*49*リーリエのpresage
「あの、お姉様……?」
わたくしは、エルネストと何やら言葉を交わしているらしいお姉様へと話し掛けた。その語勢は腰が引けたようにびくびくとしていて、自ら発した言葉だというのに動揺してしまう。
こちらへと背を向けていた従姉は、突然の事に一度大きく肩を震わせた。それから、ゆっくりとわたくしたちの方へと振り返る。
振り向き様、わたくしと目が合ったお姉様は大きく瞳を開き、戸惑いの表情を浮かべた。
「あ……リーリエ。それにクリスまで……。どうしてここに?」
その声色は僅かに震えていた。けれど、従姉はそれを隠そうとしているような気がしたのだ。見慣れている筈の笑みは硬く、纏っている空気はぴんと張りつめたような緊張感を抱かせた。
「クリス様がお母様をご覧になりたいそうなので、こちらに案内したのですわ。お姉様こそ奇遇ですわね? それに……」
わたくしは、ちらりと従姉の横に目線をずらす。すると、バチリと視線がぶつかってしまった。
「リーリエ様、ご機嫌は如何でしょうか?」
エルネストはニコリと爽やかに微笑んだ。その様子は普段と何も変わらず、わたくしの胸騒ぎは只の杞憂でしかないのかもしれないと感じる。
「あ、ええ……。ありがとう。先程ミリアの美味しいカポナータを頂いたのよ」
わたくしも彼に応えるように口元に笑みをつくり、出来る限りこの胸中を悟られぬよう気を配った。
「そうでしたか。ミリアの料理は絶品ですからね。なかなか食せる機会がありませんから、クリスティアン様は幸運でしたね」
彼は爽やかな面様を崩さず、クリス様にも微笑みかける。
「ああ、本当に美味しかったよ。料理人たちにも負けないくらいの腕前だね」
「あっ……ありがとうございます!!」
クリス様に再度絶賛された上、エルネストからもその腕を高く評価されている彼女は嬉しそうに頬を上気させる。
「……って、そうじゃなくって!! エルネストさん! どうしてこちらにいらっしゃるんですか!?」
つい、この和やかな空気に流されそうになってしまったミリアは、ハッとしたように彼へと詰め寄った。
「なぜって決まっているだろう? この中におれの”主”がいるからさ」
エルネストは両手の平を上にした格好をして、「何を分かり切った事を聞いているんだ」とでも言いたげだった。
確かに、それは”当たり前”でしかない。それ以外に彼がこの場にいる理由など無いのだ。
「……それは分かりますが、アレクシス様は執務中ではないのですか? どうして突然エスポワールの間にいらっしゃるのです?」
彼女自身の”主”でもある叔父の行動を”騎士”であるミリアが疑念を抱いたところで無意味でしかない事だが、きっと彼女も気に掛かったのだろう。訝しそうな表情をしていた。
「……ミリア」
すると、当のエルネストではなく、俯き加減に様子を窺っていたお姉様が彼女を真っ直ぐに見ながらぽつりと名を呟いた。
「エルネストも何故かは知らないそうよ。お父様が、急にここへ足を運びたいと言い出したらしいわ」
「え……? アレクシス様が?」
ミリアは、「信じられない」といった風に目を丸くさせて言葉を失っている。
どういう事なのかしら……?
当然、これまでも叔父がエスポワールの間へ赴いた事は何度もある。けど、それは自分たち家族の誰かしらが共に連れ合っていた。
わたくしが存じ上げる限りですと、叔父様はお一人でこちらへいらっしゃった事は無いような気が致しますわ。
それが、どうして急に……?
執務を抜け出してまで出向くなど、自分の知っている叔父らしからぬ行動だった。
「お父様……何を考えているの……」
お姉様でさえ、父である叔父様の真意をくみ取れない様子だった。両手を胸に添え、そわそわと落ち着かない気配を漂わせている。
「……とにかく中に入ってみないか? リーリエの母上も見てみたいし、きっとローザリカの疑問もそこで分かるんじゃないかな?」
クリス様は、お姉様へと気遣わしげな視線を向ける。バチリとぶつかったそれは、「あ……」と声を漏らした従姉の方から逸らしてしまった。
お姉様……。
「……。とにかく行ってみよう」
そう言ってクリス様は扉の前へ進み、一際目を引く縦長の金のノブを躊躇う事なく押した。そこからは、キィという自分にとって聞き慣れた心地良い音がする。
「行きましょう、お姉様」
「……。そうね……」
一瞬、お姉様は迷いを見せた。けれど、決意したように真っ直ぐに目の前の扉を見つめて歩を進める。
わたくしたちはエルネストとミリアを残し、エスポワールの間へと入って行った。
その時のクリス様の背は、心なしか寂しそうに見えた――――
presage=胸騒ぎ、予感、虫の知らせ




