは婚約のみならず、正妃候補にまで上がっているのですわよ?」
三日前、二人の正式な婚約発表がなされた。
平民のアメリアが王族の婚約者になるという、シンデレラストーリーに人々は沸いた。
それにより、アメリアがイザベラよりも有力な正妃候補ではないかという声が、噂好きの庶民だけでなく、王宮でも上がっているらしい。
「マリエッタ。貴女まだ平民のアメリアが殿下の正妃なんて、とか思っているのではないでしょうね」
あれだけ選民主義者で、平民を見下していたマリエッタだ。有り得る。
ほんの少し目に力を入れて咎めると、マリエッタが首を横に振った。
「違いますわ。私はイザベラ様のことが心配でなりませんの。このままでは殿下はイザベラ様との婚約を破棄なさるかもしれませんのよ」
ジェームス王子はアメリアとの婚約を、勇者と聖女という立場だけでなく、ただ一人の愛する女性であると公言している。同時に一夫一妻を貫くとも。
その噂は尾ひれはひれ。勇者ジェームス王子と聖女の恋物語はキラキラしく美しく装飾され、吟遊詩人たちがこぞって歌うほど。
婚約発表からたった三日で噂が広まり、歌まで出来た。スピードが速すぎることから、ジェームス王子がわざと広めたのだと、イザベラは思っている。
「殿下との婚約を破棄されてしまったら、イザベラ様はどうなるのです。あんまりですわ」
全く構わない。むしろラッキーだ。
しかしイザベラはジェームス王子の婚約者。全く傷ついてないのもおかしいだろう。ここは無理して笑っている感じを出しつつ、儚い微笑みだ。
「殿下がアメリアの事だけを愛したいと望まれているなら、それはそれで素晴らしいことよ。私は身を引くわ。心配してくれてありがとう、マリエッタ」
イザベラはきつい眉と目じりを下げ、ぎこちなく微笑んでみせた。我ながら完璧である。
「まあ、イザベラ様」
マリエッタの頬がほんのり赤くなり、瞳が潤む。あ、まずい。そう思った時にはもう遅かった。
「なんて出来たお方なのでしょう!」
涙目でガシッと手を握られ、思わず腰が引ける。
「お気を落とさないで下さいまし。私に出来ることでしたら何でもしますわ」
近い、近い、近い。
「あ、ありがとう」
ひくひくと動く頬を抑えつけ、礼を言う。
もともとマリエッタはイザベラの信奉者を演じていた。しかしあの事件の後、どうも本当に信奉者になってしまった感がある。
聞き耳を立てていたらしい周囲からも、小さな囁きが広まっていた。
「自分の婚約者が他の人と婚約したのに、祝福だって。健気!」
「イザベラ様って思ってた印象と違っていつも気さくだし」
「殿下とアメリアの婚約はめでたいけど……イザベラ様はなんか可哀想だよな」
「同情しちゃうわよねー」
よしよし。いい感じに誤解してくれている。
これなら前のように断罪されて婚約破棄なんてことにならないだろう。
イザベラはスプーンに乗っけていた人参を口に放りこむと、独特の臭みを感じないようにとあまり噛まずに飲み込んだ。
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同じ食堂の片隅で、ベリンダがアメリアの肩を叩いた。
「気にしないのよ、アメリア。貴女と殿下が相思相愛なのは皆知ってるんだからね」
「そうそう。アメリアは平民の星なんだから」
「ありがと。平気、平気。気にしてないから」
アメリアはにっこりと友人たちに笑った。
何があっても大丈夫。だって自分には『神様』がついている。きっと何とかしてくれるんだから。
ね? 『神様』
――もちろんだとも。可愛い聖女――
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次回の更新は5月5日。(申し訳ありません、水曜日だと5月6日ですが、5日と宣言したので5日に更新します)
何かと大変な時ですが、心身ともに皆さまのご健康を祈っております。




