17 その頃のエミリー
「ふん、ふん、ふふーん」
イザベラとセスと別れたエミリーは、鼻歌交じりに街を歩いていた。目的だった母へのプレゼントはすでに買ったので、意味もなくぐるぐると練り歩いている。
計画は上手くいった。きっと今頃お二人はいい感じになっているに違いない。自分にしては上々だったとエミリーは鼻高々だ。上機嫌で、いつしか足取りはスキップになっていた。
その辺の店で安い昼食をとった後、空を見上げる。
今頃イザベラ様はどうしているだろう。セス様とデートを楽しんでいるだろうか。イザベラ様はとてもしっかりした方だけど、セス様のことになるとどうも意地っ張りになってしまったり、上手く気持ちを伝えられないようで、見ていていじらしい。
まあ、それが普通。年相応のような気もするですけど。
空はどこまでも明るい水色で、白い雲が浮いている。日はまだ高い。二人のデートが終わるまでは、まだまだ時間がある。それまでどうやって時間を潰そうか。
と、そこまで考えてエミリーは、はたと気づいた。
そういえば、帰りはいつどこで待ち合わせるか決めていなかった。
しまった。これでは二人と合流するのにとても時間がかかってしまう。
クラーク学園の商業施設街はそれなりに広い。田舎町一つ分くらいある。帰る時間帯になってから探していては、本当に日が暮れてしまうだろう。
「よし、だったら今からお二人を探してしまおうです!」
エミリーは拳を握り、一人で大きく頷いた。大きな独り言を言う少女を周りが胡散臭そうに見るが、エミリーは気にしない。
「ついでにお二人のデートの様子を見守るです。うふふ。一石二鳥」
意気揚々。得意になったエミリーは二人と別れた場所へと戻る。そこから適当に大通りを探して回ることにした。
なにせ買い物そのものがはじめてだった二人。二人で外出だってしたことがないに違いない。
だったら細い脇道などには行かないだろう。適当に探したって会えるはず。
そんな風に軽く考えていたエミリーだったが、そうは問屋が卸さなかった。目立つ二人だと思うのだけれど、商業施設街はやっぱり広い。
ぐるぐると回っているうちに、街を照らす日差しに力がなくなってきた。白かった太陽光には、ほんのりと黄色がかっている。
エミリーはまた空を見上げた。
まだ日は上にあるけれど、傾いてきていた。もうかれこれ三時間ほど探し回っているのだから、当たり前だった。
こんなことなら、待ち合わせの時間と場所を決めておけばよかった。
自分はいつもこうだ。
何の考えないで動いて、後からああすればよかった、こうすればよかったと思ってしまう。
泣きそうな気分になってきたその時。
手を繋いで、仲良く歩く二人を発見した。
先ほどまでの後悔も情けなさも全部忘れて、エミリーはふふんと得意になった。
終わり良ければ総て良し。
途中の失敗などどうでもいいのだ。
「おっといけない、いけない」
エミリーは慌てて手近な路地に飛び込むと、そうっと頭だけ出して二人の様子を伺った。
二人を見つけられたのだから、いつでも合流できる。声をかけるのはもう少しだけ待ってみよう。
そうこうしているうちに、二人が足を止めた。向かい合って何かを話している。なんだかいい雰囲気だ。ここに割って入るなんて、勿体ない。
じっとセスを見つめるイザベラの、その手がセスの頬に伸びる。オレンジの夕陽に照らされて、見つめ合うお人形のように愛らしい二人。なんて絵になるんだろう。
「イザベラ……お嬢様?」
頬に手を当てられて戸惑った様子のセスが、上ずった声でイザベラを呼ぶ。形のいいくっきりとした大きな瞳を潤ませ、セスを見つめるイザベラは無言だけれど、桜色の唇が半開きでドキッとするほど色っぽかった。
「これはまさか、まさかっ」
キスしてしまうのか。エミリーは大興奮だ。しかし抑えないといけない。いい所で邪魔をしてしまうのは駄目だ。絶対に。
そうです、お嬢様。そのままいっちゃえ……!
