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清和の王  作者: 才谷草太
京の源家
34/53

京の守護者

 四月中ごろより降り始めた雨は、末になっても降り続いていた。シトシトと京の町に、近隣諸国に潤いを与え続けていた。そんな雨の中を、朝廷より義経邸に遣いが来ていた。

 当然の様に上座に座る遣いに、下座に平伏す義盛と義経。彼らは上皇からの言葉を届けに来ていた。

 「どちらが謁見した方じゃ?」

 明らかに見下した態度で語りかける遣いの者。

 「は…拙者に御座りまする」

 義盛が答えると、軽く胸を張り遣いの者が口を開く。上品と言えばそうであろうが、弱々しく喋る声は若干気聞き取りにくい。

 「院様(後白河上皇)が、其方に参内する様求めていらっしゃる。今すぐ用立てい」

 「上皇様が、拙者を?」

 義盛は聞き返した。遣いの者は機嫌悪く答える。

 「雨乞いの際に参った男を、連れて参れ、との事じゃ。其方に間違いは無いのであろう?」

 どうやら義経では無い事を知った上で、義盛を再度呼びつけている様子。取引は呑んで貰ったと安心した。のだが…

 「分からぬ、分からぬわ…院様の御考えが。思慮を尽くし何故に地下人じげにんを再び昇殿させるか」

 本来天皇や上皇に謁見できる、つまり昇殿できる身分は『殿上人』といい、少納言等の四位~五位の位にある者達だけに許されていた。それを覆したのは、あの平清盛の父である忠盛だったのだ。

 朝廷からすれば、そこから始まった惨劇を知っている事で、再び同様の事が起りかねないと不安の声も出ていた。当然である。

 義経は確かに功労を立て、京の英雄となったのは紛れもない事実。だが、どんな役所やくどころにも推挙されておらず、現時点では戦上手の武士でしか無かった。その男を昇殿させよう等とは、わずか数年前に起きた事件を再び呼び起こす火種の再来とも成り得るのだ。

