表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

からたちの道を君と二人で歩いていた

作者: 櫻屋かんな
掲載日:2021/05/28

「なにぼんやりと歩いてんだよ。転ぶぞ」


 後ろからそう声を掛けられて、僕は慌てて振り向いた。


「なんだ、コウスケか」


 わざとつまらなさそうに言うと、コウスケがにやりと笑う。いつもの放課後。帰り道。夕日に照らされて、影が長く伸びる。


「コウスケも今、帰りか?」

「うん。今、帰り。前をだらだら歩いているのがいるなと思ったら、お前だった」

「悪かったな。暑いんだよ」


 歩くうちにずれてゆく肩掛けカバンの位置を直し、ついでに手で仰ぐ。夏休みが終わって新学期が始まっても、残暑は続く。空の高さに秋の気配を感じるけれど、気温はまだまだ夏のようだ。


「そう言えばさ、進路表出した?」

「聞くときには、自分のを先に言うのが礼儀だろ?」


 思いついた問い掛けにすかさずそう返され、ちえーっと呟く。


 夏休みが終わって、いよいよ高校受験も本格的になってきた。いい加減志望校も決めていかなくてはいけない。僕の学力で行ける範囲を挙げてゆけば大して数もないくせに、いざとなると決められないでいる。


「コウスケ、僕と同じくらいの成績だよな。お互い黙っていても、一緒の高校になったりして」

「そんなの、分からないだろ」


 思わせぶりな台詞に、慌てて斜め後ろを振り返った。


「嘘っ。もしかして、成績上がった?」


 勢い込んでたずねる僕を、コウスケは笑い飛ばす。


「なにあっさり騙されて、焦っているんだよ」


 その言葉にからかわれていたのだと知り、むっとした。志望校の話なんて受験生にとっては重要なことなのに、はぐらかした上に引っ掛けるなんてずるいや。それじゃあまるで、まるであいつみたいに、


「あれ?」


 さっきまで出掛かっていた言葉が、溶けて消えるように抜けてしまった。戸惑いだけが残って、助けを求めるようにまた振り返る。コウスケはさっきからずっと一歩後ろを歩いていて、決して僕を追い越さない。


「ねえ、あいつ誰だっけ。ほら、小学校から同じクラスで、いつも一緒にいた奴。夏休みに講習会行くって言って、それから急によそよそしくなった」

「誰だよ、それ」

「だから思い出せないんだよ。えーっと、なんて名前だっけ」


 思い出そうとすればするほど、イメージが曖昧になる。たった今自分が説明した人物像以外、すべてが分からなくなっていた。


「あのな、中学三年生で来年受験で、この夏休みに夏期講習行って、それ以来真面目に勉強に打ち込んで、付き合いが悪くなっていく奴、わりといると思うんだけど、どうよ」


 心底あきれた様に言われ、言葉に詰まる。確かにこんな中途半端に田舎の場所でも、駅まで出れば塾はあって、僕ですら短期の講習会には参加した。その後付き合いが悪くなっていったかどうかは、本人の自己申告より他人がそう見るかどうかの話だ。


でもなぁ。


「誰だったかなぁ」


 コウスケも知っている奴なんだ。だってとても身近にいた。っていうことは最低限、同じ地区で小学校からの付き合いで、なのに、なのに、


「男だっけ? 女だっけ……?」


 それすら、忘れている?


 呆然とつぶやくと、コウスケの声がした。


「疲れているんじゃねえの? 暑さにあたったんだよ」


 のんびりとした言い方は変わらないのに、どこかうかがうような口調。僕は息を吐き出すと、気分を変えるように辺りを見回した。


「そうなのかな」


 確かに暑いけれど夕暮れのせいか、昼のゆだるような熱気はおさまっている。


「疲れって、真っ最中よりもひと段落付いた頃のほうが一気に出るんだぜ。お前の場合、それの気がする」


 そういうものなのかなと思いながら、帰り道を歩いてゆく。両脇をからたちの生垣で囲われた、一本道。田舎らしく人気は無く、ここにいるのは当たり前のように僕とコウスケだけだ。


「あともうちょっと、涼しくなればいいのに」


 見慣れた両脇の緑になにか息苦しさを感じ、意味も無く肩掛けカバンの位置を直してみた。


「まだ無理だろ」

「そうだな」


 こもる暑さに押しつぶされそうになって、風が無いことにふと気が付く。からたちの棘だらけの生垣は、ただでさえちょっとやそっとの風では動きそうも無くて、葉すれの音が一切しない。


