83.ありがとう
「今夜のうちに出発する」
オイラーはサルキアにそう告げた。
その日はあっという間にやって来た――彼らが王城を出ていく日。
「陛下、本当に行かれるのですね」
「いつも身勝手ですまない。君にはまた色々迷惑をかけてしまうな」
別れは辛い。
それは変わることのない事実だ。
今は別れの痛みを胸に抱えているサルキアではあるが、それでも彼女は気丈に振る舞おうとする。
「いえ。国のためですから」
サルキアは尊敬する兄を真っ直ぐに見据える。
「どうか、ご無事で」
大幅な表情の揺れこそないサルキアだが、その両目には凛とした強さが宿っている。
「ま、オイラーは任せな」
「アンダー……ありがとうございます」
ぶっきらぼうな言い方をするアンダーと握手を交わすサルキア。
「兄を、お願いします」
涙が込み上げそうになってしまう。
でもここで泣き顔を見せるのは嫌だからと懸命に堪えた。
「貴方も無事帰ってきてくださいね」
「おう」
「あと、平和になったら、よければ『光る噴水祭り』にも行きましょう」
「まだ言ってんのかそれ!?」
最後にくだらないことで笑えて良かった、と、サルキアはホッとする。
出会った時のように彼が自分の中で無礼な男のままであったなら、きっと、こんな思いをすることもなかったのだろう――そんなことを考えて――それでもこうして確かに誰かを愛したことを否定したくはないのだと、サルキアは改めて強く思った。
大切なものが増えるたび痛みも苦しみも増えるものだ。
でもだからといって永遠に何も大切に想わない人生というのもきっと味気ないものなのだろう。
◆
「ジルさまぁぁぁ~! もう行ってしまわれるのですわねぇ~! ううう……ティラナ泣きそう……ああああ~っ、寂しいですわぁ~!」
同時刻、ジルゼッタとティラナも別れの挨拶を交わしているところだった。
二人の別れの挨拶は形式的なものではない。
日頃の延長のようなありふれたものだ。
だが王城に残されるティラナは明るくも離れることを悲しんでいる。
「ティラナもジルさまと行きたいですわぁ~!」
「危険だから」
「で、で、でもぉぉぉぉぉ~っ」
「何度も言ってるけど、ティラナを危険に晒すようなことをするわけにはいかないんだ」
ジルゼッタは軍へ合流。
ティラナは王城で待機。
道はそれぞれ、である。
「怪我しないよう気をつけて行ってきてくださいよぉ~っ」
「もちろん。気をつける、ありがとう」
◆
――行ってしまった。
オイラーらを見送ったサルキアは自室へ入ろうとして手前で座り込んでしまう。
室内に入るまでは平静を装っておこうと思っていたのに。
足に力が入らなくなってしまって。
「サルキア様?」
「あ……」
通りかかったランが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
ランは力なく座ってしまったサルキアの近くにしゃがむと心配そうに顔を覗き込む。
「……すみません、運んでいただいてしまって」
サルキアは何とか自室のベッドに横になることができた。
ベッドの脇にはランが立っている。
だがサルキアを運んだのは厳密にはランに頼まれたリッタだ。
「ダイジョウブ?」
リッタはランの隣にいて、ランと同じようにサルキアを見下ろしている。
「はい」
急激に脱力した。
常にくらくらする。
何か考えようとしても上手く考えられない。
ただただ悲しくて、でも、何がどう悲しいのかさえよく分からない。
「ランさんはここに残られたのですね」
「はい。わたくしは……戦闘はできませんので、今のところはこちらに。もし必要であれば後方支援として参りますが……そうならないことを、願います」
ランはそっと口を動かした。
「良かった、一人でも残ってくださる方がいて」
「サルキア様……きっと今とてもお辛いですよね……」
何とも言えない空気に満たされる室内。
「……サルキア様をお一人にはしません」
そんな中でもランは言葉を紡ぐ。
「サルキア様の苦しみのすべてを理解することはできないかもしれませんが……共に在ることはできます、ですから……サルキア様は一人で頑張り続ける必要はないのです、どうか頼ってください」
鼻の奥が熱くなるのを感じたサルキアは言葉を詰まらせる。
自分の選択だ。
後悔はしない。
今はただ、落ち着いて彼らを見送った自分を褒めてあげたい。
「ありがとうございますランさん。今は貴女が近くにいてくださることが心の支えで、また、とても大きな希望です」
こうして寄り添ってくれる人がいることは幸せなこと。だから良いところに目を向けていよう。こんなにも近くに味方になってくれている人がいるのだから、その存在に感謝して、今日を生きなくては。
それに、アンダーとだって永遠の別れになるわけじゃない。
いつかはまた会える。
どんな夜も明けるように。
この悲しみにもいずれ夜明けは訪れる。
――でも、やっぱり、寂しいよ。




