18 貴族と平民
突然かけられた声により、裕助についての追及はうやむやになった。生徒同士のデートが終わってお嬢様と護衛騎士に戻るのは若干寂しいが、お陰で助かったと、イザベラは胸を撫で下ろした。
セスには前世のことを打ち明けるつもりはない。信じてもらえないだろうし、たとえ信じてもらえたとしても、過去の自分を知られたくない。
男をいいように弄び、だまして喜んでいた汚い自分も。
これからアメリアを陥れ破滅を辿る予定だった醜い自分も。
どちらも知られたくなかった。
「アメリア嬢?」
あまりに意外な人物に声をかけられ、セスが訝し気に眉をひそめた。イザベラもまた、首を傾げる。
「急にお呼びかけしてすみません!」
乱入してきた声の主は、アメリアだった。
茶色に近い金髪を弾ませながら、こちらに走ってくる。
今回のやり直しで、アメリアとは確執も衝突も何もないものの、友人というわけではない。その彼女がわざわざ声をかけてくるとは、どうしたのだろう。
「大変です、イザベラ様! エミリーさんが大変なんです。エミリーさんがマリエッタ様たちに連れていかれて」
イザベラとセスの前まで来たアメリアが、息を切らせて止まり、背後を指さす。今しがた、エミリーらしき後ろ姿を見た方向だ。
ということは、エミリーの前にいた数人はマリエッタたちだったのか。
「平民を馬鹿にされているマリエッタ様が、エミリーさんと親しいわけがありません。私、エミリーさんがマリエッタ様に何かされるのではと心配で」
軽く握った手を胸の前に置き、アメリアが眉を垂らした。
アメリアの言う通り、エミリーとマリエッタたちが親しいわけがない。エミリーが連れて行かれたのは、人気のない暗く薄暗い路地だ。どうも嫌な予感がする。
「セス」
「行きましょう。エミリーさんが心配です」
名を呼んで振り返ると、セスが小さく顎を引いた。
「知らせてくれてありがとう、アメリア」
「私も行きます!」
イザベラは駆けだした。すぐ後ろにセスが続く。さらに後ろからアメリアも駆けた。
大通りから灰色の影のような脇道に飛び込んだ。黒ずんで手入れされていない壁。狭い通路。とてもマリエッタのような人間が好んで行きそうな所ではない。そんなところへわざわざエミリーを連れて行ったという事実がまた、悪い想像を誘う。
「あの、言いにくいんですがマリエッタ様たち、エミリーさんに嫌がらせをしていたみたいで」
やはり、とイザベラは唇を噛んだ。
「エミリーはマリエッタたちにいじめられていたのね」
「はい。そうだと思います」
手足にあったあざや擦り傷の数々。いくらエミリーがドジだといってもあれは多すぎる。誤魔化されたりせず、きちんと追及するべきだった。
いいや、違う。
完全に浮かれていた。エミリーという友人が出来たことに。自分が変われているような気分になって、浮かれて、肝心の友人の様子がおかしいことを見逃していた。
兆候は、あったのに。
「どの道なの?」
路地を奥へと進むがエミリーたちの姿は見えない。路地は一本道ではなく、別の脇道が多数見えた。
「こっちです」
前に出たアメリアが指さしたそのうちの一つの道を進むと、突き当りに朽ちかけた倉庫があった。そこからわらわらと、出てくる色とりどりのドレス。
「イザベラ様?」
よくマリエッタと一緒にいる令嬢たちだった。驚いた顔をこちらに向ける彼女たちに、イザベラは微笑んだ。
「こんにちは。こんなところで何をしているのかしら? 皆さん」
「な、なんでもありませんわ。失礼」
「ごきげんよう、イザベラ様」
彼女たちはぎこちなく笑みを浮かべ、おざなりな挨拶でそそくさと立ち去る。イザベラは彼女たちに構わず、ぽっかりと口を開けた目の前の倉庫の入り口に歩み寄った。
「お嬢様」
警戒をあらわにしたセスの声を無視して、イザベラは倉庫にためらいもなく飛び込んだ。
「エミリー!」
倉庫の中は、暗くなりかけた外よりもなお暗かった。カビと埃の臭いが充満した倉庫内に、人影が二つ。立っている女と、床にうずくまる人影。
「い、イザベラお嬢様ぁ」
人影のうちの、床にうずくまっていた方が声を上げた。
「あら、イザベラ様」
エミリーの側に、こちらに背を向ける形でマリエッタがいた。マリエッタの横をすり抜け、うずくまるエミリーに駆け寄ると、床に膝を着いて彼女を抱きしめた。
「お、お嬢様。今の私、汚いです。お洋服が汚れてしまいますです」
「構わないわ」
片頬に手を当てて、エミリーが涙声で呟いた。その手は黒く、頬や着ている服もあちこち汚れていた。当てている手から覗く頬は腫れている。
「マリエッタ! これはどういうことかしら。エミリーに何をしたの」
エミリーを腕の中に抱え、イザベラはマリエッタを振り返った。
「何って教育ですわ。見て下さいな、イザベラ様。そこの卑しい平民が汚したのです。平民風情が、私たち貴族の大切なドレスを汚すなんて。許されることではありませんわ。そうでしょう? イザベラ様」
これ見よがしにマリエッタがドレスの裾を摘まんで広げた。微かに白くなった紺色のドレスの裾と一部分が灰色になった白いフリル。それだけだ。
「大切? ドレスが、平民よりも大切だと貴女は言うの?」
「ええ。もちろん。私、分かっておりますのよ。この間は平民を大切に、なんてイザベラ様はおっしゃっていましたけど、そんなもの建前ですわよね。だってイザベラ様、以前言っていらしたではありませんか。平民なんて家畜みたいなものだって」
無邪気な様子で、マリエッタがふふっと肩を震わせる。
「家畜……」
イザベラもまた、小さく肩を震わせた。
平民は、家畜。貴族の腹を満たすためにいる、家畜。支配し、そこそこ甘い汁(給金)を吸わせて、生かさず殺さず飼いならす、家畜。
貴族の中で当たり前のようにはびこっている考えで、かつてのイザベラもまた、同じように思っていた。
「何か深い考えがあって、平民の肩を持ってらっしゃっただけですよね? ね? イザベラ様」
「……」
後々のことを考えれば、そうだと頷いた方がいい。
辺境伯令嬢であるマリエッタ。彼女の領地は貿易の要と言える港を有していて、様々な物資と莫大な富を持ち、その権力は王家と縁の深い公爵家に匹敵する。
彼女を敵に回すのはまずい。
「私たちは家畜なんかじゃありません!」
「黙りなさい! この売女。卑しい平民の癖に、生意気な口をきいて。身の程知らずにも程がありますわ!」
たまりかねたようにアメリアが反論すると、マリエッタが金切り声を上げた。二人を尻目にイザベラはエミリーを見つめた。
「私は大丈夫でございますです。これくらい、慣れてますです」
片方の頬を腫らしたエミリーが、にっこりと笑ってこっくりと頷いた。
イザベラは次に、傍らに立つセスを見上げる。
セスもまた、軽く頷いた。真っ直ぐにイザベラを見る青い瞳が、何をしても味方だと言っている。
「ごめんね、エミリー」
エミリーを抱く腕にぎゅっと力を入れてから、イザベラは立ち上がった。マリエッタの正面に立ち、真っ直ぐに彼女と目を合わせる。
パン。
暗い倉庫に、大きな平手の音が響いた。
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