13 買い物のいろは
公爵令嬢のイザベラは、自分で買い物などしたことがない。
ドレスや貴金属、家具に至るまで、全て屋敷に職人を呼びつけてのオーダーメイド。あれが欲しいと言えばすぐさま出てくるか、最短時間で取り寄せられるのが当たり前だった。
しかし麗子は違う。ショッピングくらい、麗子の時には何度もしたことがある。だから別に特別でもなんでもない。……筈だったのだが。
「いいでございますですか。イザベラ様、セス様。まずこれが1セーント。これが10セーント」
手のひらの上に硬貨を乗せて、エミリーが説明していく。
「あのね、エミリー。私もセスも15歳よ。いくらなんでも小さい子じゃないのだから……」
「じゃあ、あそこに売っているパン。あの、何も入っていない普通のやつですね。あれ、何セーントだと思いますです?」
エミリーが指さしたのは、並んでいるパンの中でも一番端にある、20センチほどの細長いコッペパンっぽいものだった。
「えーと……150セーントくらい?」
何も挟まれていないパンであれば、日本だったら100円から200円くらいだろうか。1セーントが1円だと仮定して、間をとった150セーントと言ってみる。
「ブー。外れです。800セーントでした」
「ええっ、そんなにするの?」
高い、と言いかけてイザベラは口をつぐんだ。
1セーントが1円くらいの価値とは限らない。もしそうだとしても、パンが日本と同じ価値とは限らない。もしかするとパンの材料がとてつもなく高価で、日本で150円相当のパンが800円なのかもしれない。
イザベラは辺りを見渡した。
行き交う人々や店主や店員も、黒髪や茶髪よりも、金髪が多い。肌も白く、目鼻立ちもはっきりしている。
よくあるファンタジーのように獣人やエルフなどはいない。モンスターは遥か昔に魔王と共に姿を消したという。
だから麗子からすると、一見ここは外国の市場のようだ。
けれどここはあの世界ではない。麗子にとって、未知の異世界なのだ。
イザベラはこの世界の人間だ。ここがどういう世界で、どういう歴史を辿ったのか知っている。礼儀作法や社交の切り抜け方も。
しかしパン一個の値段も知らない。通貨を使ったこともなければ、自分で買い物もしたことがない。
確実に分かっているのは、麗子もイザベラも、何も知らない幼子と同じくらいに世間知らずだという事実だった。
「ごめんなさい、エミリー。やっぱり一から教えて」
だからだろうか。エミリーに頭を下げることに、自分でも驚くほど抵抗がなかった。
「俺もお願いします」
隣のセスが、一瞬動きを止めた後に腰を折る。
「はいです。もちろんでございますです」
軽くそばかすが浮いた鼻にくしゃっとしわが寄るくらい、満面の笑みでエミリーが頷いた。
「でもでも、顔を上げて下さいですぅ。恐れ多くて」
それからぎゅっと目を瞑り、エミリーが突き出した両手と頭をぶんぶんと横に振る。
その様子に思わず吹き出した。
通貨の説明を受けてから、雑貨屋へ向かい、エミリーの母親のプレゼントを買った。
途中、エミリーが変なぬいぐるみを可愛いと言い出し、プレゼントにしかけたのを二人で阻止したものの、その後は寄り道をすることもなく雑貨屋に直行。迷いなく花の香りがする軟膏を選んだ。
可愛らしい包装紙に包んでもらい、ほくほくと店を出るエミリーの後ろで、イザベラは首を傾げた。
プレゼント選びを一緒にしたいと言っていたのに、店に入ってから速攻で買ったのはどういうことだろう。
店には他にも様々な品があったのに、目移りもせずに軟膏を手に取ったと思ったら、「これ下さい」の一言である。まるで、あらかじめ決めていたみたいだ。
面白くなくて、イザベラは小さく唇を尖らせた。
一緒に買い物をしよう、なんて誘った癖に。単なる口実だったのだろうか。せっかくエミリーとの買い物を楽しみにしていたのに、これならイザベラなど要らないのではないか。
「ねぇ、エミリー……」
文句を言ってやろうと、むすっと低い声で切り出そうとしたその時。
「あーっ!」
エミリーが急に立ち止まり、大声を上げた。止まり損ねたイザベラの肩を、セスの手が掴む。すんでのところで、ぶつからずにすんだ。
