21 光と影
自然ではない夢に落とされたからだろうか。イザベラの深く、深く、奥底に眠っていた記憶の断片が浮上していた。
寒々しく広い石造りの建物の中にある、五人の人影。
一人は闇より深い黒髪に鮮やかな赤い瞳の男。胸には剣が突き立っている。
一人は黒髪赤目の男に剣を突き立てている男。
一人は私で、剣を突き立てられている男と突き立てている男に向かって右手と左手をかざしていた。
もう一人の男は、やや後方でボロボロになって膝を着いている。
最後の一人は女で、ボロボロになった男とガタガタと震えていた。
「これで終わりだ!」
剣を突き立てている男が叫ぶ。彼は勇者。私の仲間で、大切な人。
剣を突き立てられているのは魔王。人々に血と恐怖と絶望をまき散らした元凶。
私は腕を、それぞれ勇者と魔王にかざしていた。左手に癒しと聖なる力を。右手に邪を抑え封じる力を。
そうだ。私は聖女。勇者を助けてその力を増幅し、闇を退け浄化する白の魔法使い。
終わりだ。長かった。様々な苦境を乗り越え、大切なものを失くしながら辿り着いた。
沢山いた仲間たち、同志たちはここに着く前に死んだり、戦線離脱して僅かになった。その僅かな仲間も、この場にいるのは勇者である彼と、聖女である私、魔法剣士の王子と黒の魔法使いの令嬢のみ。他の仲間たちは、魔王討伐の主要メンバーである私たちを先に行かせてまだ戦っている。
私は傍らの勇者を見上げた。彼の背中を見ていると、じわじわと勝利の安堵と言いようのない愛情があふれてくる。
魔王を倒せば世界を覆う闇が払われ、私たちの宿願の平和が訪れる。
そして彼との、平凡で幸せな人生を始められる。
「くくく。いいだろう。今は倒されておこうではないか」
胸と口から血をこぼしながら、その血よりも鮮やかな瞳を目の前の男、その後ろで膝を着く男、震える女、そして私に向けた。
どく。
私の心臓が嫌な波を打つ。
「その代わり、神よ。私を殺す勇者よ。勇者に力を与え、我を封……るザ……聖女よ、覚えておくと……ザザ……い……ザザ」
魔王の体からじわりと黒い影が滲み出た。その声に不明瞭な響きが混じる。
――魔王。お前の存在は単なる創造のイレギュラー。消えてしまいなさい――
魔王の声をかき消すように、神の言葉が響いた。
愛しい彼。ここまで一緒に戦った仲間。大切な人たち。
どうか皆が平和な世界で幸せに暮らせますように。
祈りの力が勇者である彼の聖剣と、私の扱う聖なる力を強める。
――くくく。そのイレギュラーを生んだのは、何だ?――
魔王の声が、ノイズとなってざらざらと心を逆なでする。剣から溢れる聖なる光の中に溶かされて姿を失い、黒い影になっていく。黒い影となって形を失くし、光の中でぐねぐねと蠢く魔王がにい、と辛うじて残った口角を吊り上げた。
――私は魔王。心の影に潜む闇。人が存在する限り、私は存在し続ける――
黒い影となった魔王が光を押しのけて広がった。一番近くの彼が影に覆われていく。
駄目。あれに飲み込まれてはいけない。魂が堕ちてしまう。二度と光の射さぬ永久の闇に呑まれ、魔王と同化してしまうのだと、本能が告げる。
させない。彼は私の光。彼の魂は汚させない。
神よ。私の力を、命を、魂を使って下さい。どうか、彼を。
ドン。
「えっ?」
神に祈り、聖なる力をより高めようとした私は、他ならない彼に突き飛ばされていた。
「君は、生きろ」
黒い影から出ている彼の青い片目と、半分の口元が微笑む。いつもと同じ、柔らかくて優しい微笑み。
それから彼は黒い影を睨むと、聖剣に力を込めた。聖剣を中心に、黒い影から光が漏れだしていく。
あれは命だ。彼の魂だ。私と同じ事をしようとしている。
「駄目っ! 生きるなら、貴方も一緒よ」
死ぬのだって、一緒だ。
――ああ、愛し子よ。あなたたちに力を――
起き上がった私は黒い影と彼に向けて、残っている力を振り絞った。
私の力、命、魂を糧に浄化の光へと変換する。
じりじりと黒い影がもだえるように目まぐるしく形を変え、小さくなっていく。もう少し。あと、少し。
黒い影が……やがて消えた。
「や、やった……」
弱弱しく呟いた彼が、微笑んで私を見る。私もまた、微笑んだ。
力を使い果たし、命と魂を削ったけれど、私も彼も、生きている。勝った。勝ったんだ。これでやっと……。
突然、背中に鋭い痛みが走った。
「え?」
達成感と歓喜でいっぱいだった私は、意識を自分の痛みの原因に向ける。
視界に、一人の女が映りこんだ。彼女は、一緒に戦ってきた魔法使い。仲間だ。なのになぜ、その彼女が、私に短剣を刺しているのか。
「な……ぜ……」
愛しい人のかすれた声が、私の耳に届いた。ゆっくりとしか動かないことをもどかしく思いながら、そちらに首を向ける。
彼の腹にも、剣が刺さっていた。彼に剣を刺しているのは、共に戦ってきた、魔法剣士。
どうして。
どうして、仲間に刺されているの?
