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清和の王  作者: 才谷草太
熊野軍略
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戦へと

 源頼朝の屋敷に入り、既に一刻が経っていた。昼過ぎに屋敷に入り、そこから頼朝・政子との駆け引きを始め、遂に本題へと話が動く頃になると蝉が慌ただしく鳴き始めていた。

 「其の方の話しは回りくどくていかん。駆け引きなどせずとももう良い…しかと伝えよ」

 頼朝は少し疲れたように義盛を見ながら言う。政子は今までと変わらず、涼しい表情で全体を見ている。

 「先に申し上げました通り、伊勢平氏の反乱は必ずや起きます。それも西国軍行が始まる時期に合わせてでしょう」

 「葉月にか?」

 「はい。軍行を阻止する…と言うよりも遅らせ疲弊させるのが目的と考えます。鎌倉から太宰府ともなれば兵糧も限られる為、戦が長引けば源家不利となりましょう」

 「ふむ…そこに熊野一党が源家に就くと…」

 「その為には院宣が必要となり、それを率いるは『院』ではなく『鎌倉軍』でなければ成りませぬ。院直下の熊野一党と成れば、この後の戦の軍功が頼朝殿に無く、院へと成りましょう」

 「成程、それをさせぬ為に九郎を判官とするのだな?」

 「それだけでは、下手を打てば院直下の判官と成り兼ねませぬ。源家に二極の力は九郎殿も望んでおらず、しかしながら院旨とも取れる任官を無下には出来ませぬ故に、知恵を絞って参りました」

 そこまで会話が進むと、頼朝が一旦止める。

 「待て、まずは其の方が考える平家打倒の策を聞かせて貰おうか。恐らくはそこに、此度の任官に関する答えがあるのだろう?」

 顎を引き、鋭く見つめる頼朝の目は、真偽を見極めようとする光に満ちていた。


 「葉月、鎌倉より軍を率い大宰府に向かう時に伊勢平氏が反乱を起こします。しかしそれを抑えるのは範頼軍では無く九郎義経軍…。これは恐らく平氏側も計算しておりましょう。奴らの狙いは軍行の足止め・九郎殿の足止めに御座います」

 ここまで義盛が言葉を連ね、頼朝と政子の顔を見るが、言葉を挟み込む素振りを見せない。どうやら最後まで語らせる腹積もりの様だ。

 「しかしながら、裏では熊野一党が伊勢周辺を鎮圧し、九郎殿は京を出ない。あくまで京守護を守り抜く…そうなれば、平家一門は『京守護職義経』という観念が芽生えるはずです」


 ここで政子の瞳の色が、にわかに光を帯びた事を龍馬は見逃さなかった。この観察眼は流石である。だがそこに気付きながらも表情に出さず、今はじっと義盛の話を聞いている。


 「そこに『検非違使少尉』の任を受け、京守護職の色を濃くしつつも鎌倉軍が西へと駒を進めます。屋島への奇襲困難となる状況を作りつつ、最終的には頼朝公の軍略でもあった、屋島襲撃から平家挟撃へと進めて参ります」

 「我の軍略と申すか?」

 頼朝はニヤっと笑いながら義盛に聞き返すと、義盛もそれに応えるように口元を上げて怪しく微笑んだ。

 「頼朝公が九郎殿の任官を躊躇っておられたのは、軍行に影響が出ればこの挟撃が成せなくなる事に御座いましょう? 頼朝公は恐らく先の義仲、一の谷での奇襲作戦を逆手に取り、平家一門を疑心暗鬼に陥れ、安堵と不安で支配しようとお考えなのでは…との推測を立てまして御座います」

 義盛のその言葉に、頼朝は声を上げて笑い出した。

 「それは面白い事よ、我の軍略が見事に読み取られておったとは! しかもそれを磐石にせんが為に、熊野水軍のみならず院宣をも利用するとは…見事と言うしか御座らぬ!」


 そう言う頼朝を確認した後、今度は沈黙していた龍馬が言葉を発する。


 「しかし、それだけでは任官に関する頼朝公の杞憂が無くなったとは言えんがじゃ」

 そう。後白河法皇が義経を京から出さぬ為に任を与える事に変わりはなく、仮にそれを受けたにも関わらず奇襲に撃って出るとなると、頼朝・後白河の関係性が危ぶまれる結果となる可能性が高い。

