89.私は強くなりたい
ジルゼッタは青年を仲間のところにまで送り届けることとしたが、その道中でもやはり敵に遭遇することとなる。
「て、敵っ……しかも複数ですよ!」
青白い顔になっている青年は怖気づくが。
「倒すだけだ」
夕焼けのような長い髪を揺らす彼女は少しも恐れを抱いていない。
相棒を大きく振りかぶると襲いかかってくる敵を容赦なく薙ぎ倒す。
たとえ毒々しい飛沫が散ろうとも。
「凄い……もう片付いた……」
「進もう」
「は、はい!」
青白くなっていた青年の面に徐々に人らしい色みが戻ってくる。
それは恐らく心強さゆえだろう。
目の前に頼もしい味方がいるからこそ徐々に前向きになれてきているのだ。
戦乙女は止まらない。
どんな敵が立ちはだかろうとも怯むことはないし、むしろ、悲劇の中でこそその刃をより鋭利なものへと進化させてゆく。
◆
蹴り一つで敵を倒すのはアンダーの十八番だ。
「マジで襲撃多すぎんだろ、だりぃ」
その鋭さはもはや芸術品の域だ、なんて言う者もいる――もっともそれは外の誰でもないオイラーなのだが。
ただ、アンダーの蹴り技が高威力であることは事実であり、実際彼はその蹴りによって数えきれないほどの敵を落としてきた。
「だがアンの働きによって着実に仕留めることができている」
「敵前で褒めんなて」
「私はただ事実を述べているだけだ」
「そーいうの後にしろ」
「……ああ、そうだな、今は目の前の戦いに集中しなくてはいけないな」
今もそうだ。
アンダーは容赦なく迫りくる敵を蹴り飛ばしている。
それだけに頼っているわけではない。
しかし得意技を敢えて隠し温存しておく理由もないのである。
「だが、君とならどこまでも行けそうだ」
オイラーもまた剣を手に戦っている。
だがその顔面に恐れの色はない。
どちらかといえば活き活きした表情をしている。
王城で思い悩んでいた時とは別人のようだ。
子どものような純粋さの欠片を拾い集めて胸に閉じ込めたかのような晴れやかな顔つき。
「今はそんな風に思う」
アンダーは戦いの中でこそより一層煌めきを増す男だ、オイラーは近頃それを改めて強く感じている。
「そりゃ言い過ぎだろ」
「少なくともそれが私の本心であることは確かだ」
戦いの中で生きるアンダーはいつだって力強い。
出自ゆえの高貴さはなくとも、彼には、生きてきた道を裸足でなぞるようなパワフルさがある。
「そろそろ片付いてきたようだ」
「そーだな」
「この戦いが少しでも街の平和に繋がっていることを願う」
その時。
「お前……アンダーか……?」
二人の前に現れる一つの影。それは服装からして敵と思われる男で。しかしその顔面には殺戮ではない人間らしさを帯びた戸惑いの色が浮かんでいる。
「知り合いか?」
オイラーが尋ねれば。
「んー、多分?」
アンダーは曖昧に返す。
「お前、何をやっているんだ! こんなところで!」
「はぁ?」
「虐げられてきた側だろう、お前も! 国の味方をする理由なんてないはずだ。お前に不幸を与えたのは国なのだから!」
敵の男は何やら訴えているがアンダーは動じていない。
「今からでもいい、こっちへつくんだ。そうすれば復讐を――」
アンダーは容赦なく蹴りを入れる。
敵は手にしていた剣を盾のように使い何とか防いだ。
「べつにふくしゅーとかどーでもいーって」
片足で跳び、もう一方の足で頭部を狙う。
だが敵はそれも太めに作られた剣の刃部分で防御した。
「はは、やんじゃん」
地面に下りたアンダーは口角だけを僅かに持ち上げる。
「アン、やりづらいなら私がやろう。無理することはない」
「何言ってんだ」
「知り合いなのだろう?」
「や、べつに、ゆーほど知り合いってわけじゃねーよ」
オイラーも馬鹿ではない、いずれこういうことが起こる可能性は想定していた。
「まぁいい、ここは私が相手しよう」
彼は敵の前へ進み相棒である剣を構える。
「マジで言ってんのか?」
「人生とは常に助け合いだからな。君一人には背負わせない」
敵の男は警戒心を隠さないが怯えているわけではなく彼もまた手にしている剣を相応しい位置に移した。
「お前確か国王だな」
「それが何だというのか」
目の前の敵と睨み合うオイラー。
「お前らのせいだ!」
敵は叫ぶ。
「権力者が無能なせいで多くの民が不幸になっている! 真の意味で平和を損なっているのは俺たちじゃない。悪いのはより良い国を作らないお前らだ。だから俺たちがしていることは罪じゃない!」
攻撃的な言葉を投げつけられて、それでもオイラーは退かない。
「罪じゃない、か――私はそうは思わない」
オイラーは冷静だった。
「不満を述べるだけならともかく、君たち組織は非のない一般人にまで手を出し迷惑をかけた。それが罪でなくて何だと言うのか」
その口から出る言葉に激しい感情は含まれていない。
「ふ……ふざけるな!」
感情的になり襲いかかる敵をオイラーは軽くいなす。
「俺らはただ自分たちを護るために戦っているだけだ!」
「くだらない」
「民を想わぬ悪しき王はくたばれ!」
交差する剣。
耳の奥が擦り切れるような甲高い音が鳴る。
多少押し込まれるオイラーだが冷静さは保ち続けていた。
「お前を殺せば全部終わりだ!」
敵はオイラーに明確な殺意を向けている。
「大人しく消え去れ!」
叫んだ敵は留めの一撃を加えるべく剣を振りかぶる――が、その動作によって生まれた隙を逃さず、オイラーは容赦なく目の前の敵を斬った。
「ぁ……」
斬撃を受けた敵の男は斬られた際の勢いで後ろ向きに少し飛び、そのまま倒れ込んだ。
「強くなってんなぁ」
「いやいや、そんな、アンに褒めてもらえるほどでは……」
意外な形で戦いを評価されたオイラーは照れたように頬の筋肉を動かしていたが。
「だが、そう言ってもらえるのはとても嬉しいことだ」
十秒ほど経ってから、ようやく笑みにたどり着いた。
恥じらいの混じったどこか甘酸っぱさを感じさせるような笑みである。
「私は強くなりたい」
オイラーはシンプルな想いを口にする。
「もう二度とあんな思いはしたくない。だから強くなると決めたんだ。……亡き母上はもう取り戻せないが今生きている者を護ることならできる、と、そう信じている」
数えきれないくらい繰り返した後悔の先に今の自分がいて、だからこそ、もう同じような目に遭うのは嫌だしそのような悲劇は起こすまいと――オイラーは自分自身に強く誓っているのだ。
「次は必ず守り抜く、この手で」
迷いのない真っ直ぐな目をして述べるオイラーの背中を、アンダーは黙ったまま見つめていた。




