*36*ローザリカのfear Ⅳ
――二人の夫婦喧嘩は、その後もしばらく続いていた。
早く終わってほしい……。
そんな事を心の中で祈り続けていた。
王族であっても、父と母は夫婦だ。当然、両親の喧嘩を見るのは初めてではないが、自分の為に言い争っている事が嫌だった。
けれど、幼心にも両親の成り行きが気掛かりだったのかもしれない。布団の端から、そっと覗き見ていた。
その時、母はひどく感情的になっていた。父も売り言葉に買い言葉だったのだろう。二人の言い争いは、とどまるところを知らなかった。
「……もう嫌よ!! どうして、もっと真剣になってくれないの!?」
母は、今にも泣き出してしまいそうな程に声が震えている。
否、それは既に涙が頬を伝っていた為だった。
「なっ、何を言っているんだ!? ……私も出来る限りの事はやっているさ!」
父は、そんな母の反応に聊か面食らったようで、幾らか気遣わしげな面持ちを見せた。
もう嫌……。
今以上に体調が悪化してしまいそうよ……。
頭から布団をかぶって、もう耳を塞いでしまおうか。
そんな事を考えていた時だった――
「もし、これが……リーリエだったなら……、エメリアとの子であったなら……!! あなたは、もっと真剣になるのでしょう!!?」
えっ……?
ドクンっ!!
一際大きく心臓が跳ねた。その一言はわたしの心に深く突き刺さり、それ以外の体の全機能が停止してしまったかのように、瞬き一つさえも出来ない。
お母様は何を言っているの……?
その言葉が表す意味を、瞬時に理解する事は不可能だった。
けれどドクドクドクと、発作の時とは明らかに異なる脈動が体中を駆け巡る。同時に自分の呼吸も一層荒々しさを増していく。
リーリエだったら……? エメリア様との……子であったなら……?
激しい鼓動が不吉な予感をさせて、自分の推測に尚も真実味をもたらせてしまう。
「なっ……!? 違うっ!!」
お父様は声高に叫びながら、勢いよく右手で空を切った。大きく目を見開き、ひどく動揺した表情をさせながら、お母様を凝視している。
「……っ……わああああぁぁぁ!!!」
けれど母はふらりと倒れ込み、その場で泣き崩れてしまった。
それを眺める父は、呆然とした面持ちで立ち尽くしていた――
聞き間違えではないの……?
けど、今現在の父と母の状況を鑑みれば、それが「事実」であるという事など容易に想像できてしまった。
どういう事なの……?
エメリア様の子だったら、お父様はもっと真剣に考えてくれた……?
リーリエならば……?
それがどんな意味を持つのか分からない程、わたしは幼稚ではなかった。
まさか、そんな事ある訳ない。
だってお父様とお母様はとっても仲良しで、わたしの理想の夫婦で……。
時には先程のように喧嘩する事もある。でも、それは父や母に限った事では無いはずだ。
でも、もしも……それが真実だったとしたら……?
わたしは、ある一つの「結論」に達してしまった。
もちろん、それが「真実」なのかどうかはわからない。
考えたくなどない。ただの思い違いであってほしい。
けど……もしかしたら、リーリエは…………――
――突然の母の一言で、その場は一気に重苦しい空気となってしまった。
否、二人はもともと激しい口論をしていたのだ。状況は大きく変化した訳では無いのかもしれない。
なのに――
苦しい……。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
この部屋には、お父様とお母様しかいないにも拘らず、急に発作の症状が表れた。
呆然としていた父が、ハッとわたしの異変に気付く。
「ローザリカっ!?」
父が、わたしを気遣うように覗き込む。そして、いつもやってくれるように、わたしの頬に手を伸ばした。
けれど――
パシンっ!!
わたしは、その手を弾き返してしまった。
「……あっ……!!」
無意識だった。だから、自分自身で起こした行動であるのに愕然としてしまった。
「え……?」
父は、わたしの振る舞いに対して、一瞬時が止まったように体を硬直させる。
「ロー、ザリカ……?」
そして、小さく震えた声で、わたしの名を呼んだ。
恐る恐る顔を上げてみる。
……あ……
するとそこには、ひどく傷付き辛そうな面持ちをさせた父がいた。
『……ぃや……いや……いやあぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!』
それは、あの時のリオンの表情を彷彿とさせた。
わたしは、また大切な人を傷付けてしまった……。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
でも――
『もし、これが……リーリエだったなら……、エメリアとの子であったなら……!! あなたは、もっと真剣になるのでしょう!!?』
あの、お母様の言葉が頭から離れない。
お父様とエメリア様は、どんな関係だったの?
お父様とお母様は、愛し合ってなどいなかったの?
お父様は、わたしよりもリーリエの方が大事なの?
それに、もしかしたらリーリエは、わたしの「本当の妹」なの……?
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
薄れゆく意識の中で最後に見たものは、お父様のとても哀しそうな碧い瞳だった――――
――――その後も、考えれば考える程、父への疑惑は深まっていくばかりだった。
それはもしかすると、父へ一言問い質せば済む事だったのかもしれない。
けど、聞くのが恐かった。
聞いてしまって、それが「真実」であったなら……?
わたしが信じてきた家族が、「虚像」でしか無かったのならば……?
わたしは家族でさえも、信じる事が出来なくなってしまった。
そして、父を拒絶するようになってしまった。
王族たちを守ってくれると信じていた兵士には襲われて、大好きなお父様には、わたしの知らない秘め事があって……。
その上、あの言葉を聞いてしまってからお母様でさえも、どことなくお父様を訝しんでいるような気がしてしまう。それは、わたしが今まで気が付かなかっただけなのだろうか。それとも……――
わたしは「人」が恐い。
それ以上に、「人から裏切られる」のが恐い。
わたしにとって大切な人たちであれば、尚更の事。
そして、わたしは父どころか、母やリオン、リーリエ、伯父様……。大好きな家族たちに触れる事さえも出来なくなってしまった。
いつもの日常の筈だった。けれど、その日から始まった”恐怖”は、わたしの胸に深く刻み込まれる事になったのだ――――