私は大きく目を見開いた。目の前の光景が信じられなかった。彼もまた、同じように信じられないという顔をしていた。
まさか、魔王が生きていた?
魔王に操られているのだろうか。きっとそう。
「馬鹿ね。操られてなんかいないわよ」
ぐりっ。背中の短剣が深く体にねじ込まれた。
「ぐぅっ」
堪らずうめいた。背中が熱い。力が抜ける。気が付くと、私は床に横たわっていた。
「やめろっ! っうぐっ!」
「ははは。思っても見なかったという顔だな。お前のそういう綺麗な所が俺は嫌いだったんだよ」
魔法剣士が彼の腹に刺している剣をひねった。ごぶっと大量の血が、彼の口から零れ落ちた。
ガラン。
彼の手から剣が離れ、床に転がる。それを追うように、彼もまた崩れ落ちた。
「心配するな。魔王を倒した勇者として、俺が国を継いでやるから。なあ、兄者」
魔法剣士である彼は第三王子で、彼の弟だった。
片側だけの唇を吊り上げた魔法剣士が、魔法使いの令嬢を片手で抱き寄せた。
「魔王を倒してくれてありがとう。後は私たちに任せて」
どんどん暗くなる視界で、魔法使いの令嬢が魔法剣士にしなだれかかったのが辛うじて見えた。
「お前、ま……さか、最初か、らそのつもりで……」
「そうだ。当たり前だろ。王位継承権の低い俺が王になるにはこれしかないんだからな」
そんな。彼と魔法剣士との確執は知っていた。けれど、旅を通して、ぎこちなくだけど分かり合ってきたと思っていた。なのに。
「邪魔だったのよ。何をしても私たちはあなたたちの劣化版。剣も魔法も敵わない。どこに行ったってもてはやされるのは勇者様と聖女様。私たちはその仲間なんだもの。大体、ぽっと出の村娘が聖女だなんておかしいでしょう? 聖女も、王太子妃の座も、貴族令嬢の私の方がふさわしいわ」
普通の村娘だった私は旅の途中で、勇者一行に見出され、仲間になった。
「一緒に行こうって、仲間だって、誘ってくれたのは」
「仲間? そんなこと思ったことないわ。聖女の力が必要だから誘っただけ。今まで我慢してあげてたのだから、感謝しなさいよね」
魔法使いの令嬢が私の背中に刺さったままの短剣を蹴った。
そうだったんだ。馬鹿みたい。彼女は野宿が嫌だとぼやいたり、時々喧嘩したりしたけど、それもいい思い出だって思っていたのに。仲間だって、思っていたのに。
絶望。悲しみ。怒り。二人の裏切りがぽつりと私の心に黒い染みをつくる。
――そうだ。絶望しろ。悲しめ。怒れ。憎め。ははははははは! ザザザザッ……見ろ、これが人間ザザザザザよォッ……人間こそ……ザザ……イレギュラーを生み、我に力……ザ……を与えるのだザザザザザザザザザァッ!――
私の心の中で、黒い影が、闇が、魔王が、嗤う。神の声が、ノイズに埋もれていく。
血と共に、命が流れていく。手足が冷たくなっていく。思考が鈍くゆっくりになって、ノイズで埋め尽くされていく。一つの感情に凝り固まっていく。
――いけません。闇に飲まれては。呪縛を断ち切りなさい――
許さない。彼を陥れた二人を。そんな二人を信用していた、能天気な私を。愛しい彼を救えなかった私を。許せない。許せない。許せない!
――愛し子よ、一度生を終えて魂を浄化します。せめて、次こそ平和な世界での生を――
「……神よ……! 俺の願……を聞いて……れ……」
世界が闇に沈む。ノイズで満たされる。何も見えなくなる。ノイズ以外聞こえなくなっていく。
許せない、ノイズ、許せない、ノイズ、許せ、ノイズ、ゆるノイズノイズノイズノイズノイズ。
ふいに、静寂が訪れた。
――もう一度、やり直すことを望みますか?――
やり直す? やり直せるなら。次があるなら。次こそ。
私は祈った。
次こそ、………に。
――愛し子よ。その祈り、必ず――。
神の声を最期に、私という存在が、消えた。
※※※※
「……嬢様……イザベラお嬢様……」
誰かが呼んでいる。誰だろう。知っている声だ。誰だったっけ。ええと、ずっと前からじゃなくて、最近。最近知り合った声だけど、あったかくて、好きな声。
「……うう……ん……エミリー?」
小さくうめいて、イザベラは目を覚ました。
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