88.勇ましい女
ジルゼッタの兄はあの後亡くなった。
彼女はまた一つ近しい存在を失うこととなったのだ。
兄の同僚たちや訓練してもらっている新人兵士たちはジルゼッタの精神状態を心配していた、が、ジルゼッタは常に落ち着きを保っていた。
彼女の心は強かった。
それゆえ多少の別れで折れるようなものではなかったのだ。
だがそういった出来事によって彼女が武装組織への怨みを募らせていったことは事実である。
◆
「よ」
相棒とも言える長年使い慣れた武器を手にしながら基地内の通路を歩いていたジルゼッタの前に唐突に現れるアンダー。
「こんなところで何をしている?」
ジルゼッタは重みのある声で尋ねる。
「元気にしてっかちょっと気になってさ」
「陛下をお守りするのが貴方の役目だろう。こんなところで遊んでいないで早く持ち場へ戻るべきだ」
彼女はいつも以上に真剣な面持ちでそんなことを述べる。
「はは、そーだな」
アンダーは棒読みで返事をした。
彼がジルゼッタの前に現れたのには理由がある。
オイラーからそうするよう言われたからだ。
ジルゼッタの様子を気にしているオイラーから様子を見てきてほしいと頼まれて、それで、アンダーは彼女の前に現れたのである。
「オイラーがアンタのこと気にしててさ」
「私のことを? また、どうして」
ほぼ形だけとはいえ一応正式に夫人である女性に「気にしている」と言っただけで「どうして」と言わせるほどにオイラーは女性に対してそっけないのか、なんて思って、アンダーは内心笑ってしまう。
オイラーが女性を苦手としていることは以前から知っていた。
だが、まさかここまでとは、といった思いはあるのだ。
「あいつ身内失う痛みに敏感だから」
アンダーが言えば。
「なるほど……!」
ジルゼッタは納得したように睫毛を持ち上げる。
「確かに、陛下も過去に身内を失っていらっしゃる。それで、ということか」
「多分な」
「そういうことなら納得した」
ほんの少し柔らかくなるジルゼッタの面。
「だが心配は不要だ。私は元気だ。アンダー、貴方は早く陛下のもとへ戻るといい」
彼女はこんな時でさえ力強い表情を崩さない。
「それぞれができることをする、それが最善だ」
しなやかな強さを彼女は持っている。
その心は苦境にあろうとも易々と折れたり砕けたりはしない。
◆
ジルゼッタの様子を確認しに行ったアンダーはオイラーのもとへ戻る。
現在の状況においてはオイラーを一人で放置しておくことにはリスクを伴う。それゆえアンダーもさすがに好き放題ぶらぶらはできないのだ。王城にいた時とは話が違うから。なのでアンダーは最短でオイラーのもとへ戻る。
「もう戻ってきたのか、アン」
想像以上に早い帰還に少しばかり驚いたような顔をするオイラー。
「話終わったし」
アンダーはさらりと返す。
「ジルゼッタさんはどうだった?」
「ふつーにしてた」
「落ち込んでいなかったか?」
「見た感じだいじょーぶそうではあったけどな」
オイラーは剣の手入れを慎重に行いながら言葉を発する。
「そうか、なら良かった。だが……心の痛みというのは後から出てくることもあるものだ、しばらくは要観察だろうな」
銀色に光る剣の刃を見つめるオイラーの双眸は、まるで、自身の過去に想いを馳せているかのような色をしていた。
◆
――嵐はいつも突然に。
鐘の音で伝えられるそれ。
人の足より圧倒的に速い伝達手段で危機の幕開けは告げられる。
……そう、敵襲だ。
ジルゼッタはその鐘の音を耳にした瞬間即座に武器を手にした。
兄亡き今、より強く思う。
もうあの時のように情けない姿でいてはならない、と。
自身で築く強さも大事だがいざという時に敵を倒すことができる強さこそが最上だ。そのためには常に対応できる力を身につけなくてはならない。どのような状況にあろうとも戦え、また、確実に敵を仕留められる。それこそが本当の意味での強さなのだと今は冷静に理解しているのだ。
そんな彼女のもとへ走ってきたのは。
「ジルゼッタさん!」
一人の青年だった。
「君は……」
若い青年は見たことのある顔。
「ご無事ですか!?」
「もちろん、戦う準備もできている。敵が来れば討つのみ」
その青年はジルゼッタがいつも指導係を務めている訓練に参加している人物だったのだ。
「こんなところへ何をしに来た?」
「あ……す、すみません、心配で」
「こういう時ほど勝手な行動は控えないと。危険だろう。一人でいるところに敵が現れたらどうする」
ジルゼッタが忠告した、直後――青年の背後から駆けてくる影が一つ見えて彼女はすぐに前へ出る。
「来る!」
彼女は勇ましく発した。
青年はまさかの敵の登場に動けない。
「あ、あの、ど、どうし……」
「そのままそこにいればいい」
おろおろなる青年に淡々と言葉を渡し、ジルゼッタは迫る敵を睨み待ち構える。
覆面で顔を隠した敵の男は投擲用ナイフを数本同時に投げた。ジルゼッタはそれらを手にしている武器の柄部分で払い落とす。冷静さを保っている彼女はそこから勢いよく長い柄の武器を振る。速度を加減することなく走ってきていた敵の男は止まりきれず、勢いに乗るようにして攻撃範囲内へ突っ込んでしまう。そうして男はジルゼッタが振るう刃の餌食となった。
「じ、じじ、じ……ジルゼッタさん、これは……」
「もう終わった」
「速い、美味い、凄い……」
「落ち着け。美味いは関係ないだろう、おかしなものを交ぜるな」
敵は倒されたがそれでもまだ心臓が弾んでいる青年は不自然な単語を挟んでしまうといううっかりをやらかしてしまっていた。