 ああそれに。


 確かめるように耳を澄ませ、小さくうなずいた。風だけじゃない。この季節なら当たり前のように聞こえていた、蝉の声がしないんだ。なんの物音もしない、一本道。


 けれど無音であることに気づいた途端、ふわりとかすかにピアノの音が流れてきた。


「カノンだ」


 ほっとして、思わずつぶやく。ピアノの音色は優しく響き、なにかが欠けているような、そんな不安を消し去ってくれた。


「違うだろ。これは輪唱の曲だよ」


 僕の気持ちなどお構いもしない、コウスケの突っ込み。むっとしながら反論する。


「同じだよ。輪唱のことを英語だかなんだかでカノンって言うんだよ」

「違うね。輪唱は同じ旋律で次々に歌ってゆくけど、カノンは別の音程とかリズムで歌っても良いんだよ」

「……そうなの?」


 悔しいけれど、コウスケの説明のほうが僕より理論的だ。


「じゃあ、カッコーが鳴いたり、蛙が歌ったりするのは?」

「輪唱だろ」


 ためらいの無い返答にふうんとうなずき、また黙り込む。繰り返し繰り返し、追いかけ続いてゆく、メロディー。すんなりと僕の耳や心に入り込み、なにかの記憶をゆっくりと浮かび上がらせてゆく。


 なにか。


 そう、今まで忘れていた、なにか。


「この曲、……覚えている。小さい頃、歌っていた。コウスケともう一人、女の子」


 そうだ、女の子だ。


「僕が最初に歌って、彼女が次。そして三番目がコウスケだった。繰り返し繰り返し、追いかけ続いていって、いつも最後は笑ってお終いになったんだ」


 彼女とコウスケと僕。いつも一緒にいた。そうだ。さっき出掛かったまま消えていったのも、彼女の記憶だ。


「この曲の最後、どんな風に終わるんだっけ? それと彼女」

「終わらないよ」


 彼女の名前も聞こうと思ったのに、最初の質問の答えが先に返ってしまった。


「終わらないって?」

「この曲はずっと続いていくんだよ」


 振り返ると、コウスケは笑っていた。楽しそうな、無邪気な表情。それなのに黒い瞳が静かに据わっているようで、そのバランスの悪さに不安になる。


「……コウスケ、彼女のことを覚えている?」


 知らないよ。


 そう言われるのではないかと、半ば身構える。けれどコウスケはすぐにうなずいた。


「いつも俺達、一緒にいた」


 優しい表情。でも、瞳の色は暗くよどんだままだ。


「俺とお前と、あいつ。小さい頃から一緒にいた。この曲、いつも一緒に歌っていたよな」

「じゃあなんでさっき、誰だよって聞いたんだよ」

「お前が忘れたからだろ」


 即答され、僕は言葉に詰まってしまう。コウスケは感情のこもらない口調で、ただ事実を告げていた。その言い方に、僕を責める気持ちは感じられない。だからこそ、不安が増してくる。


 僕は大切なことを、忘れている?


「仕方ないよ。気付いてしまったんだから」

「なにを?」


 問い掛けるけれど、答えが返ってくるとは思えない。コウスケの言葉はまるで独り言のようで、僕ではなく自分に向かって言っているようだった。


「気付いて、お前は忘れることにして、あいつは逃げることにした。つまんない。いつもお前達はそうなんだ。大きくなると、すぐにそうやって離れてゆく」

「コウスケ……? コウスケ」


 呼びかけを繰り返すと、ようやくコウスケは僕を真っ直ぐ見つめ、宣言するように言った。


「だから俺も、俺のやりたいようにすることにしたんだ」


 輪唱のメロディが、さっきより大きくなる。そのせいか、自分の考えが上手くまとまらない。僕は少しずつ焦り始めていた。


 コウスケは、なんの話をしているのだろう? そして彼女。


「教えろよ。あの子は、誰だ? なんて名前で、どこに住んでいる?」

「あいつなら今、この生垣の中にいる」


 コウスケはゆらりと片手を上げると、そのままからたちを指差した。


 からたち。からたちの木。


『からたちの木よ』


 不意に彼女の声を、思い出す。


『からたちの木は、その棘で侵入者を防ぐの』


 そう彼女が言ったのは、いつだったろう。


『ここに居れば、あれは入ってこられないから』


 あれ? あれとは、なに?


 彼女の顔が思い出せない。彼女の名前が思い出せない。それなのに、彼女がおびえていたことだけは、はっきりと理解できる。


 でもなにに? なにに対して?


「馬鹿だよな」


 思い出に被さるように、コウスケがくすくすと笑って言った。


「守るために閉じこもっていても、そこから逃げられなくなるだけなのに」

「コウスケ……」


 目の前の友人の、深く暗い瞳を見るうちにひとつ気が付いた。僕は震える声で、呼び掛ける。


「コウスケって字、なんて書くの?」


 僕はそれを思い出せない。

 浩介? 孝輔? 幸助?

 それと、コウスケの苗字は?

 そして、そして僕の名は?

 僕は誰?

 君は? 君の名前は、なに?


 コウスケの笑い顔がくしゃりとつぶれたようになって、辺りに闇が広がった。


 輪唱のメロディがこだまする。

 終わらないよ。

 この曲は、ずっと続いてゆくんだよ。


 この道も、ずっと続いてゆくんだよ。





「なにぼんやりと歩いてんだよ。転ぶぞ」


 後ろからそう声を掛けられて、僕は慌てて振り向いた。


「なんだ、コウスケか」


 わざとつまらなさそうに言うと、コウスケがにやりと笑う。


 いつもの放課後。帰り道。


 夕日に照らされて、影が長く伸びていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