 しかしその様な事が起きていたとは知らない義盛。狙った通りの結果になったと判断し、即答する。

 「御意に。今しばらくお待ち下さい。支度を整えて参ります故」

 そう言いながら頭を下げたまま、後方に下がり部屋を後にする。居心地が悪いのは義経だった。

 大将であるにも関わらず、昇殿できないばかりかそれを名乗るべきでは無いと理解しているが故に、居心地の悪さは半端では無い。やたらと支度が長く感じた義経であった。



 「お待たせ致しました。宜しく御願い奉る」

 そこに現れたのは、清楚ではあるが立派な直衣のうし(貴族が纏う普段着)を見に付けた義盛だった。

 身長もあり体格も立派な義盛は、小柄な義経と比較しても見栄えがする。

 「お…応。では参ろう…」

 余りに予想外なその姿に、遣いの者も唖然としていた。ボロボロの袴からの直衣はギャップがあり過ぎたのだろう。

 門を出て、使者は牛車に、義盛は雨の中徒歩で朝廷へと向かって行った。



 「いよいよ動き出しましたな、殿」

 義経は玄関から外を眺めており、その背後にゆっくりと弁慶が立って言った。

 「不安が無いと言えば嘘に聞こえるか?」

 「信じていようとも、不安は御座いますでしょう…。坂本殿は一切気にせず、自宅の庭を眺めながら琵琶を奏でて居りまするが」

 軽く微笑みながら弁慶が言うと、義経も振り返らずに笑う。

 「信ずると決めた日より、疑う事はせぬ。我は友を信じて歩んで参る。のう、静」

 ゆっくりと弁慶の後ろに視線を移すと、そこには静が正座をして見守っていた。優しく微笑みながら。

 「静殿は、殿を選び申したか。さすれば義経は一人に在りまするな」


 弁慶は磯禅師らと話しをしていた時を思い出し、呟く。





 「参ったか、どれ…面を見せてみよ」

 後白河上皇は平伏す義盛に声を掛ける。が、義盛は以前の様に参内した訳では無く、本人の意思により庭に正座をして頭を下げていた。雨の中で、だ。

 「恐れ多き事に御座りまするが」

 と前置きをしつつ、ゆっくりと頭を上げる。

 「其方は変わらず、面白き丈夫よのぉ…雨の中で地に平伏すとは。麿の昇殿には応ずるが、上には上がらずあくまで地下人としての地位をわきまえる…じゃろ?」

 「は…お見通しに御座りますれば」

 「ほほほ…見事じゃの」

 満足そうに笑う後白河上皇は、泥にまみれて平伏す男を見ている。しっかりと清潔に装った直衣を汚し、上皇に頭を下げる男を。

 「では麿の言も予想しておろう?」

 「我如きの者には、至りませぬ故に」

 男は一層平伏して答えると、更に上皇は満足そうに笑う。

 「良い良い、では申してやろうぞ。其方は知っておるか? 近々源範頼なる者が国司に命ぜられると」

 「国司に御座りまするか…否、初耳に御座りまする」

 「左様か、聞けば義経の近親者と言うではないか。先の戦にて手柄を立てたは義経にある、というは万人の知る所にあるにも関わらず…明かなる謀略とは思わぬか?」

 「頼朝公に在っては、まずは上皇様を御守りする事、平家追討の儀が最重要と認知し、我等にその任をと承って居りまする」

 「さすれば、其方等は何が望みじゃ、言うてみぃ」


 雨が降れば言質に乗る、その約束を守る、と言っているのだ。


 「京を守護するに当たり、周辺国に守護を置き、更には京を守護せよとの御触れを」

 「……何と申した? 外に守護を置くと?」


 この時代、各国の守護はそれぞれの守護代が務め京は京の守護が務める、それが常識であった。それを各地に守護を点在させて、京を護らせるなどという発想はとんでもなく奇想だった。


 「遠方よりの守護など、何の役に立つと言うのじゃ」

 「遠方ならではこそ、そこに守護代を置き従える。帝に忠を尽くし裏切る事を許さず、また朝廷直轄の武士集団として戦にも赴かせる」


 この発案に、上皇の心は震えた。平安の武士は貴族に雇われており、強力な武士をどれ程抱えているかが貴族の価値ともなっていたのだ。朝廷直轄の武士ともなれば、少なくとも西国周辺の武士が朝廷に忠誠を誓い、万が一東国の武士が攻め入っても対抗できる武力が手中に収まる。頼朝の命ずる国守とはあくまでも頼朝の配下。命令は頼朝より下される。


 「可能でおじゃるか?」

 平家は武士だったが、その権力に溺れ貴族へと変わった。その為彼らはその配下に武士を置き、自らが統治する事で武力を得て行った。無論、平家の中にも武を重んずる者は少なからず居たのだが…。

 「南に、熊野別当が居りまする。彼の者を治むる事ができれば、西国は統治したも同然に御座りましょう」

 「何と!? 熊野でおじゃると!? 彼奴は平氏の流れを汲み危うき立場に在るではおじゃらぬか」

 「そうで御座いましょうか。聞けば平治の騒乱時に後白河上皇をお助けし、それ以降は平氏に与して居らぬと聞き賜って居りますれば、今なお源家か平家か、付き従う筋を迷われておると」

 義盛はゆっくりと顔を上げ、ニヤッと上皇を見上げる。その表情に上皇は身震いを覚える。

 「其方に、別当を源家に組み入れる策があると申すか?」

 「源家では御座いませぬ。帝に忠を尽くし、朝廷へと組み入れるので御座りまする」


 熊野別当の水軍は上皇も知っている。だからこそ、その力を朝廷に、いや、上皇本人が操れば権力もまた増強される。上皇の野望がまたしても燃え上って来た。無論、義盛もそれが狙いではあるのだが。


 「義経に、その任を課しても良い、と申すのだな?」

 「我等は京の守護を、鎌倉より仰せ使い、ともすれば朝廷の守護と変わりはしませぬ」


 役は欲しない。その無欲さの上にこうまで都合の良い集団であれば、上皇にしてみれば願っても無い事である。


 「良い、院宣を出そう。じゃが心得よ、麿を謀れば即刻消し炭とする」

 「はっ!」


 義盛は頭を深く下げ、忠誠を誓う。が、この後、一言を発した。


 「みことのり、確かに我等が御大将義経殿にお届け仕りまする」


 この時初めて、昇殿したのが義経では無かったと従者達が知る事になる。無論、義盛であった事すら知らぬ訳だが…。

 ここに頼朝への裏義理では無い事が証明され、更に何の見返りも無く鎌倉への忠義を尽くし、その手柄は紛れも無く頼朝に属する事になった。


 「此度の勝負、麿の負けで良いが、次はそうは行かぬぞよ?」

 「滅相も御座いませぬ。我の策を見抜き、それに乗って頂き給った器の寛大さ、敬服致しまする」


 ふん、と鼻で笑いながら奥へと向かう上皇。気分は良いらしい。




 こうして、一先ずは危機を乗り切り、京の守護として頼朝の代官を務め上げる事になった、義経が誕生する。弁慶が言ったように、義経一人として。

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