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清和の王  作者: 才谷草太
京の源家
31/53

殿中大芝居

 義経邸での密談で何が語られたか、その場に同席した義経・龍馬・磯禅師・静・義盛のみが知る所となっている。無論入れ変わるという突拍子もない奇策から生まれた事ではあるが、その後の彼らにとって、重大な転機ともなる。


 時は四月の中ごろ。

 桜が散る頃になると大通りに無残に晒されていた平氏一門の首級は、残らず撤去されており、義経の伯父でもある範頼は鎌倉に引き返していた。

 いまだ雨は纏まって降らず、乾いた砂が舞い上がり、京の町を覆っていた。


 そんな中で、中枢に当たる宮内へと煌びやかな一団が次々に参内して行く。帝より集められし、百にも及ぶ白拍子達だ。しかし、その中に静は居なかった。



 「水も不足しているというのに、この光景はどうだ…」

 舞を見るという名目で宮内に居た義経は、その隣の家来に小声で言う。

 「いや全く…。桜舞い、草木も茂り、池なども水を湛えておりまする」

 「良からぬ夢を見てしまいそうですね」

 そう切り返したのは、義経の前に座る家来である筈の男。

 「義盛殿、この先に良い夢を見れるのか?」

 「ここでその名をお呼びされては困ります」

 振り返らずに義盛は言う。


 結局彼らは入れ変わる、という方法を取ったのだが、ただ二人が入れ変わる事など便宜が悪い。だがこのまま上皇、頼朝の策に挟まれるがまま、というのも避けたい(最も義経は深く考えてはいない)事から奇策に打って出る事になったのだ。


 「済まぬな、心得ておる。後は磯禅師の言を信じ、雨が降れば言う事は無いのだが」

 「天下を占う大芝居です。楽しみましょうぞ」

 義経の隣に座る弁慶が、さも楽しそうに口にする。本来であれば龍馬も来る筈だったのだが、大勢で押し掛ける訳にはいかぬ、という理由から外されている。と、言ってもどこかで覗き見しているだろう事は誰しもが分かっている訳だが…。




 舞は始まった。

 皆、白拍子としては知られている者たち。誰かが出る度に、見物している公家が色めき立つのが分かる。どうやら彼らが推した者なのだろう。ギラギラした目で舞いを眺め、終わる度に天と簾の奥に鎮座する、上皇であろう影を見比べている。

 推挙した白拍子の舞の後に天候が変われば、無論上皇の目にも止まる。そうなれば推挙した公家の立場も良くなろう。

 京の外では源家・平家の戦が繰り広げられ、つい先日までその戦いの渦中にあった筈の京の公家。どうやら権力に魅入られているのは、京の公家全般なのかも知れない。やりきれない思いを胸に、義経一行は次々に舞い込む野望を見ていた。


 ちょうど半数が過ぎた頃、背後より一層煌びやかな衣を身に纏った男が訪ねて来る。眉が短く、色白の男は、細く弱々しい口調で話しかけて来た。

 「源九朗義経殿にあられるか?」

 返事の代わりに、義盛は振り向き目を合わせる。

 「何用に御座りまするか」

 「上皇様がお呼びに御座りまする」

 やはり来たか。という目で義盛を見る義経。形として入れ変わっている関係上、身なりもそれなりに入れ替えている。だからこの遣いの公家も、義盛に直接声を掛けて来たのだろう。

 「承知致しました」

 義盛は即座に立ち上がり、悠々と宮殿の奥へと参って行く。


 「殿…大丈夫でしょうか」

 「なに、この機に全ての目論みが洗い出され、我等の行く先が決まるのだ。兄上に就き従うか、帝に就き従うか、がの」

 二人は、引き続き繰り広げられる舞という名の権力争いの舞台を、ずっと眺めている。




 義盛は舞の繰り広げられている庭が見渡せる、広い奥座敷に案内された。

 その先には、一段高い簾掛けの間があった。そして人影がある。恐らくは後白河上皇だろう。義盛は黙って頭を垂れる。すると、その影が少し動き、簾がスルスルと上がって行く。

