10 余計なお節介
風邪が治ってから数ヶ月が経った。
「また違う殿方と話していますわ」
不快そうに眉をしかめたマリエッタが、アメリアに嫌悪の視線を向けている。
「それだけ彼女に人気があるということでしょう?」
イザベラは軽く肩をすくめた。
なにせ彼女は乙女ゲーム『ローズコネクト』のヒロイン。アメリアがモテるのは、攻略対象が多いのだから仕方がない。
次期国王候補のジェームス王子。童顔と明るい性格で人気者のデイビッド。寡黙でストイックなイケメンのリアン。俺様な豪商の息子カルロス。学園一の秀才スコット。
麗子の見た小説では、その五人がゲームの攻略対象だった。
今アメリアに話しかけているのはデイビッドだ。少し癖のある金髪、大きな青い瞳がくるくると動く彼は好奇心旺盛で交友関係も広い。
友人のベリンダを交え、三人で楽しそうに談笑している。
彼女たちはいつもそんなアメリアを見ては眉をひそめ、悪口を言う。その度にイザベラはやんわりとたしなめている。
もちろん断罪回避のためだ。マリエッタたちの悪口に乗って、王子にアメリアへの嫌がらせだと思われては困る。
「イザベラ様はご不快に思われないのですか? 殿方をとっかえひっかえして。はしたないではありませんか」
長いまつ毛に縁どられた瞳を横目に流し、マリエッタが鼻から息を吐く。
「マリエッタ様の言う通りですわ。あの方々があんな平民の小娘を構うなんて。どんな手を使って誘惑しているのでしょう。汚らわしい」
「大方、体でも売っているのでしょうよ。そうでなければ家柄も何もない、貧相な娘なんて相手にするものですか」
「いかにも平民らしい、卑しい売女ですわね」
周りにいる令嬢たちも次々とマリエッタの意見に乗った。
どの顔にも浮かんでいるのは嫌悪と侮蔑、優越感。
彼女たちは『平民』を見下すことで、自分たちが『平民』よりも優れているのだと優越感に浸っているのだ。
「別にとっかえひっかえではないでしょう? 別にアメリアは彼ら全員とつきあっているわけじゃないわ。友人関係なだけよ」
イザベラは溜め息を混ぜながら、言葉を吐き出した。
当事者である時は彼女たちと同じ思いに囚われていたけれど、端から見ていれば面倒臭い感情だ。
なぜ美しく由緒正しい家柄の自分たちよりも、平民でどちらかというと平凡な容姿のアメリアばかりが、学園でも人気の高い男性にちやほやされるのか。
そんなのおかしい、許せない。きっとアメリアが裏で何かしているに違いない、と。
やり直した今なら分かる。アメリアから彼らに話しかけたのではなく、むしろ彼らに話しかけられると慌てて避けていた。
そんな彼女がヒーローたちには新鮮に映るのか、逃げる者ほど追いかけたくなるのか。ヒーローたちは盛んにアメリアに話しかけ、気を惹こうとしている。
もちろん、小説やゲームの強制力みたいなものもあるだろう。麗子の読んだ小説の流れと同じで、アメリアにはやたらと彼らと接近するような、ハプニングだったり偶然だったりというイベントが起こるのだから。
しかしそこからヒーローたちがアメリアに惹かれていくのは、アメリア自身の素朴な魅力なのだと思う。
「マリエッタ、皆さん。平民だからと見下すことは、貴女たちの魅力を下げてしまうだけなのよ?」
こんな風に人を見下す人間を、誰が魅力的だと思うだろう。逆に醜いと感じるのではないだろうか。そうして彼女たちが『平民』を蔑み、貶めれば貶めるだけ、反対に飾らず自然体で接する平民のアメリアが輝く。
そんなことも分からないの? と、マリエッタたちに問いかけたくなるけれど、分からないのだ。
他人から見える自分の姿は、自分では見られない。第三者となって初めて見える。
彼女たちの姿は、かつての自分だ。
他人を落とすことで上がろうとする。他人の粗を見つけることで自分はもっと優れているのだと思おうとする。そうやって自分を守っている。
意地っ張りで、間違ったプライドばかりが高くて、可哀想な、かつての自分。
「魅力を下げる?」
マリエッタの眉と目元がひくついた。彼女の瞳の底に、怒りの炎が鈍く点る。
「ではイザベラ様は、私たちが『平民』よりも下であると。劣っていると。そうおっしゃるんですね」
殺しきれなかったらしき感情がマリエッタの声を微かに震わせた。奥でくすぶる焔が、彼女の瞳でほの暗く踊った。