「そうだったデスー。忘れてましたデスー。私、急ぎの買い物がありましたデスー」
こちらに背中を向けたまま、エミリーがぽんと手を打った。
「どうされたんですか、エミリーさん。しゃべり方が変ですよ」
片手をイザベラの肩に回したまま、セスが眉を寄せた。普段からおかしな敬語だが、さらにイントネーションまでおかしい。
「気のせいでございますデスー」
くるりと振り向いたエミリーの目に、鈍い光が反射する。不気味だ。
「なんだか、怖いわよ、エミリー」
何を企んでいるのだろう。
先ほどまでの不満よりも不安が勝ったイザベラは、自分の肩に回されたセスの腕に手を添えた。
セスの手に力がこもり、セスの方に軽く体を引き寄せられる。セスの胸元にイザベラの肩が触れた。触れている場所からも、触れていない場所からも、体温の伝わる距離。
引き寄せたイザベラの代わりに、セスが半歩だけ足を前に出す。そうして自分の体が盾になるよう、セスが軽く構えた。
自然とイザベラを守ろうとするセスの行動が嬉しい。
イザベラの頬がほんのりと熱くなり、鼓動が早くなった。
「ふふふふふ」
エミリーの口元が、にんまりと緩んだ。
「それ、それでございますですっ!!」
ビシィッ! と音がしそうな勢いで、エミリーの人差し指がイザベラとセスに向けられる。
「……それ?」
「それって何なんですか」
意味が分からない。体を寄せ合ったまま戸惑っていると、エミリーがごほん、とわざとらしい咳ばらいをした。
「ふふふ。こっちのことでございますです」
エミリーが背筋をぐっとのばし、両手を自分の腰に添える。
「通貨の使い方、買い物の仕方は分かりましたですね?」
「ええ。それはまあ、教えてもらったことだし」
「そんなに難しい事じゃなかったですから」
イザベラもセスも、エミリーに練習だと言われ、それぞれ飲み物を購入したのでやり方は分かった。そもそも買い物自体は麗子の時に何度もやっているから、通貨の価値さえ分かればなんとかなる。
「よし! じゃあ大丈夫でございますですね」
こくこくとエミリーが一人で勝手に頷く。
「なにが大丈夫なの?」
「話が全く見えないのですが」
「私がいなくても、お二人だけで大丈夫ってことでございますですよ。と、いうことで!!」
ビシッと立てた人差し指をエミリーが振る。鼻先で勢いよく振られたため、セスと二人で一歩後ろに下がった。
「私からのミッションでございますです。セス様はイザベラ様に。イザベラ様はセス様に。何かプレゼントを買うこと。あ、お二人でおそろいの何かでもいいでございますですよぉ!」
ひいているイザベラとセスのことなどお構いなしに、ドヤ顔のエミリーがまくし立てた。
「えっ」
「プレゼント?」
意表を突かれ、セスと顔を見合わせる。青い瞳が驚きに開かれ、戸惑いに揺れている。きっとイザベラも同じ顔をしているのだと思う。
誕生日でもイベントでもないのに、プレゼントを贈り合うなんて。恋人同士くらいなものではないか……と、そこまで考えたイザベラはあっと思い当たった。
そういえばやたらとエミリーは、セスとデートさせようとしていなかったか? ということはもしかして、買い物に誘ったのも単なる口実。エミリーのたくらみはデートだ。
「私がいなくても買い物が出来るかどうかのテストでございますです」
にこにこと笑顔のエミリーが何か言っているが、イザベラはそれどころではなかった。
急にデートなんて心の準備が出来ていない。けれど、セスとのデート。これも魅力的だった。
「さっき言いましたように! 非常に残念なのですが、エミリーは急ぎの買い物を思い出しましたです。ですから! 私は自分の買い物を済ませてきますです! それじゃ行ってきますです!」
迷っているうちに、早口で一気に言い切ったエミリーがくるりと背を向ける。数歩行ってから止まり、ぶんぶんと手を振った。
「後で何を買えたか見せて下さいですねー! っあっ、すみません、すみません!」
振った手が通行人に当たり、ぺこぺこと謝る。えへへと舌を出して愛想笑いを浮かべると、今度こそ走り去っていった。
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