 「妙案がある、と言うのであろう? 此度鎌倉に出向いたはその妙案とやらを我に伝える事…違うか軍師殿」

 煽ってくる頼朝に、義盛は笑顔のまま沈黙している。代わりに答えるのは引き続いて龍馬だった。

 「京での九郎殿の評判はご存知の通りじゃ。本人とは似ても似つかぬ、オナゴのような風貌じゃ…。無論、後白河院とてその素顔を間近に見た事も無いき」

 怪しい笑顔を見せながら、龍馬は政子を見る。その視線に気付いた政子は、瞼を閉じて笑顔のままで言う。

 「肌は白く身の丈低く、女人と見間違うほどに美しい」

 「ほうじゃ、京に居るがはその『女人と見間違う義経』じゃ。しかも一武将を討てる程に武に長けちょる」

 笑いながら龍馬が言うと、政子は巴を見た。流石にそこまで言われると、その場に連れて来られた真意が理解できる巴。

 「待て…何を言っておる…」

 本人は相当慌てた。今の今まで、何も聞かされていない上に、義経の影に自らが成るのだ。

 「お二方共、この者に見覚えがあるじゃろう。先の戦にて奮闘した義仲が家臣、巴御前じゃ」


 どこかで見た覚えのある者とは思っていたが、巴の名を聞き慌てたのは頼朝も同じだった。


 「待て…待たれよ! 木曽源氏の残党ではないか!」

 「そうじゃ。かつて鎌倉に送られ余生を過ごすハズじゃった巴御前じゃ」

 「成らぬ! 木曽の残党であればいつ裏切るか分からぬであろう!」

 「心配はご無用じゃ。今ではその義盛殿の女房じゃき。それも誰に決められた夫婦では無く、本人たちの選んだ夫婦じゃき、裏切りとは無縁じゃ」

 「それに、鎌倉から京まで単身で訪ねて参った程の者。先の熊野一党の件にも、巴は尽力しております。かつては敵でしたが、人を想う気持ちは強く今は寝食を共にしており、義仲殿を討った我と過ごしております」

 この場でそれを否定してはこの交渉自体が無になってしまう事を理解している巴は、最早否定する事ができない。せめてもの反抗で、グイっと義盛を睨む。

 「確かに色白の…うむ、噂通りの者ではあるが…」

 「お待ちください…私めにそのような大役など、務まるとは…」

 「武将の元に嫁ぐ、というのは易いモノではございませぬよ? 巴殿」

 事情を真っ先に察していたような政子は、軽く微笑み巴に言う。この一言は非常に重く、また様々な意味を含んでいた。敵であった男に嫁ぐ…取り方によれば好きに使われても仕方がない。その覚悟なく義盛に嫁いだとなればただの逃亡であり、巴はその敵地のど真ん中に居るのだ。

 「意地が悪いのぉ、政子殿は」

 龍馬が畏れも無く笑って言う。この男の胆は一体どうなっているのか、この時ばかりは義盛も驚いた。

 「巴殿を影と置く。オナゴとは言えかつて敵方の武将でもあった者を、そのように扱える男がどこに居る言うがか? ましてやそのオナゴも、かつての大将を討った者に嫁いじょる。並大抵の胆力と想いが通じちょらんと、成り立たんと思うがの?」


 義盛は溜息を吐いた。


 「イイですよ龍さん」


 義盛は龍馬を制し、政子に語りかける。


 「巴は我の首を取るため、鎌倉より参りました。しかし即座にそれは叶わず、日々我の首を狙って共に生活が始まりましたが、今、巴の生きる意味として平家打倒があります。それに…」

 義盛はそこまで言うと、ゆっくりと立ち上がり、

 「仮にも我が妻に御座います。妻であれば夫の言質に従うが道理であり、またその妻を愚弄されれば我はそれなりに対処せねば成りませぬ」

 龍馬の胆力と言葉に、自分でもやり過ぎと思いながらも言わざるを得ない状況となってしまった。そんな義盛を見て、龍馬は満足そうに笑っている。しかしそんな龍馬に気付かない巴は、

 「や…義盛殿、私は良い。落ち着いて下され」

 健気に女性らしく夫を止めようとする。

 「政子様、頼朝殿…私を信用されぬのは道理でございますが、わが夫は違いまする。私もオナゴとしてよりも武士として育った故、義を軽んじるつもりは毛頭ござりませぬ」

 その二人を見て、龍馬は言葉を追いかけた。

 「どうじゃろう。お二人に偽りはあると思うがか?」


 思えば義盛自身、巴をいつからか信頼していた。巴を影に立てる、そういった発案が自然に出て思慮深く疑わなかったのも事実であり、そこに対する疑念は全く無かった。龍馬はそこを突かれる事を察知しており、このような場面を仕立てたのだ。敵味方が信頼できるものになるのは、その中に居ればこそ。外から見れば危うい関係であることは分かる事である。

 頼朝には理解できぬ関係であったが、政子は理解できたのだ。


 「巴殿、義盛殿、失礼致した。其方らの想いは確かに受け取りましたよ」

 「政子…!?」

 「良いのです、殿。御二人に疑はござりませぬ。オナゴの心はオナゴが良く分かります故」

 政子はそう言うと、笑いながら巴を見た。この瞬間、巴はしまった…と後悔した。結果として龍馬と義盛は、この場で巴を嫌が応でも説得しようとしていたのだが、自らがその策に乗らざるを得ない状況にしてしまったのだ。人心操作は龍馬が上手だった。





 「ではこの巴を影に立て、従五位を受けまするが、頼朝殿はその事に一切関与せず…で宜しいでしょうか?」

 「うむ、我が関せず事により、本物の九郎とは別人であるとの認識を持とう」

 「その後の事に関しても、承知して頂けますか?」

 「平家征討後であろう? 承知しておる。心苦しくはあるが、致し方御座らぬ。九郎にくれぐれも他意の無い旨、伝えておくよう心掛けてくれ」




 熊野への交渉から鎌倉への交渉。戦への下準備は全て整った。全てが秘密裏に、何の証拠も残さぬ密談として、後世に語り継がれるはその口伝のみ。


 伝説はここから始まる。

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