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28 マシューは竪琴を隠す


 アニーが切り盛りする工房は、職人ギルドのひしめく通りの一角にある。

 大きな工房ではないが、アニーの祖父の代からラデウムでは評判の良い工房で、大神殿に竪琴を納める御用職人だった――こともあるそうだ。


「昔はね。今は御用職人どころか、普通の商売も危うい有様さ」

「なぜですか。すごく良い竪琴だったのに」


 再誕してからの短期間にも、この世界でノアはいくつもの竪琴に触れた。

 自前の竪琴も持っているが、行く先で用意された竪琴で演奏してほしいとリクエストされることも多いためだ。


 だからわかる。さっき、ノアが店先で借りた竪琴は、ボディもしっかりしていて手に馴染むような彫り方といい、弦の絶妙な張り具合といい、一級品と言って差し支えない。


「竪琴は、きっとうちの工房始まって以来の質の良さだと思うよ。けどねえ」


 アニーは店の奥に目をやる。

 夕暮れの西日差す工房で、マシューが黙々と一人で作業していた。


 死んだ魚のようなうつろなグレーの双眸は何も見ていないように見えるが、手だけは別物のように規則正しく動いて、まるで機械のように竪琴を作り上げていく。その動きは芸術的とさえ言えた。


「あの人、職人としては文句なしの腕前で、一時期は大神殿専属の竪琴調整師だったんだよ」

「えっ」


 ノアは驚いた。大神殿専属の竪琴調整師は、オルビオンの中から選りすぐりの職人が選ばれると聞いている。


(でもそんなこと、一般の人は知らないから、あんまり驚くとあやしまれるわ。マスクしてると表情があんまり見えないから助かるわ)

 ノアは火傷やけどの跡を隠したいからとアニーに話して、マスクを買って帰ってきたばかりだった。目だけが出る、おおい布のようなタイプで、鼻や口が楽なのがいい。


 キッチンでアニーが夕飯の支度をしていたので、手伝いながらそれとなく工房のことを聞いていたのだった。


「でもマシューはさ、あの性格だろ。大神殿でも周りとうまくいかなくなったらしくてね。何が原因だかわかんないけど、喧嘩沙汰を起こして、ギルドに戻ってきたんだ。でも、大神殿から追い出されたも同然の職人を雇ってくれる店もなくって、ギルドから親戚筋のうちに話がきてさ。それで今に至るってわけ」

「他に職人さん、いないんですか?」

「いたんだけどねえ、つい昨日、マシューと大げんかして辞めちまったんだよ」


 あつあつのマッシュポテトをつぶしながら、アニーは溜息をついた。


「マシューももう爺さんだし、あたしもオバサンだからさ、若い人に来てほしいんだけどね。マシューとケンカになるもんで新しい人は居つかないんだよ。このままじゃ、工房を閉めることになっちまう」

「せっかく良い竪琴なのに……技術が失われるのはもったいないです。あたしが職人だったらよかったんだけど」


 ノアは申し訳ない気持ちになる。アニーがけらけらと笑った。


「そうだねえ、職人だったらよかったねえ。でもさ、あんなに良い音色を聴かせてくれて、正直うれしいよ。雑用くらいはできるだろうし、しっかり働いておくれ」

「はい!」

「じゃ、さっそくだけど食卓を整えてくれるかね。皿は……」


 アニーにいろいろと指示を受けながらノアは工房の方をちらっとのぞく。


 暗くなりかけた工房で、マシューが何か紙のようなものを出してじっと見ていた。

(何を見ているんだろう……? 暗くないのかな)

 ノアが灯りを持っていこうかと迷っていると、マシューは見ていた紙を小さな布袋に入れ、手元にあった竪琴の背負い紐にくくりつけた。

 そして、工具などが置いてある散らかった作業台の奥に、その竪琴をそっと置いた。


(隠してる、ってこと?)


 ノアが首を傾げたとき、キッチンからアニーさんが呼んだ。


「ノアー、シチューできたから持っていっておくれー」

「はい、今行きます!」


 ノアは慌ててキッチンへ戻った。


 ノアが大神殿から追放されて二日目の日が、暮れようとしていた。






 執務室へダルザス神官が入っていくと、テオ大神官は執務卓で山積みになった書物や書類に目を通していた。


「お茶をお持ちしました」

「うむ」


 ブランデンとモーム、両大国共に、立太子の儀式はもう数日後に迫っていた。事後のことや帰路の日数も含め、派遣された五賢者が帰国するまであと十日ほど。


「時間がないのう……」


 テオ大神官が教皇代理・事実上の教皇になるためには、派遣された五賢者たちは《《帰ってきてはならないのだ。》》


 ブランデン王国とモーム王国に五賢者を人質に取らせるためには、一刻も早くノアを捕える必要があった。


 ノアを捕らえてやっと両大国と交渉の椅子に就くことができる。


 その交渉に使えそうな材料を、膨大な資料からテオ大神官は探しているのだった。


「それと、ご報告が。ノア様が西の職人地区に現れたそうです」

「なんじゃと?!」


 テオ大神官は顔を上げた。


「捕らえたか?!」

「いえ、目撃情報を入手しただけです。店先で竪琴を見事に演奏した旅人がいて、かなり人だかりができたとか。その旅人がノア様に似ていたそうです。今、真偽を確認中で――」

「よい! とにかく捕らえよ! 真偽の確認はそのあとじゃ!」

「御意。密偵に伝えます」


 ダルザスは鳥笛を吹いて、執務室の窓を開けた。

 満月が少し欠けた月を背に、黒い鳥の影が近付いてくる。


 それは、闇から抜け出てきたような、漆黒のフクロウだった。



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