33 静かな決意
セスの剣の軌道に合わせて、ガーゴイルの目の部分に横一文字の亀裂が入った。ズズッと目の上部分が滑り始める。
ゴトン。
そのまま顔の上部だけが落下した。一呼吸遅れて残りの部分も倒れると、ピクリとも動かなくなった。
倒した? こんなにあっけなく?
さっきまで斬りつけても斬りつけても浅い傷しかつけられなかったのに。
あっけない手応えに戸惑い、また起き上がってくるのではないかと身構えていたのだが。
「うおおおおおっ」
背後からオークの雄たけびが響き、そちらに意識を向ける。必死の形相でオークが首を捻り、ジェームス王子の突きを紙一重でかわしていた。
あれ? さっき突きを放っていなかったっけ?
ジェームスが突きを放った時にガーゴイルを攻撃したのだから、まださっきの突きということはないだろう。二撃目だろうか。
心の中で疑問をこねくり回している間に、オークの首を剣がかすり、血飛沫だけが上がる。
突きをかわされた王子が無防備になった。
まずい。セスは再び地面を蹴る。そして異変を自覚した。
オーク、王子、護衛騎士たち。その一つ一つの動作が遅いのだ。
勝利を確信してにオークがやけにゆっくりと笑う。くいっと上がる口角、すこしずつめくり上がる唇、剥き出しになっていく歯。それらがはっきりと見えた。
オークの上腕の筋肉が血管を浮かべて盛り上がり、右足が大地を踏みしめ腰が回転する。下半身から上半身へと回転が伝わって、ジェームス王子に拳がうなった。
かわせないと悟ったジェームス王子の表情が、のろのろと歪んだ。
周りの者たちが皆、遅くなっている。
いや、違う。周りが遅いのではなく、セスが加速している。武器も強化されているのかもしれない。でなければ石で出来たガーゴイルを斬れるわけがない。
オークの拳がジェームス王子に到達するまであと少しの距離。そこで追いついたセスは剣を斬り上げた。
笑っていたオークの顔が凍りついた。
王子を殴るはずだった拳が、肘下ごと宙を舞う。その隙に王子が剣を引き戻し、切っ先をオークの喉元へ定めると刺突した。
「グゥオボボォッ……ッ」
喉を刺されて声にならないオークの断末魔が上がった。ズゥンと地響きを立ててひっくり返ると、大きく痙攣する。
「はあっ、はあっ。やった」
やがてオークが動かなくなると、喉元に深々と刺さった剣から手を離し、ジェームス王子が立ち上がった。
「モンスターを倒したぞ!」
ジェームス王子が高々と拳を突き上げる。爆発するようにわああっと歓喜の声が上がった。
「すごい、あのモンスターを一撃で」
「ジェームス殿下、万歳」
護衛騎士たちが口々にジェームス王子を称えるのを聞いているうちに、ゆっくりだった周囲の動きが戻った。
「ジェームス様」
「アメリア」
涙目のアメリアがジェームス王子に駆け寄り、王子が満面の笑みで彼女を迎える。飛びつくように抱き合い、無事を喜びあう二人を護衛騎士たちが見守っていた。
聖女と勇者の麗しい感動の場面だったが、セスにとってはどうでもいい。
「お嬢様、エミリーさ……うわっ」
「おい、やるじゃないか小僧」
離れたところで座っているイザベラとエミリーの側に戻ろうとしたら、護衛騎士にバンっと背中を叩かれた。
「ありがとうございます」
おざなりに礼を言って横をすり抜けようとすると、今度は別の護衛騎士にぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
「あの石の化け物をよく斬ったな。どうやったんだ?」
「あ、いや、俺にもよく分からなくて……」
「なんだと、この」
「助かったぜ、坊主」
「お手柄だなぁ」
「あたっ、ちょっ」
右から左から手が伸びてくる。背中や肩を小突かれ、乱暴に頭をぐりぐりとやられた。まだ成長途中のセスは屈強な大人に囲まれてもみくちゃになった。
「ちょ、ちょっと通してください」
「ああ、ほら、主人の所へ返してやらないと」
「おう、悪かったな」
やっとのことで手荒い祝福から逃れると、誰よりも大切なイザベラは、エミリーの横で背筋を伸ばして座っていた。片手でエミリーを抱え、イザベラがもう片方の手を伸ばした。
「セス」
鈴のような声で呼ばれる。それだけでセスの胸がいっぱいになった。
「お嬢様」
片膝を地面に着き、立てている方の膝に片手を置いて頭を垂れた。その途端。
「セスゥッ、エミリーッ」
ガバッと頭を抱えられた。
「ふえぇぇえっ」
「おっ、お嬢様ぁっ」
セスとエミリーは左右でイザベラの柔らかくて弾力のある胸にぎゅうぎゅうと押し付けられる。
「無事でよかった。皆死ななくて良かった」
耳元でグスッと鼻をすする音と、イザベラの息遣いが首元をくすぐった。
うわぁ、柔らかい。温かい。いい匂いがする。今死んでしまうかもしれない。
ぞくぞくと背筋に走る何かと、自分の体の熱がヤバい。駄目だと思うのに、不謹慎な考えで脳みそが埋まってしまう。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ッ。エミリーは死んじゃいそうだったし、セスだってボロボロになるし」
「申し訳ありません」
涙声の非難に、さあっと浮ついた気分が流れた。セスは力を入れて抱擁から抜けると、イザベラの目を見つめて謝った。
「信じてたわ。絶対にセスが助けに来てくれるって」
少し吊り上がった目が優しく潤む。形のいい小さくてぷっくりとした唇が花のようにほころんだ。
ああ、とセスは思う。
いつでもどこでも助けたい。守りたい。
この笑顔のためなら、どんなことでも出来る。
イザベラは自分の命よりも、何よりも大切な人。セスの全てだ。
ピリッと冷たい感覚が走った。冷ややかな殺気にも似た視線だ。そっと元をたどると、ジェームス王子とアメリアがいた。
『もう一度言おう。お前がその気なら、イザベラをくれてやる。要らないというなら僕はあらゆる手段を取る』
よみがえったジェームス王子の言葉とイザベラの笑顔が、決意させる。
どんなことをしてもイザベラは守る。
たとえイザベラがジェームス王子を好きなのだとしても。セスのことを臣下としてしか見ていなくても。
――絶対に幸せにしてみせる。
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