24 探り合い※挿絵あり
緑色の瞳にばつが悪そうな光を浮かべて、アメリアが起き上がった。
「すみません、騒ぎで目が覚めていたんですけど、言い出しづらくて」
ぺろりと舌を出したアメリアの両手は、いつの間にか縄から抜けていた。随分と手際がいい。
「確かに、あれだけ騒いでいたら、言い出しづらいわよね」
さらわれて売られそうだというのに、やけに落ち着いている気がするけれど、寝たふりをしていた理由としては納得だ。
「ええっ? いつから起きていたんでございますですか?」
驚いて素っ頓狂な声を出すエミリーを、イザベラはたしなめた。
「しっ、エミリー。また声が大きくなりかけているわよ」
荷馬車が揺れている音がうるさいおかげで、多少は紛れてしまうだろうが、あまり大きな声はまずい。
「はうっ」
勢いよく自分の口を閉めたエミリーが、大きく顔をしかめた。どうやら勢い余って口の中を噛んでしまったらしい。
「ああもう、だから慌てなくていいんだってば」
貴女は少し落ち着きなさいと涙目のエミリーの背中をポンポンと叩くと、アメリアがくすくすと肩を揺らした。
「本当に、お二人は仲がいいんですね。ええと、エミリーさんがどうやって縄から抜けたのかイザベラ様に聞いていたあたりです。その後縄から抜ける方法も聞こえたので、外しておきました」
自由になった腕でアメリアがガッツポーズをとる。ついでに小さく首を傾げ、片目を閉じてのウィンク付きである。
流石は正規ヒロイン。少しあざとい気もするけれど仕草が可愛い。
そういえば、ここは麗子の時に読んでいた小説の世界なのよね。
それをふっと思い出し、じっとアメリアを見つめる。
美しさだけならイザベラの方が上だけれど、可愛らしい顔立ち。
素朴で明るく前向きで、誰に対しても一生懸命な性格が、メインのジェームス王子をはじめ、ヒーローたちのハートを掴んでいく。日本人ならではの楽観的なところも、ヒーローたちの好感度を上げる要因になっていた。
まさか自分がイザベラになるとは思ってもいなかった麗子も、ヒロインのアメリアを応援しながら読んでいたものだ。
いや、どちらかというとアメリア自身になりきって読んでいたのが正しい。
現実の麗子と違って、心からヒーローたちに愛されるアメリアになりきって。愛情に満たされた幸せを味わう。
読んでいる間だけは、現実を忘れられる。
幸せな主人公でいられる。
だから麗子は小説が好きだった。
しかしそれを、麗子は関係を持った男たちに言ってはいなかった。
男なんかに自分の弱みを見せたくなかったから。唯一の希望をそっと自分だけのものとしてしまっておきたかったから。
だが、裕助。彼だけは例外で、麗子の読書好きを知る唯一の男だった。なにせ裕助と知り合ったのは本がきっかけで、あの小説を麗子に勧めたのも彼だった。
『麗子さん。貴女が俺を選んでくれなくても、俺の気持ちは変わらないから』
そう言って渡してきた裕助の、あまりに真っ直ぐな瞳と声。軽く触れた指の温度に戸惑って、冷たく突き放した……。
「? どうかしましたか、イザベラ様」
脳内で再生されていた、裕助の姿が消える。目の前にはアメリアが不思議そうに首を傾げていた。
「ごめんなさい、何でもないわ」
首を横に振って意識を現実に戻すと、今度は逆にアメリアに見つめられていた。
「何?」
「あっ、いえ、その」
軽く眉をひそめると、アメリアがぶんぶんと顔の前で手を振った。
「イザベラ様って本当に雰囲気変わりましたよね。あ、いい意味でです! 今のイザベラ様の方が私は断然好きなんですけど、なんだか急に変わったからどうしてかなって」
「……」
さりげなく探りを入れられている、のだろうか。
一度死んでやり直すまで、イザベラは我儘で鼻持ちならない公爵令嬢だった。平民を馬鹿にしていたし、アメリアに嫌味だって言っていたくらいだ。
そのイザベラが平民の奴隷を侍女に召し上げ、仲良くしているのは確かにおかしく映るだろう。疑問を持たれるのも当たり前だ。
イザベラは迷った。
選択肢は二つ。
イザベラが転生者だということを、明かすべきか、隠すべきか。
「急に変わった……そうね。そうかもしれないわ」
片手で肘を掴み、もう片方の手を口元に持っていく。カリッと親指の爪を軽く噛んだ。
そもそもアメリアは小説と同じく転生者なのか、どっちだろう。
