32 セスの変化
こんなものは単なる気休めだ。
「俺が時間を稼ぎます。大丈夫。エミリーさんと一緒に必ず追いかけます」
それでも出来るだけ恰好つけて表面だけでも取り繕い、セスは微笑んだ。
それからイザベラに背を向け、モンスターから守る位置に立ってから、奥歯を噛みしめる。
これじゃ駄目だ。お嬢様はきっと騙されてくれない。せめてなんともないフリが出来る怪我だったなら。いや、本当にどうにか出来る力が自分にあれば。
痛みはあまりない。その段階は越えてしまって、折れた部分がズクズクと波打っているだけだ。代わりに力が入らない。情けないことに立っているのがやっとだった。
悔しい。こんな有様ではイザベラが逃げる時間さえ稼げない。
「セス……エミリー」
背後からイザベラの呟きが聞こえた。絶望に染まった、声。そんな声は聞きたくないのに。自分が出させてしまった。絶望させてしまった。
「じゃあなぁ、勇者の卵」
オークがジェームス王子に足を振り下ろす瞬間、セスは折れていない右足に力を入れた。背後のイザベラもまた、動く気配。それを感じながら、セスはジェームス王子の襟首を掴み、ぐいっと引き寄せた。
ドン! 爆発したかと思う程の音を立て、オークの足が地面を粉砕した。おびただしい砂煙が一面に広がり視界を覆う。
「アメリアッ! 力を……私に貸しなさいッ」
「は? イザベラ様? 何をするんです!」
イザベラとアメリアの声。辺りに満ちる砂塵が収まりかけたころ、セスの背後で光が爆発した。真っ白な光に塗りつぶされ、何も見えなくなる。
「へっ?」
「何だ?」
光は一瞬だった。眩しくて霞んだ視界を戻そうと瞬きしながら、セスは間抜けな声を出してしまった。セスに襟首を掴まれたままのジェームス王子もまた、同様だった。
どうにも自分の五感が信じられなくて、ぽかんと馬鹿みたいに口を開けて自分の体を見下ろした。
「治ってる……」
折れていた左腕と右足に力が入る。重たかった体が軽い。
「おい、いつまで掴んでいる。離せ」
「ああ、申し訳ありません」
不機嫌そうにセスの手を払ったジェームス王子が、痛そうな素振りも見せずに立ち上がる。彼もまた、怪我が治ったらしい。
「は、え? え? あれ、痛くない、動けますです。どういうこと? あっ、お嬢様っ、きゃうっ」
慌てて振り返れば、エミリーが力の抜けたイザベラの下敷きになっていた。
「お嬢様! エミリーさん」
イザベラに何かあったのか。セスの体からざっと血の気が引く。
「大丈夫よ。ちょっと気が抜けただけ」
じたばたともがくエミリーの下から、気だるそうにイザベラが手を振った。
「すみません、私だけの力では足りなくて。イザベラ様からも少し借りたので疲れたのだと思います」
アメリアが申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ということは、アメリア。まさか君が?」
ジェームスの問いに頷いてから、アメリアが声を張り上げた。
「話は後です。ジェームス様、勇者である貴方の武器に聖なる力を付与しています。今のうちにモンスターを!」
「分かった」
ジェームス王子が銃を戻し、代わりに剣を抜く。倒されていた護衛騎士たちも王子に加勢すべく散開した。
「ジェームス王子が勇者……」
戦いを始めたジェームスたちの後方でセスは剣を戻してイザベラの側に寄った。この場にいた者全員の傷を治した力。あれは伝説の聖女のものだろう。
「……お嬢様」
エミリーの腕の中で眠るイザベラの頬に、そっと指先を触れさせる。
ジェームス王子が勇者でアメリアが聖女なら、王をはじめ国中の民が二人を祝福する。そうなれば婚約者のイザベラはどうなるのだろう。ジェームス王子を想い続けているイザベラは……。
「くそ、硬いな」
王子の苛立つ声にはっと現実に戻った。見れば聖女の祝福があったわりに、戦況はそれほど有利になっていない。
オークとガーゴイルに傷はつけられているが、なかなか致命傷までいかなくて苦戦している。
おかしい。聖女の力は治癒だけじゃない。祝福を受ければ武器の強化、身体能力の底上げがされる。こんなものではないはず。
「あれ?」
そこまで考えて、セスは首を傾げた。
なぜこんなものじゃないなんて思ったのだろう。聖女の力なんておとぎ話や伝説。教科書にも載ってはいるけど、どれほどのものなのかなんて知らないのに。
「おい! 何をぼーっとしている、セス・ウォード! お前も戦え!」
「はっ、殿下」
染みついた騎士の礼をとってから、セスも戦線に加わる。ごちゃごちゃ考えるのは後だ。まずモンスターを倒さなければまたイザベラを危険にさらしてしまう。
ジェームスの剣がオークの腹を薙いだ。やはり浅いが効いてはいる。オークが顔を歪めて片手で腹を押さえ、反対の手を振り回す。
オークの手がジェームスに当たらないよう、護衛騎士が受けるが、弾かれる。どうやら護衛騎士たちの武器は強化されていないらしい。だったらセスの剣も同じだろう。サポートに徹して、王子に倒してもらわなければ。
「くっ、殿下!」
三人がかりでガーゴイルを妨害していた護衛騎士が突破される。邪魔な護衛騎士を振り切ったガーゴイルが、にやりと笑ってジェームス王子に鋭い爪を向けた。
「危ない!」
セスは警告するが、中々仕留められないことに業を煮やしたのか。威力の大きい突きでダメージを稼ごうとしたのだろう。ジェームス王子が、オークに突きを放ったところだった。
「殿下!」
目を狙えばダメージを与えられなくても、動きを止められるはず。
間に合え!
セスは王子とガーゴイルの間に滑り込もうと、地面を蹴る。途端にぐんっと景色が流れた。
なんだ?
そう思った時にはガーゴイルの前に立ちふさがっていた。なぜか普段の自分よりも数倍速く動けている。
まあいい。そんなことよりもモンスターだ。
ガーゴイルよりも背の低いセスは軽く跳びながら、目標に向かって剣を走らせたのだが。
「なっ」
軽くのつもりだったのに、予想以上に高く跳んでいる。慌てて剣の軌道を下に修正すると。
「ぅがアアアアアッ」
ガーゴイルの悲鳴が上がった。
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