プライドにすがっている者は、プライドを傷つけられることを何よりも嫌う。イザベラは王家の血を引く公爵令嬢だから我慢しているけれど、そうでなかったら怒鳴り散らしていることだろう。
「それは違うわ」
イザベラはゆっくりと首を横に振った。
間違った価値観で凝り固まった人間に、綺麗ごとなんて響かない。考え方なんて簡単には変わらない。自分は今、余計なことを言っている。きっと耳に痛いだけで、届かないだろう。かつての自分がそうだった。
「平民だとか貴族だとか関係ないのよ。家柄なんてものに価値なんてないの。そんなものにすがっていても醜いだけ。他人を落とすとね。落とした他人よりももっと、自分が落ちてしまうのよ」
珍しく本心から警告した。前のイザベラが落ちてしまったところに、落ちないように願って。
平民より劣っているのではない。家柄なんてものは簡単にひっくり返る。
公爵令嬢のイザベラが平民を陥れて、王子の怒りで奴隷に落ちたように。
地獄というのは他人に落とされるところではなく、自分から落ちるところなのだ。
「どうして私が平民より落ちるのです。どうして……そんな目で私を見るのです。イザベラ様は私より平民の肩を持たれますのね。私を馬鹿にしていらっしゃるの? ……そういうことで……ザ……すのね……ザ」
マリエッタが顔をうつむかせた。彼女の顔に影が落ちる。
ゾクッ。イザベラの背中に悪寒が走った。
マリエッタの語尾に、何かが混じった。
あれは、ノイズ……?
マリエッタの顔に出来ている影が妙に黒いのは気のせいだろうか。
確かめようと、イザベラはマリエッタの顔を覗き込もうとした。しかしイザベラの視線を避けるようにマリエッタがぷいっと顔を背ける。
「失礼いたします」
今度のマリエッタの言葉に、ノイズは混じっていなかった。
「マリエッタ!」
イザベラは立ち上がり、彼女を呼び止める。それを無視したマリエッタが頭を軽く下げ、自分の席を通り越して出入り口に向かう。令嬢たちもマリエッタに続いた。
イザベラは教室を出ていく彼女たちにじっと目を凝らしたが、背を向けたマリエッタにも、令嬢たちにも黒い影は全く見えなかった。
「お嬢様。彼女たちと何かあったのですか」
ぽつんと独りになったイザベラにセスが近寄ってきた。
ふう、と息を吐いて再び椅子に腰を下ろす。
「別に何もないわ。少し意見が合わなかっただけ」
少し血の気が引いた顔をセスに見られないよう、横を向いて頬杖をつく。頬に当たった自分の手が冷たい。
失敗した。マリエッタを敵に回したかもしれない。少なくとも、悪意を持たれた。だからノイズが混じった。
柄にもなく説教などするのではなかった。本当に、何一つ上手くいかない。
苛々する。泣きたいような怒鳴り散らしたいような気分だ。
「お嬢様は、変わられましたね」
柔らかく落とされたセスの声にイザベラは頬から手を離した。
そろそろとセスの顔を見る。
「……嫌になった?」
口から出た声は、自分でもびっくりするほどに弱弱しかった。
セスを幸せにするために。自分も幸せになるために。
変わろうと決意したけれど。
変われているのだろうか。
アメリアからの印象は、少しでも良くなっただろうか。
また何かしらの断罪ルートを通るのではないだろうか。
いつか皆、ノイズと黒い影に飲み込まれて迫ってくるのではないか。
侍女のエミリーとの距離は縮まったが、マリエッタたちとは逆にぎくしゃくしてしまった。
この上、セスにまで悪意を持たれてしまうのだろうか。
「いいえ。むしろ今のお嬢様の方が本当のお嬢様だと俺は思います」
セスがふわりと微笑んだ。
銀の光のような微笑みが胸に垂れこめる暗雲を取り払い、柔らかな声が毛布のように心を包んで、じわじわと温もっていく。
セスのたった一言と微笑み。
それだけで不安が晴れてしまう。
本当に、自分は変わってしまったらしい。
それがなんだか可笑しくて、でも不快ではなくて。
「ありがとう」
イザベラは穏やかに笑って告げた。
とても自然に心からぽん、と出てきた言葉を。
セスの青い瞳が小さく開く。そのまま瞬きもしないで、じっとイザベラを見つめたまま動きを止めてしまった。
「何よ。またお礼を言っただけで驚くの?」
「あ、いえ。違います。驚いたのではなく……その、なんでもありません」
唇を尖らせてすねるとセスの硬直が解ける。数回パチパチと瞬きをしてから、また微笑んだ。
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