87.訓練中に
前線へ出て敵と対峙する覚悟で軍へ合流したジルゼッタだったが、あれからも新人兵士の訓練を担当し続けている。
「ジルゼッタさん! 今日もかっこいいっすね!」
「ありがとう」
「無類の強さで鍛えてくださいっす!」
「共により高みを目指そう」
本当なら父に危害を加えた者たちにその手で罰を下したいだろう。
だが彼女はそれを選べず。
訓練担当になったがゆえに敵を討つことは叶わない日々だ。
ただそれでもジルゼッタは文句の一つも言わなかった。
彼女は自分が今すべきことを理解している。地味なことであってもそこには確かに意義があることを分かっているのだ。だからこそ与えられた任務に一生懸命取り組むのである。たとえそれが望んだ内容の任務ではなかったとしても、だ。
「ジル、今日も調子良さそうだな」
「兄上」
「訓練は順調か?」
「はい」
そんな妹の活躍を見たくてやって来たのはジルゼッタの兄。
「今日は少し見させてもらおうと思ってな」
「兄上は任務はないのですか?」
「同期が行ってきていいと言ってくれているので来れたんだ」
「心なしか迷惑をかけているような気もしますが……」
「兄妹の時間を楽しんで来い、と、皆快く送り出してくれた」
優しい人たちなのだな、と思うジルゼッタ。
「あ、もちろん、上官にも許可は貰っている。だから問題はないんだ」
「なら安心しました」
ジルゼッタが若者を鍛える姿を眺めている時、兄はとても嬉しそうな楽しそうな顔をしている。活躍する妹の姿を目にすると元気が出るのだろう、妹とほぼ同じ色をしたその瞳には前向きな光が宿っていた。
刃と刃が触れ合う乾いた音が高い空に響く。
訓練とはいえふざけているわけではない。
場は真剣な空気に包まれている。
――そんな訓練の途中だった。
突如広場内に煙玉のようなものが投げ込まれる。
「うわっ」
「な、ななな、なに!?」
「ひいい」
「煙っ!? なにこれ煙っ!?」
辺りにたちこめる白っぽい煙。
視界が一気に悪くなる。
想定外の出来事に兵士たちは動揺を隠せない。
刹那。
「ジル!!」
叫んだのはジルゼッタの兄だった。
彼は悪い視界の中で庇うようにジルゼッタに飛びかかる――直後煙の中から魔法が放たれて、その不気味な色をした光線は兄の背中に命中した。
「兄上……?」
倒れ込んできた兄に押し潰されるような形で地面に仰向けに倒れることとなるジルゼッタ。
「敵襲、だ……」
「そこを退いてください、敵なら倒します」
「ジルを……狙って、いる」
兄は背中を魔法で貫かれている。そこそこ重傷と思われるような状態だ。だがそれでも懸命に意識を保ちジルゼッタに状況を伝えようとしている。
「今は……動いちゃ、駄目、だ……」
ジルゼッタは「ですが、敵を放っておくと兵士が危害を加えられる可能性もあります」と落ち着いた声で述べるが、兄は彼女を地面に押し付けたままで彼女が自由に動くことを許さない。
――そうしてやがて煙が晴れると。
敵の姿はなくなっていた。
残されていたのはジルゼッタらエイヴェルン軍側の人間だけである。
「兄上!」
視界が開けた時、ジルゼッタの目に映ったのは背から赤いものを流している兄の姿で。
「しっかりしてください!」
「……ジル」
「救護を呼びますから、もう少し、そのまま耐えていてください」
ジルゼッタは兄を地面に横たえると兵士に協力を求めつつ救護を呼ぶ。
だが救護の者が到着した時には兄は既に意識を喪失していた。
救護の者が持ってきた担架に乗せられて運ばれてゆく兄の姿を、ジルゼッタはじっと見つめていた。
兄は本当ならこの場にはいなかったのだ。
様子を見に来さえしなければ。
何とも言えない気分……。
それがジルゼッタの心境であった。
◆
「――てなことで、あの女の兄、搬送されたんだってよ」
訓練中に敵に襲われジルゼッタの兄が負傷し搬送されたという話は当然オイラーのもとへも届いた。
相変わらずあまり接触のない二人だがそれでも一応夫婦である。そういう意味では妻の身に生命の危機が迫った件について夫が知ることとなるというのは至って普通のことなのだ。
「そんなことになっていたとは……」
アンダーから聞かされたオイラーは驚きの色を隠さない。
「訓練中を狙うとは卑怯の極みだな」
「よくあることだろーけどな」
「戦闘態勢を取っていない者に刃を向けるのは卑怯すぎる!」
「気ぃ抜いてるとこ狙うってのはよくあるパターンだろ。その方があっさり仕留められんだからよ」
オイラーは「だとしても卑怯すぎるだろう!」などと言って憤慨している。
「常に襲われても対応できるよーにしとかねーとダメなんだって」
「……それはそうだな、正論だ」
だが、と、オイラーは続ける。
「ジルゼッタさんの心情を想像すると何とも言えないな」
父を意識不明に追い込まれたうえ、兄までも死に至りかねない状態にされてしまったら――自分に当てはめて考えてみた時、オイラーは、言葉にならないような胸の痛みを覚えた。
血を分けた者の命が失われる痛みは嫌というほど知っている。
だからこそ、現在のジルゼッタの胸の内を想像する時、茨の鞭で身を打たれるような苦痛を疑似体験してしまうかのようなのだ。
「……可哀想だ」
オイラーは低くこぼして目を閉じる。




