16 重なり、重なる
二人でもう一度、街を歩く。この時間こそプレゼントなのだと思うと、同じ街なのに先ほどまでの街とは全く違って見えた。
軒先に並ぶ手作りらしきぬいぐるみ。上質ではない布で出来た衣服。それらをよくよく見れば、丁寧な縫製と温もりがあった。
ガラクタに見えていたアクセサリーでさえ、きらきらと輝いていた。
安い材料で作られ、売られている食べ物の美味しさも知った。
二人で買って分け合った、たれのついた肉の串と揚げ菓子。肉は硬くて、揚げ菓子は油っこかったけれど。イザベラの食卓に並ぶ高級な料理だって、これには及ばないと思う。
もちろん麗子の時には、安い料理だって食べていた。けれど、一人で啜るカップ麺やコンビニ弁当は義務のように食べていただけ。到底、比べ物にはならない。
何よりも、二人で口元にたれをつけながら食べること。たれのついた互いの顔がおかしくて、大声で笑い合った。
「すっごく楽しい。ね、セス!」
「あははは! そうですね」
はしゃいで同意を求めると、セスも声を立てて笑った。
「セスがこんな風に笑うのって、珍しいかも」
「え? そうですか?」
ぽろりと何気ない感想をこぼすと、笑いをひっこめたセスがきょとんとした。オレンジ色の日が、セスの顔を染めている。
街の日が少し傾き始めていた。イザベラの胸には、ただの紐に石を括りつけただけのペンダントが揺れている。買い食いの余りの、スズメの涙のような金額で買ったもの。小さな子供が着けるようなそれが、今のイザベラには宝物だ。
「そうよ」
「……俺、そんなに不愛想ですか」
神妙な顔つきになったセスが、自分の頬をこねる。彼の首元にも、色違いの石がぶら下がっていた。
「ううん。セスはよく笑っているわ。でも、声に出して笑う事は滅多になかったから」
にこにこと微笑むセス。困ったように笑うセス。くすりと笑うセス。嬉しそうに笑うセス。
イザベラが思い出すセスはよく笑っている。だけど、声を立てて笑う事はほとんどなかった。
それはイザベラの知る、過去の幼いセスも、今の少年のセスも、未来の大人のセスも。
――裕助もそうだった。
「セスも裕助も、こんな風に。普通に、楽しそうに笑うことなんてなかった」
無意識にイザベラの手が、セスの頬へと伸びた。
まだ少し丸みを残した頬。その現実の顔に、もっと精悍になったけれど優し気な雰囲気はそのままの、大人のセスが重なる。さらにその幻影は形を変え、やや茶色がかった黒髪と黒目の青年、神宮司裕助の顔になった。
西洋の顔立ちのセスと東洋の顔立ちの裕助では、面影など全くない。なのに時々こうやって二人が重なる。
「イザベラ……お嬢様?」
名前を呼ばれ、重なっていた裕助の顔が消える。残ったのは、柔らかな銀髪、青い瞳の、ほんのりとあどけなさの残る少年。急に頬を触られて驚いたのだろう。大きく目を見開いている。
「あっ」
我に返ったイザベラは、セスの頬から手を離した。
「『ユウスケ』って誰ですか? 異国の響きですが、俺が知る限り、そんな名前の人と会ったことなかったですよね?」
イザベラはぎくりと体を強張らせた。
「ええと」
あああ、私の馬鹿馬鹿馬鹿。
どうして全く似ていない裕助をセスに重ねてしまうのか。そもそも重ねてしまったからといって、口に出してしまうなんて。馬鹿としか言いようがない。
「確か、ほら。異国の宝石商人の名前だったんじゃないかしら?」
「そんな名前の宝石商人はいませんでした」
「誰にだって記憶違いはあるもの。忘れてるだけかもよ?」
「以前お嬢様が『ユウスケ』という名前を出された時に、お嬢様と面会した行商人や王侯貴族の名簿を確認しました。記憶違いは有り得ません」
当たり障りのないように誤魔化そうとしたのに、無駄な優秀さで退路を塞がれてしまう。
「う~~~っ」
どうしようもなさに親指の爪を噛むと、セスの手が添えられた。
「お嬢様。爪を噛む癖なんてなかったですよね?」
しまった。さらに墓穴を掘ってしまった。
爪を噛むのは麗子の癖だ。
「そ、そうだったかしら」
探るように覗き込んでくるセスに、とぼけた返事をしつつ、イザベラは瞳を泳がせた。正直に言うわけにはいかない。信じてもらえないだろうし、麗子の汚い人生をセスに知られたくない。
「お嬢様の癖は全部知っています。お嬢様は苛々すると側にある物を投げるか足で床を叩いていました。爪を噛んだことはありません」
「うぐっ」
「お嬢様は嘘を吐こうとすると、斜め左下を見ます」
「うそっ」
「嘘です。どうやら嘘を吐こうとされたようですね?」
「セスの意地悪ぅ」
「うっ」
セスの珍しい猛攻に涙がにじんでくる。むうぅっと頬を膨らませて睨むと、セスがひるんだ。
「すみません。意地悪のつもりはなくて、その。心配だったから話してほしかっただけで」
おろおろと手をさまよわせるセスの後ろに、ちらりと見知った影が横切った。
「エミリー?」
セスの後ろには、大通りから脇へ入る道がある。店の裏側ばかりの路地だ。整理された表通りとは違い、路地の壁や通路は薄汚れていて、日当たりも悪い。
その路地を見覚えのある後ろ姿が、どんどん奥へと進んでいる。
亜麻色の髪を高い位置で後ろにまとめたポニーテール。白いブラウスに赤いベスト、水色のスカート。せかせかとした足取りと共に、亜麻色の髪がぴょこぴょこと揺れる。あの服装、あの背格好、あの歩き方。エミリーだ。
エミリーは一人ではなく、彼女の前に何人かいた。いずれもドレスを着た令嬢のようだ。すぐに路地の奥を曲がって見えなくなった。
嫌な予感がする。
平民なら学園で出来た友人や知人かもしれないが、令嬢というのが引っかかった。
「セス。エミリーが」
「お嬢様。話しをそらそうとしていますね」
「違うの。そうじゃなくて、様子が変だったの」
「エミリーさんが変なのは今に始まったことじゃないです」
さきほど見た違和感の説明をしようと口を開いたその時。
「イザベラ様!!」
女の声が割り込んできた。
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