 「待っておったぞ、九朗殿。面を上げ麿に見せてたもれ」

 年老いた声。しかし威厳に満ちた声で義盛を威圧するが、敢えて無視をして頭を下げている。

 「聞こえなんだか? 面を上げと申したのじゃ」

 その声で、ようやく頭を上げる義盛。だが視線は依然と下に逸らしたままだった。

 「ほぉ…。噂程細くは無いようじゃが…それに背丈も」

 その一瞬、上皇の顔が曇る。

 「其の方、義仲討伐と福原における平家追討、御苦労でおじゃった」

 曇った表情を、瞬時に平静へと戻して語り続ける。

 「我等源家一門、棟梁たる鎌倉は頼朝の命において馳せ参じたばかりでございまする」

 「頼朝の命の上には、麿の命があるぞよ?」

 「はっ。しかしながら我等野党にあり、その身で天子様のお言葉を賜るには、何分と足らぬ物があります故」

 「義経は頼朝の実弟と聞くがよ? さすれば棟梁筋には有らぬかや?」

 「筋は血にて。されど家系は頼朝にあり、に御座ります」


 その遣り取りが何を意味しているのか。周りの者達はさっぱり掴めていなかったが、後白河上皇は入れ変わっている事に薄々と感づいたと義盛は確信した。


 「ならば何故、鎌倉に戻れぬのじゃ?」

 上皇は義盛に歩み寄り、目の前にしゃがみ込んで見つめる。

 「京の守護に就け、との命が下っておりまする故に」

 「役も与えず、その手柄も認めず、鎌倉は命のみでおじゃるか。それは大層気の毒よの」

 ほっほと扇子で口を隠し、笑う上皇。

 『タヌキ親父だな、この男』と、義盛は内心苦笑いをした。

 「良きに。麿も其の方等が留まり維持を遂行するに頼る所は多大じゃ。が…どうじゃろうの…」

 そこまで言うと立ち上がり、庭で待っている白拍子を眺めながら続けた。

 「鎌倉は其の方等を除け、他の者を国司として認める様でおじゃる。その意向は如何と見る」

 「平氏討伐は未だ成っておりませぬ。我等の役は平家追討にあり、自立立身出世に非ずと」

 「麿の先を読むか、面白き丈夫ますらおよのぉ…」

 後白河上皇は、再び満足そうに笑う。

 「否、唯一つ上皇様にお許し頂きたい儀が御座りまする」

 「立身出世を願わぬ者に、望む者があるとな?」


 その言葉の後の光景に、従官達は慌てた。今まで平伏した視線を保っていた男が、恐れ多くも上皇を見上げ微笑んだのだ。


 「此度の白拍子らの最後に舞いたる女、名を静と申しまする」

 「静…磯禅師の娘よの? 其の女が如何した」

 「は。其の白拍子を義経が妾にしとう存じまする」

 この義盛の言葉には、上皇も唖然とした。妾とする事を、わざわざ上皇に言うまでも無く、勝手にすれば良いのだ。だが、磯禅師は後白河上皇との接点も有り、敢えて尋ねたとも取れる。が…

 「その様な事、わざわざ麿に願いで無くとも良い。勝手にするが良い」

 「そうは参りませぬ。静かなる白拍子、舞いたる数日の後、この京に雨を呼びまする故に要らぬ執権争いの道具として使われる危険性がありまする」

 義盛の表情は冷静。謀ろうとする表情では無い事は後白河上皇も読めた。が、従官共はその言葉に、クスクスと笑い出した。雨乞いを信じぬ訳では無い。事実、この時代はまだ雨乞いの儀式が神聖化されており、各地で行われている。だがこうまで上皇に言い切り、執権争いなどと言うのは戯言にしか聞こえない事は当然である。この男の命もこれまでよ、誰もがそう思った。


 だが周囲の思惑とは逆に、上皇は満足そうに切り返す。


 「面白き…誠に面白き丈夫よのう。白拍子を娶らず、妾とする旨。確かに麿は聞き入れたぞよ。しかし留意する事じゃ。仮に男児が生まれた際には、扱いを誤るでは無いぞよ」


 「上皇様! 何を仰せになられまする!」


 従官達は血迷い事に付き合う上皇に慌て、止めようとするもそれを制する上皇。

 「静まらっしゃい。麿の言に異を唱える輩は許さぬ!」

 独裁を行う上皇の一言に、周囲は瞬時に静まる。


 「扱い…と申せられますと?」

 沈黙の中、呑まれまいと義盛は言葉を吐く。

 「天を操る女に授かりし男児。災いを招きかねる」


 しまった…。義盛はこの時、失策に気が付いた。男児が生まれれば、朝廷にその命を狙われ兼ねない。

 それが新たな戦火を生み出すかも知れないのだ。この時、後白河上皇の口元は笑っていた。一時代を築き上げ、その渦中の中心に君臨した権力者は、タヌキどころか魔物の如きだった。