アメリア以外の登場人物はイザベラを含めて皆転生者ではなかった。けれど今現在、イザベラは転生者だ。
アメリアとイザベラと設定が入れ替わって、イザベラだけが転生者になっているのか。それともアメリアも転生者なのか。
もしもアメリアが転生者だとしたら。ジェームス王子とアメリアをくっつける協力を、堂々と出来る。
しかしアメリアが転生者でなければ、本当のことを言っても戸惑うだけ。セスとエミリーにさえ打ち明けていないのだ。アメリアに明かす利点なんてない。
イザベラは口元から親指を離し、組んだ腕をほどいた。ぽん、と隣のエミリーの肩に手を置く。
「ふふ。私が変わったのはきっとここにいるエミリーのお陰ね」
ひたとアメリアの視線を正面で受け、にっこりと微笑んだ。選んだのは、誤魔化して隠す方である。
クラスメート程度の当たり障りのない会話から近づこうとして、警戒したアメリアの友人にそれとなく阻止されている。友人抜きで接することの出来る今の状況は、ある意味チャンスかもしれないが。
アメリアが転生者かどうか探るのは後でいい。今は破滅ルートに入るか入らないかの瀬戸際。逃げることの方が先だ。
危機的状況を一緒に乗り越えれば、吊り橋効果が狙えるかもしれないのだし、焦る必要はない。
「へぁっ? 私のお陰でございますですか」
急に話を向けられて、目を白黒させたエミリーが自身の顔を指さす。
相手をだまそうと思えば、嘘に真実を混ぜ込むといい。
ループしたイザベラが目覚めたのは、高熱の後。丁度エミリーを侍女として迎え入れたばかりの頃だから、不自然ではないはず。
「そうよ。貴女みたいにおっちょこちょいの侍女なんて初めてだもの。毒気を抜かれちゃったわ。それに」
ごめんね、エミリー。
貴女をだしに使って。でも。
内心で謝りながら、ひょいと肩を竦め、悪戯っぽくエミリーの瞳を覗きこむ。
「ちょっと強引だけど、貴女みたいに私を家族として扱ってくれるのだって、はじめてだったもの」
エミリーのお陰で変われたことだって、まるっきり嘘というわけじゃない。
「お嬢様ぁっ」
「わっとっ」
青い目がうるうると光ったかと思ったら、勢いよく抱きつかれた。予測済みだったイザベラは、エミリーを抱きとめてから、アメリアに片目をつむった。
「ほら、ね?」
「……なるほど」
緑の瞳をじっと向けたまま、アメリアの口角がきゅっと上がった。
あれ、とイザベラは小さな違和感を抱く。いつもの可愛らしい笑みより少し大人びていて、雰囲気が違うような。
「イザベラ様の雰囲気が柔らかくなったのは、エミリーさんと仲良くなったからなんですね」
そう言ってにっこり笑ったアメリアからは、先程の雰囲気は消えていた。
「脱線させてしまってごめんなさい。伯爵の屋敷に着くまでに逃げないとですね」
「ええ。それにはまず状況の把握よ」
笑いをおさめ、真剣な表情になったアメリアにイザベラは頷いた。積まれた荷物を避けて幌の外に耳を澄ませる。
「マリエッタを襲った三人と、私たちをさらった実行犯は三人以上いたと思うけど。馬がなかったからかしら。私たちを運んでいるのは、どうやら二人だけみたいね」
幌の中にいると周りは見えないが、聞こえてくる音である程度、状況は掴める。
荷馬車が立てる音の合間に、外からはぼそぼそと男たちの声が聞こえていた。最初の男と、頭と呼ばれた男。その二人の声しか聞こえてこない。他の人間の声や、馬車以外の馬の足音などはしない。
「他の実行犯たちとは、金を受け取ってから別の場所で落ち合う予定だったみたいですね」
アメリアが断片的な会話を拾ってつなぎ合わせた。
「後は、今どの辺にいるか、伯爵の屋敷までどれくらいか、ね」
ガタガタと激しい揺れは、舗装された道ではないからだろう。クラーク学園の道は全て舗装されているから、残念ながら敷地からはもう出ている。
しかしモリス伯爵の領地はクラーク学園から一つ他の領地を挟んでいる。
「綺麗に星が出ています。今は夜ですね」
幌の隙間からアメリアが外を覗いた。
「薬で眠っていたのがどれくらいなのか分からないけれど、眠らされたのが夕方。今の時刻は夜。伯爵の屋敷に着くまでには、まだ二日以上かかる筈よ。その間が勝負ね」
二日間とはいえ、出来るだけ早い方がいい。
「空が白んできたら、逃げるわよ」
エミリーとアメリアに視線を向けると、神妙な顔で二人が頷いた。




