26 荷馬車からの逃亡
祝888ポイント、ゾロ目!!
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これからもイザベラたちにお付き合い下さると嬉しいです。
幌に囲まれた荷馬車の中でも、光の具合は分かるものだ。
暗い時にはぼんやりとしか見えていなかったエミリーとアメリアの顔も、随分とはっきり見えるようになった。
「夜が明けてきたわね」
カモフラージュのために結び直していた縄をもう一度解いたイザベラは、二人に声をかけながら外を確認しようと幌をめくった。
幌の外は薄明るく、生えている草や街道の石ころなども視認できるようになっている。これなら逃げやすいだろう。
「完全に朝になってしまう前に決行するわよ」
夜のうちに闇に紛れて逃げるか、明るくなって動きやすくなってから逃げるか。
迷ったが後者を取った。というよりも取らざるを得なかった。なにせイザベラたちが目を覚ましてから数刻も立たないうちに空が白み始めたのだ。
「動いている馬車から飛び降りなきゃいけないけど。止まって休憩中に逃亡よりも、逆に安全かもね」
犯人は二人しかいない。休憩のために止まればどちらかが眠るはず。
その間に逃げれば少しでもリスクが減るかと思ったのだが、追っ手を警戒してか、荷馬車は夜通し止まることがなかった。どうやら御者を交代しながら仮眠をとっているようだ。
「どうしてですか?」
首を傾げて聞いてくるアメリアに、イザベラは答えた。
「休憩していても片方は見張りをするでしょう? 馬車の動いていない静かな時に逃げる物音がしたら、見張りにすぐ気付かれてしまうもの」
ひょいと肩をすくめると、アメリアがうんうんと頷いた。
「なるほど。馬車が動いている間なら、少しくらい物音がしても分かりにくいかも」
「でしょう? それに縄で縛られている人間が、動いている馬車から飛び降りて逃げるとは考えにくいと思うの」
男たちが少し前にこちらの様子を確認した時、縛られたままの状態を見せている。次の確認までの間に逃げればバレにくい。
あくまでバレにくいだけで、実際はどうなるか分からないが、確率は少しでも上げておきたい。
「ということで、実行に移すわよ。最初はエミリーね」
「えっ、なんで私からでございますですか」
「走っている馬車から飛び降りるのよ。上手く降りられずに捻挫なり骨折なりしそう。エミリーだもの」
指名されて目を丸くするエミリーに、身も蓋もない事実を伝えた。
「ああ、それは……」
アメリアが言葉を濁してエミリーを横目で見ると。
「うぅ、それは否定出来ませんでございますですけども」
がっくりと肩を落としたエミリーが複雑そうに認めた。
「でしょ? もしもエミリーが怪我をしたら後から降りた私たちがフォローしてあげる。だからエミリーが一番。アメリアが二番。私が最後よ。飛び降りたらまずその辺の茂みとか木の陰に隠れる。いいわね?」
男の足と女の足だ。馬鹿正直に街道を走って逃げれば、すぐに掴まってしまう。
幸い、森の中というわけではないが、街道の脇には背の低い灌木の茂みや木が生えている。それらに身を隠して、少しでも逃げる可能性を上げた方がいい。
イザベラの指示にこくこくと頷くエミリーと、小さく頷くアメリア。
「よし。善は急げよ。さ、エミリー」
幌を少し上げてエミリーを呼び、飛び降りるように促す。
「はぃぃっ」
幌を持っていない方の手で軽く背中を叩くと、エミリーが恐る恐る荷台の後ろに手をかけた。
「ううっ、怖いでございますです」
しかし青い顔のまま、その姿勢で固まってしまう。
それはそうだろう。動いている馬車から飛び降りるのはイザベラも怖い。
だが、四の五の言っていられない。ぐずぐずと時間をかければかけるほどに、無事に逃げだせる確率が低くなる。
「エミリー。こっちを向いたまま自分の手足を抱えて丸くなって。そう。片手で自分の口を押えて。怖くても声だけは我慢よ」
時間もないし、エミリーの場合は下手に自分で飛び降りたら余計に危ない。
そう思ったイザベラは、エミリーに体を丸めさせて受け身の姿勢を取らせる。
「ごめんね、エミリー」
どんっ。
言われた通り体育座りのような恰好になったのを確認して、エミリーを荷馬車から突き落とした。