 沈黙が続く宮廷。

 庭では白拍子が舞を披露しているが、この空間だけが音を拒んでいるように静けさが支配する。義盛は義経が参内できぬ理由を、頼朝の顔を立てる為、更に立身出世を望まぬと悟らせた。これは言葉で言えば上皇を侮辱しかねない為に、敢えて執った方法。それは上皇も飲んだ。更に静が雨を降らせたという評価を政治に利用せぬよう、出世を望まぬ義経が監視するという旨も含めた方法だった。

 だが同時に、義経に対する警戒を抱かせる結果となった事は計算外だったのだ。

 史実では確か、頼朝の追手に暗殺される運命の義経…。今のままでは朝廷に狙われ兼ねないのだ。


 静御前と義経を守る為の策が、完全に裏目に出てしまっている。が、やはり目眩は起こらない。こうなればやり抜くしか無い。義盛は覚悟を決めた。どうせ二度三度と失った命である。開き直ればどうという事は無い。


 「天下の後白河上皇とも在ろう御方が、小さき器で御座いますな」

 再び頭を深く下げた義盛は言った。だが従官達は何の反応も示さない。最早この二人の間に割って入れない空気が漂っていた。

 「それは死罪を覚悟しての言であろうな?」

 上皇は冷静に振り向き、ゆっくりと上座にある太刀まで歩いて行く。

 「死を恐れて平氏が討てましょうか。しかしながら我の言質げんちを御耳に残して頂ける度量が有りますれば、今一度戯言にお付き合い頂きとう御座りまする」

 頭を下げたまま、焦る訳でも無く悠然と語る義盛に、上皇は太刀を引き抜き首に刃を当てる。

 「聞かねば麿に器無き事。丈夫ますらおよ、聞こうでは無いか」

 この言葉で、上皇は義経では無いと確信した事を義盛は悟った。

 「有難き…。しかればこの丈夫を従えし天狗と白拍子、更にはその御子を天子様の守護に。さすれば後に構えし源家頼朝公との競合い、敷いては北方蝦夷への盤石が整うという物」


 蝦夷…とは当時、関東以北を指していた。つまりは奥州を含める一帯である。奥州藤原家が治めていた一帯は、平氏は元より朝廷もその威光が届かぬ異国となっており、そこを制圧する為の責任者こそが『征夷(大)将軍』と呼ばれていたのである。義経自身、頼朝の挙兵以前は奥州藤原家に身を預けており、親睦もあった事から出た最終手段であった。無論、本人の了解など得ている場合では無い。勝手に言っただけである。が、流石にこの言葉には説得力があったようだ。それだけ奥州藤原家の力は絶大だったのだ。


 「蝦夷と申すか。繋がり無く申した言質では無さそうでおじゃるの…」


 上皇は太刀を首筋より離し、鞘に納める。


 「雨が降れば、其方の言質に乗ろうではないか。但し雨が降らねば、其方の首を天狗諸共大通りに並べるぞよ?」

 上皇は満足そうに笑い、上座へと戻り座った。

 義盛はそのまま後ろへと摺り下がり、ゆっくりと立ち上がり一礼。周囲で唖然とする従官を軽く眺めた後、平然と去って行った。この事件は後に殿中で噂となり義経派閥が密かに生まれる事となる。

 この謁見により、雨が降れば義経と静御前は朝廷の庇護を受け、更には頼朝との関係すらも悪い様にはしない、という盟約が成った。その暁には、全力を以て朝廷を守り守護神となる事も誓わされ、雨が降らねば義経諸共…。

 当初の目的とは多少ずれたが、結果的に朝廷に謁見したのは『義経』では無く、だが『他人』ではない結果のみが残り、その恩恵も首尾よくすれば得られる事になる。




 「どうでござったか、義盛殿」

 弁慶の一言で、崩れる様に元の場所に座りこむ義盛。

 「死ぬかと思いましたよ…」

 うな垂れている背中を見た義経は

 「我の名を語り、無茶をした訳ではあるまいな!」

 気が気で無い様子で義盛の背中を叩く。

 「ご安心下され、上皇様にはひとまず庇護頂けます…頼朝公への忠誠も含めて」

 「さ、左様か…なれば安堵だ…」


 「雨が降れば、ですけど」


 無言。降らねばどうなる、とは恐ろしくて聞けない。



 静が舞う。

 後白河上皇が、義盛が、義経が見守る前で。

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