91.雨降りの朝
書類の山を運んでいたサルキアの前に現れたのは。
「サルキア様、わたくしでよければお手伝いいたします」
外の誰でもない、ランだった。
彼女の後ろにはリッタとアイリーンもいる。
二人は穏やかな顔つきはしているものの特に何も発することはない。
「この程度であれば運べますので問題ありません」
「けれど……重いのでは」
「お気遣いありがとうございますランさん。でも、本当に、大丈夫です」
「そう、ですか……」
少し残念そうな顔をするランを見て申し訳なさを感じるサルキア。
「そういえばこの後第二物置のクローゼットを少し整頓しようと考えていたのですが、その手伝いを頼んでも問題ないでしょうか?」
彼女はそんな風に提案する。
その優しさを。
その思いやりを。
無駄にしたくなかった、だから、そういった提案をしたのである。
「は、はい! もちろんです! お役に立てそうなことがありましたら……それはとても嬉しいこと、何でもお手伝いいたします」
ランは嬉しそうに頬を緩めた。
「リッちゃんも一緒に来てくれる?」
「イイヨ」
「アイリーンさんは……」
「同行します」
「ありがとうございますっ……!」
誰かの役に立つことが好きなランはすっかりご機嫌だ。
「ではサルキア様、三人で行かせていただいても?」
「特に問題ありません」
「良かった……! ではこれから三人でお供させていただきますね」
「ありがとうございます」
嬉しさが爆発しそうな顔をしているランは書類を抱えたサルキアにぴったりくっつくようにして歩行する。
「アイリーンさんは整理整頓がとても上手なのです」
「そうなのですか」
「ですので……きっと、お役に立てるかと!」
心躍る状態を表すかのように、ラムネ色の三つ編みが揺れる。
◆
軍に合流してから日が経ってそこでの生活にも慣れてきた頃。
早朝、オイラーはアンダーから告げられる。
「今日別行動な」
そんなことを。
「別行動?」
「オレ行かなきゃなんねーとこあってさ」
「私もついていこう」
「無理なんだって」
首を傾げるオイラー。
「てか今日けっこー雨降ってっし、アンタはここでやることやっとけよ」
「隠し事か?」
「や、違うって。任務だって。ちょっと山の方行くから」
アンダーは簡単に説明しつつ雨合羽をチェックしている。
「私は行ってはならないのか?」
「風邪引かれたら困るからさぁ」
「安心してくれ! 私はこれでも風邪は滅多に引かない、健康体だ!」
「たまには休んどけよ、アンタは」
オイラーは「頑固だな……」と呟き、溜め息に似た息を吐き出して、数秒の間の後にふっと静かな笑みを浮かべる。
「分かった。では私は基地内で君の帰りを待つとしよう」
対するアンダーは出発準備こそしているが表情は揺らさない。
「そろそろしゅーごー場所行かねーとな」
「もう出発するのか?」
「だりぃよな、朝早い任務。はよ終わらせて寝てぇわ」
「それはそうだな、帰ってきたらゆっくりするといい」
戦闘ばかりの日々にも慣れて、二人でいれば生き抜けると信じて、だから雨空のような未来など欠片ほども想像しなかった。
「いってらっしゃい、アン」
オイラーは何も思わずアンダーを見送る。
彼を信頼しているからこそ、オイラーは特別なことは何も考えない。
明日も。
明後日も。
当たり前にやって来る。
――そう信じていた。
◆
アンダーは知らない者たちと共に任務にあたることとなった。
彼にとってそれはあまり嬉しくないことだ。
親しいわけでも繋がりがあるわけではない者たちと形だけとはいえ共に行動しなくてはならないのだから面倒臭いの一言である。
しかもよりによって雨。
足もとの状態は最悪、余分に雨合羽を着用しなくてはならず、山道には霧が出ていて視界も良くないものとなってしまっている。
敵も同じ条件、と考えれば、悪いことばかりではないのかもしれないが。
ただアンダーとしては正直なところ前向きな感情は抱けなかった。
だがそれでも任務である以上完了させるしかないのだ。それを理解できないアンダーではない。たとえ条件が悪くとも、言われたことはやるしかない。任務を終わらせるしか道はないのである。
……これまでもそうしてきた。
敵の数が聞いていた数より増えている、建物内などの配置が前情報と異なっている、天気が悪くてほぼ何も見えない、など、これまでも様々な壁が立ち塞がってきたが――どの任務も目標達成に到達して終わらせた。
だからこそアンダーは今回の任務についても落ち着いて対処すれば問題なく終わるだろうと踏んでいる。
……とはいえどうなるか分からない点も多いため、ことあるごとに手のかかるオイラーは置いてきたが。
「今度は何人あの世逝きになるんだろう……」
「怖い怖い」
「敵出てくるなーって祈りたいっす」
同じ道を行く兵士たちは既に恐れを抱えている様子で、足はきちんと動かしながらも弱気さ丸出しの会話をしていた。
「前は五人くらい倒されたもんね……あれは怖すぎたよ……」
「そうそう怖い」
「み、みんなでっ……生きて帰ろうっす!」
雨降りの山道に砂利を掻き乱す音が滲んでいる。
「そうだよね、前向きに前向きに……うん! 頑張ろう! 何とか生き延びるんだ」
「努力努力」
「取り敢えず生き延びるのが目標っす」
雨粒が地面を叩く音と足の裏が濡れた砂利を擦る音、まるで自然が演奏会を開催しているかのよう。
アンダーは誰とも喋らない。
だがそれは話す必要がないので話さなかっただけだ。
オイラーが近くにいる時であれば何となく言葉を交わすことも多いが、それはあくまで友だからである。
個人的な関係性として、純粋に親しい友人であるから、言葉を交わしている――ただそれだけなのだ。




