98.寂しさが積み重なるたび、人は強さを手に入れる。
アンダーの一件について耳にしたジルゼッタがオイラーのもとを訪ねたのは早いとも遅いとも言えないような夜のことであった。
「陛下、話を聞き参りました」
「ジルゼッタさん」
「アンダーは一命を取り留めたそうですね」
「ああ、何とか」
相変わらずそっけない態度しか取ることのできないオイラーだが、ジルゼッタは彼はそういう人でそういうものと受け入れているためその振る舞いについて批判する意思は持っていない。
ちなみにアンダーはというとまだベッドに横たえられたまま眠っている。
既に治療は始まっている。
基地に配置されている治癒魔法使いが今は対応に当たっているところだ。
疲労もあってか今はまだ眠っているアンダーだが、いずれは目を覚ますだろう。
「陛下も色々と大変な思いをされたことでしょう」
「気にかける必要はない」
その時ジルゼッタが兄を亡くしたことを思い出したオイラーは「色々大変なのは君だろう」と言葉を返した。
ちょうどその時、二人が言葉を交わしていた廊下を歩いて通り過ぎてゆく者がいて。数名の男性兵士だったのだが、彼らは「あいつもう使い物になんねーんじゃね?」「貧民あがりのくせに威張っててムカついてたんだよなー」などとアンダーの悪口を軽いノリで言っていた。
オイラーもジルゼッタもそれを聞き逃しはしない。
親友の不幸を喜ばれて黙ってはいられない――思わず文句を言いそうになるオイラーだったが、それより先にジルゼッタが口を開いた。
「一体何を言っている」
ジルゼッタに突然声をかけられた兵士たちはぎくっというような顔をする。
「他人の不幸を喜ぶような行為は最低な行為だ」
恐らく彼女より年下と思われる兵士たちゆえに高圧的に言い返すことはできずおろおろなっている。
「今後控えるように」
厳しさと鋭さを同時に宿した双眸に睨まれ、男性兵士たちはすっかり萎れてしまった。
しゅんとした彼らが通り過ぎて。
やがて彼女の視線がオイラーへ戻ってくる。
「無礼を、お許しください」
「いや……こちらこそすまない、対応させてしまい」
オイラーは純粋にジルゼッタのことを良い人だと思った。
剣と剣を交えることで分かり合えることもある、が、それだけでは見えてこない部分というのも多少はあるものだ。
「アンダーの状態が順調に回復することを願います」
淡々とした口調ではあるがその中からでもジルゼッタの優しさを十分に受け取ることができたオイラーは「ありがとう」とほんの少し柔らかな面持ちで礼を述べることができた。
◆
エイヴェルンの王都に位置する王城では基本的には普通の日常が営まれている。
だが平和そのものというわけではない。
時には敵襲が発生するなど平時よりか物騒であることは事実である。
そんな中でもサルキアは堂々と振る舞っている。
今は城の主としてすべてを背負って立たなくては。
そう思っているからこそ常に強くあろうとしている。
「ご報告いたします!」
「どうぞ」
「本日、例の男の死亡が確認されたそうです!」
報告係からの言葉に困惑したような顔をするサルキア。
「……例の男?」
「はい。先代王妃を殺めたとも言われているあの男です。スキンヘッドの」
その言葉に、サルキアは目を見開く。
「倒したのですか」
「はい」
「そうですか、それは素晴らしい成果ですね」
凶悪な男だった。それこそ、状況次第では誰にでも見境なく襲いかかりそうな。あのような男が国内にいるというのは今後も常にリスクとなる。そういう意味では、その男を処分したのはかなり大きいと言えるだろう。
「陛下が、です」
「えっ」
続いて出てきた言葉を聞いて、サルキアは驚く。
「へ、陛下が、ですか?」
「はい、そのように情報が入っております」
オイラーの剣の腕が優れていることはサルキアも知っている。だがまさかあの大男を倒すほどとは思ってなかった。
「それとですね、もう一つ、お伝えしなくてはならないことがあるのですが……」
報告係はそこまで述べて言葉を途切れさせる。
唐突なことに違和感を覚えるサルキア。
「どうしました?」
「こちらは少々残念な報告となってしまいます……」
「何でしょう」
まだ躊躇いを抱えたような顔をしながらも、報告係は恐る恐る口を動かす。
「……実はですね、その……アンダーさんが」
ぴくりと震えるサルキアの睫毛。
「アンダーさんが、重傷だそうです」
やがて報告係は一気に言いきった。
言葉にならない気まずさを絵に描いたような顔をしている。
その視線は宙をふらふら泳ぐ。
そして時折一瞬だけ目の前の高貴な面へと向く。
「……事実なのですか?」
サルキアは思わず両手で口もとを覆った。
「どうやら、先ほど言っていた例の男にやられたようで」
戦って倒された?
狙われた王を護ろうとして?
アンダーのことだから、そう易々とやられはしないだろうし、万が一危険な状況になったなら適切に判断して逃げるなり何なりするだろう。
強さは知っているし、信頼している、だからこそ彼が重傷にまで追い込まれるようなことが起こるということがすぐには理解できなかった。
それでもサルキアはなるべく冷静に対応するよう努める。
隠すように口もとに添えてしまった手をそこから離すと、ほんの少し乱れていた側頭部辺りの髪を右手だけで数秒のうちに整え、それからすぐに両手を腹の前くらいの位置へ戻す。
「生きてはいるのですね?」
「はい。基地へ連れて戻ることはできたようです。現在は治療中だとか」
アンダーはタフな男だ。だから大丈夫。幸い重傷のまま放置されているわけではないようだし。たとえ今は状態が悪いとしても、きっと回復する。
「そうですか、なら少し安心しました」
サルキアは何度も脳内で繰り返す。
私が無事帰ってきてと言った時、彼は頷いてくれた――それだけが今彼女が信じられるものだ。
「では報告を終了いたします!」
「ありがとうございました」
報告係が出ていくのを見送って、サルキアは溜め息をついた。
(……貴方も今、どこかで戦っているのですね)
以前なら泣いていただろう。
だがもう涙することはない。
一人になって強くなった。
寂しさが積み重なるたび、人は強さを手に入れるものだ。
(アンダー、私は……貴方なら必ず帰ってきてくれると信じています。だからどうか、生きて。生き延びて……そしてまた、嫌みでも言ってください)