「~~~っ」
悲鳴を押し殺し、丸まったエミリーがゴロゴロと転がっていく。
えらい、エミリー。ちゃんと言いつけを守っている。あれなら打ち身くらいで済んだだろう。
「アメリア、貴女はどうする?」
自分で飛び降りるかどうか聞こうと隣のアメリアを見れば、すでに彼女はエミリーと同じ格好をしていた。違うのは、口を押えていないだけだ。
「やっちゃってください」
飲み込みが早く、思い切りがいい。そのことに感心しつつ、イザベラの行動もまた早かった。
「分かったわ」
短い一言とほぼ同時に彼女を突き落とした。
「何だ? 今後ろが揺れたような……」
御者台から男の声が聞こえてくる。まずい、思ったよりも早くバレるかもしれない。慌ててイザベラも体を丸めて荷台の後ろを蹴った。
「……っ」
少しの浮遊感の後、お尻に衝撃。続いて腰、背中、後ろ頭、足。そしてまたお尻と、ぐるぐる回る。自分のプラチナブロンドとワンピースの裾が、バタバタと早送りされていた。
それらがゆっくりになってきたと感じたら、手足に力を入れて立ち上がる。
まだ揺れる視界を無理矢理抑えつけ、イザベラは夢中で手近な茂みに飛び込んだ。
「おいっ、起きろ!! 女が逃げた!」
「はぁっ? 何だと!?」
街道を走り続ける馬車から聞こえるその声と内容に、心臓がぎゅっと縮んだ。
「やりやがったなァッ! あの女」
「ちぃっ、止まれ、止まれやオラァッ」
男たちの怒声と馬車の音が遠ざかっていく。しばらくしてから、馬車の急停止する音が派手に響いた。
大丈夫だ、馬車はすぐに止まれない。
そう言い聞かせて必死に茂みの間を走る。
「いねぇ! 逃げられた」
「んなわけあるか、ボケ。女の足だ。そう遠くにいけるか」
誰かに追いかけられるというのは、分かっていても焦りと恐怖に支配される。馬車から降りた男たちの足音が、気持ちを急かした。
「お嬢様っ」
しばらく走れば、アメリアとエミリーの姿が見えた。エミリーが小声でイザベラを呼び、両手を広げる。
声を立てたら男たちがやってくるかもしれない。イザベラは無言でエミリーに飛びついた。エミリーがぎゅっと抱きとめてくれる。
「おい、まだそこらにいるんだろう。出てこい。今なら許してやる」
茂みの向こうから、猫なで声が聞こえる。
「逃げられると思ってんのか? ああ? 隠れてもすぐに見つけてやるぞ。その前に出てこいよ。でなきゃ許さ……ザザ……ェッ」
「なァ、おい。出てこい。出てザザ……ないと……ザ……タダじゃおかね…ザザザザザァォッ!」
少しずつ、近づいてくる足音。男たちの猫なで声が、段々と苛立ったものに変わっていき、不快な雑音が混ざり始める。
「……ッ」
ノイズだ。男たちに悪意を持たれた。
こうなったら、モリス伯爵に売られるまでは危害を加えられないという前提がくつがえってしまうかもしれない。
イザベラの顔からざぁっと血の気が引いた。手足が自分の意思に反して震える。震えて歯が音を立ててしまわないよう、ぎゅっと自分の口を塞いだ。
「大丈夫でございますですよ、お嬢様」
「でも、でも」
耳元で囁いたエミリーが、安心させるようにイザベラの髪を優しく撫でた。口調は小さな子を褒めるそれで、今度はポンポンと背中を叩く手つきはあやされる。
柔らかくて温かい体に顔を押し付けて、ふんわりと素朴なエミリーの匂いを胸いっぱいに吸い込めば、早鐘を打っていた心臓が少しなだめられた。
そろそろと顔を上げると、蒼白なエミリーの横顔が目に入った。
エミリーも怖いんだ。
当たり前だ。馬車から飛び降りるのも怖がっていたくらいなのに。
それでもエミリーの青い目は茂みの向こうを見据えている。
「十数えている間に出てきやがれェザザザザザ。いーちィッ! にザザザいィッ! ……ザザッ」
「出てこなかったら、血祭りに上げ……ザザ……やっぞ、コラ……ザザァッ!」
その方角では、ガサガサと茂みをかき分ける音と男たちの怒声、そしてノイズがけたたましく鳴っていた。
お読み下さりありがとうございます。
あなたの心に響きましたら、幸いです。
本作は、毎週水曜日の更新でしたが、水曜日と土曜日の更新に変更いたします。
その代わり、文字数が少し減る予定です。




