34 その口付けは、甘すぎて
「見ろ、神官兵だ」
交差点から西側へ向かってだいぶ走ると、職人街の方から神官兵がぞろぞろと出てくるのが見える。
赤い肩章を付けた兵長が指示を出していて、商人街へ入っていく兵たちとそのまま西大門へ向かって走っていく兵たちがいる。
二人はフードを目深に被りなおし、人混みにまぎれた。
「だいぶいるな」
「なんか聖女がどうとかしゃべってるよ」
二人は鋭くなっている聴覚で、神官兵たちの会話に利き耳を立てる。
――「ったく迷惑な聖女様だぜ。せっかくの建国記念祭典前の楽しい夜だってのに、なんだって仕事しなきゃなんねえんだ。おとなしく捕まってくれりゃあいいもの」
――「ていうか、聖女様って何したんですか? 聖女様に限って悪事を働くなんてことはないんじゃあ」
――「そんなことぁわからん。テオ大神官に早急に連れてこいって言われただけで、それがすべてだ。我々末端の兵は言われた通りにすりゃあいいんだ。それが平穏無事に暮らすコツ、出世する秘訣だ」
――「はあ……」
――「我らは東へ行くぞ。急げ」
ばたばたと反対方向へ走り去っていく神官兵たちを見て、二人は顔を見合わせた。
「ノアはまだ見つかっていないんだね」
「これだけ兵が出てるんだ、この付近にいるのは間違いないんだろう。しかしあの人数を撒いてよく逃げきっているな」
「感心してる場合じゃないだろう。神官兵より先にノアを見つけなくっちゃ」
「そうだな。神官兵たちのあの様子では、この東西目抜き通りより北にいる可能性が高い。俺は東から北上する」
「僕は西から北上するよ」
二人は今度こそ、それぞれに背を向けて走り出す。
(僕こそが)
(俺こそが)
再誕聖女を、手に入れるために。
◇
(神官兵より先に、そしてアルよりも先にノアを見つける)
東エリアは商店もあるが、おおむね貴族や大商人の屋敷のある高級住宅街だった。
ゆえに道も石畳が整備されていて歩きやすい。
しかしその分、身を潜める場所が少なく、各屋敷には自衛のための門番が警備をしているので、怪しまれないようにしなくてはならない。
(こんな見つかりやすい場所にノアは来ないか。くそっ、東側はハズレか)
レオは足早に屋敷街を抜け、西の商人街へ渡ろうと決めた。アルに先を越されるわけにはいかない。
(近道は……ここだな)
ちょうど屋敷と屋敷の間、広大な庭が広がり、灯りがないため暗い、細い道。ここを通り抜ければ北正面に神殿の丘を見上げる、南北大通りに出るはず。
普通の人ならば絶対に通らないであろう闇道にレオは足を踏み入れる。夜目が利くレオには、日暮れ頃の暗さにしか見えない。
だから、道の先に立っている人影にもすぐに気付いた。
「……ノア?」
白い聖女衣が動き、振り向く。
月明りを移したような銀色の髪を揺らし、ノアが走ってきた。
「やっと見つけたわ……!」
レオの胸に飛び込んできたのは、間違いなくノアだ。髪は垂らしているが、その湖水のような双瞳も桜色の唇も、繊細な顔の稜線も、ノアだった。
「おまえ、なんでそんな格好しているんだ」
戸惑うレオを、ノアは見上げてくる。その湖水の瞳が蠱惑的に潤んでいる。
「こわかったわ」
「ノア」
小さな身体が震えて、レオにしがみついてきた。レオはそっと、その華奢な身体を抱きしめてやった。
刹那、ノアの温かさと柔らかさが、レオの理性の箍にそっと触れる。
「こわかったの」
ノアはそう囁きながら、レオの背に回した手をゆっくり愛おしむように動かした。
「……怪我はないか」
レオは理性を保とうと身体を離そうとするが、ノアはいやいやと首を振る。
「おねがい、このままでいたいわ」
「ノア」
見上げてくるノアの瞳がすう、と閉じる。
それが合図かのようにレオはノアの顔に引き寄せられた。
(……何をしているんだ、俺は)
そう思うが、なぜだか身体が言うことをきかない。
ノアの唇に触れた瞬間、気が付くと花びらのようなその唇を貪っていた。
柔らかく温かな舌が絡まる。甘い吐息がその先をねだるように漏れたとき、レオの理性は飛んだ。
白い頬に、首筋に、唇を這わせる。ノアの嬌声が、レオの脳を痺れさせていく。
しかし、レオの中でもう一人のレオが必死に訴え、抵抗していた。
(やめろ! これは何かの罠だ! やめるんだ!)
その抵抗を打ち消すかのように甘い嬌声はいっそう高くなり――嘲笑に変じた。
◇
(レオよりも先にノアを見つけなくちゃ)
アルは商人街の路地を歩いていた。
職人街の路地と違い、建国記念祭典前のムードに沸く商人街は、夜でも路地裏に人がいる。
飲食店の裏で一服している人だったり、なにやら怪しげな商談をしている人だったり、単純に酔っぱらっている人だったり、いろいろだ。
共通するのは皆、互いのことは気にしていないということだった。
だから、その薄暗い路地の片隅でノアを見つけたとき、アルはつい叫んでしまった。
「ノア!」
積んだ木箱の上に座っているのは、ノアだ。
夜目の利くアルの視界の中では、薄暗い路地でその場所だけ光輝いて見える。
「ああよかった! 会えたわ……やっと」
アルを見上げる湖水色の双瞳は間違いなくノアだ。
アルは周囲に神官兵がいないことを確認すると、ノアの隣に腰を下ろした。
「どうしたんだい、その格好は」
聖女衣をまとい、垂らした銀髪。これがノアの本来の姿なのだろうが、アルは違和感を覚えた。
「美しくない?」
ノアが潤んだ瞳で見上げてくる。
白い繊手が、アルの手に触れた途端、電流が走るように理性を刺激した。
「いや、綺麗だけど……いつ着替えたの? 館に戻れたのかい?」
アルは戸惑って立ち上がろうとするが、ノアがその手をそっとつかむ。
「おねがい、そばにいて」
「ノア」
ゆっくりと手を引かれて再びノアの横に座ると、華奢な身体がそっともたれかかってきた。そのまま見上げてきた湖水のような瞳が、ふうっと閉じていく。
(何かがおかしい……)
アルは頭のどこかでそう思っているが、ノアが瞳を閉じたのが合図かのように、その顔に吸い寄せられていく。
しかし、桜色の小さな唇に自分の唇がそっと触れたとき、アルの思考は止まった。
柔らかい唇を夢中でついばみ、真珠のような歯をなぞって、その奥へ入る。温かな舌が絡み合ったとき、アルの理性は飛んでいた。
華奢な身体を強く抱き寄せる。応えるように身を寄せてきたノアは、その繊手をアルの首へ回した。
覆いかぶさるように白い首筋を舐めると、甘い喘ぎが漏れる。それだけでアルの全身に痺れるような快感が走った。
欲望を抑えることができず聖女衣の上から双丘に触れる。甘い喘ぎ声が激しくなり、さらにアルを刺激する。
しかしアルの中で、もう一人のアルが必死に抵抗していた。
(何をしているんだ僕は! やめろ、やめるんだ……!)
その内なる声を抑え込むように甘い喘ぎ声はしだいに高くなり――嘲笑になった。