グイ。
固唾を飲んで見守るエミリーの肩が急に後ろに引かれた。
「!?」
エミリーは驚いて飛び上がった。振り向いた先にいたのは、マリエッタと令嬢たち。
冷たい目をしたマリエッタがくい、と顎をひくと、何も言わずにくるりと背を向けた。
ついてこい、ということだろう。
エミリーは唾を飲み込んだ。けれど粘ついていて、あまり飲み込めなかった。
あの二人に知られては駄目。心配をかけてはいけない。
あんなにウキウキしていた気持ちが一気にしぼんでしまったが、足はせかせかとマリエッタの後を追う。
後ろで何やら声がした気がしたが、振り返らなかった。
黒カビの生えた壁に囲まれた狭い路地から、また違う路地に入ると、正面に倉庫のような建物が口を開いていた。
あまり大きくはなく、壁もところどころ朽ちていて、ヒビがあったり欠けていたりする。中も暗くがらんどうで、どうやら使われていないようだ。
マリエッタがきょろきょろと辺りを見渡す。路地にも倉庫にも人影はない。
「丁度いいわ」
開け放たれたままの扉をマリエッタたちがくぐった。汚い倉庫にマリエッタたちの色鮮やかなドレスが浮いている。
はあ、また嫌味を言われたり小突かれたりするのか。
まあ、どうせいつものこと。
少しの間、我慢すればいいだけ。
ため息を飲み込み、エミリーも同じようにくぐった。
「ひゃあっ」
途端に足を引っかけられ、エミリーは床にすっころぶ。
ずざざーっと両手を前に突き出した状態で床を掃除した。
「嫌だ、汚い」
「まるで雑巾だわ」
「お似合いね」
クスクスと笑うマリエッタたちだったが、続くエミリーの行動に笑いが引っ込んだ。
「ぺっぺっ! 口の中に入ったですますぅ」
長く放置してあったのか、床には埃や砂が降り積もっていた。
エミリーは派手なスライディングで口の中に入った埃や砂を唾と一緒に吐き出し、スカートやベストを叩く。
舞い上がった埃は当然、目の前にいたマリエッタたちをも襲った。
「きゃっ、ゲホゲホ」
「痛ぁっ、目に入りましたわっ」
「ちょっとっ、こっちに向けて唾を吐くんじゃありませんわ!」
マリエッタと令嬢たちの目と眉が吊り上がった。
エミリーの顔からさーっと血の気が引く。
まずい、またやってしまった。
「ももも、申し訳ありません! 叩いて差し上げますですぅ」
あわあわとエミリーは一番近くにいた令嬢に駆け寄った。自分のせいで埃がついてしまったドレスに手を伸ばす。
「きゃーっ、その汚い手でドレスに触らないで」
悲鳴を上げて、令嬢がマリエッタの後ろに回った。
「ああっ、そうでございましたです。手が汚いんでしたですぅ」
エミリーは自分の手を見てみた。床にこびりついていた黒と、埃の灰色が混ざった色になっている。我ながら汚い。
少しでも汚れを取れないか。必死にパンパンと手を叩いていると、綺麗なドレスが視界に入った。
「平民のくせに、舐めているの?」
上から降ってくる低い声音に、自分の手ばかり見ていたエミリーは、慌てて顔を上げる。
そこには、今まで見たことのない表情のマリエッタがいた。
両腕を組み、顎を上げてこちらを見下ろすマリエッタ。それ自体は見慣れたものだ。けれど、何かが違った。
窓から差し込む西日に照らされたマリエッタの青い目には、赤い光とちろちろと黒い炎がくすぶっている。
口元はピクリとも笑っていない。
美しく香油で整えられ、一筋の乱れもなく撫でつけられた長い前髪が影を作っていて、その影の中で黒の炎が鈍く揺らめいていた。
怖い。
背筋がゾクッと冷えて、エミリーは体を震わせた。
昼休憩の度にマリエッタからぐちぐちと嫌味を言われたり、つねられたり、転がされたりはしてきた。
その時マリエッタが浮かべているのは、きまってこちらを見下すような冷たい目と、優越感に歪んだ口元、馬鹿にした笑い声。
今のような底冷えのする表情ははじめてだ。
バシッ。
何の前触れもなく、平手が飛んできた。エミリーはまた、床に転がった。
「平民の癖に、イザベラ様に取り入って。何を吹き込んだの? 私の悪口かしら」
バンッ。床に手をつき、半身を起こしていたエミリーの頬を平手が襲った。
エミリーはまた床に逆戻る。
コツン。
痛みと恐怖で床に伏せたままでいると、ヒールの音が鳴った。
恐る恐る目だけで見上げると、無表情のマリエッタが立っていた。
「ま、マリエッタ様。ちょっとやりすぎですわ」
「そうです。顔を腫らしてしまったら、イザベラ様にバレてしまいます」
令嬢たちがオロオロと、マリエッタをたしなめ始めた。
「バレても構いませんわ。なぁに? 怖いのでしたらお帰りになって。あなたたちは何も見なかった、やらなかった。それでいいのですから」
うっそりとした微笑みに、令嬢たちが青ざめた。
「失礼しますわ」
バタバタと外へ出ていってしまうと、暗さを増す古びた倉庫に、エミリーとマリエッタの二人きりになった。
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