82.国王としての誓い
オイラーは国民向けに正式に発表した。
エイヴェルン軍へ戻る、と。
前線で戦う。
平穏を取り戻すために。
街や民に危害を加える者たちを一掃する――。
それが彼の国王としての誓いであった。
◆
その日からはもう色々バタバタで、負の感情のうねりに呑み込まれる暇もないまま増水した川の流れのように時が過ぎてゆく状態だった。
唯一救いだったのは国民がオイラーの選択を好意的に受け止めていたこと。
彼が軍へ戻ることへの批判はほぼなかった。
そんな忙しい日々の中で、サルキアは久々に実母エリカと対面することとなる。
「久しいな」
「お久しぶりです」
エリカと顔を合わせる時、サルキアはどうしても緊張してしまう。
本当なら最も理解し合っているはずの母娘という関係性なのに。
二人の間にはそういった信頼感や安心感は存在しない。
「話は聞いておる。何かと慌ただしいことになっておるようだな。特に武装組織の暴走はとてつもないとか」
「……はい、街にも被害が出ています」
「わらわが関係しておった頃はそこまででもなかったのだが、トップが変わりでもしたのか? 聞くに、活動方針が変化しておるように感じるのだが」
王家の関係者が武装組織と関わっていたなんて滅茶苦茶な話だ――サルキアは改めて思う。そんなことがあっても良いのか、と。だがもしかしたらその繋がりが組織の暴走を食い止めていた側面もあったのかもしれないと思うこともあるのだ。そのような黒い繋がりがあって良いのか、という点は脇に置いておくとして。
「……お母様は、今もまだ陛下を地獄へ堕とすおつもりですか」
サルキアは静かに尋ねた。
そして続ける。
「お母様は理不尽な目に遭わされてきたかもしれません。しかし貴女をそのような目に遭わせたのは陛下ではありません」
できるなら、実母とは戦いたくない。
「陛下はエイヴェルンを護るために努力なさっています」
甘い考えと馬鹿にされるかもしれないが。
敵が多くなった今、敵は一人でも少ない方が良いというのは紛れもない事実で率直な思いだ。
「あの方は心からこの国を愛しています。戦いに出ると仰っているほどです。ですからどうか、もう、これ以上は何も手を出さないようにしていただきたいのです」
そこまで一気に言い切ってからサルキアは怖くなった。
どんな顔をされているだろう。
どんな怒りをぶつけられるだろう。
だがそれでも黙っていたくはなかったし思っていることを隠し続けるのも嫌だった。
「……わらわはもう、どうでも良くなったのだ」
母を恐れつつも言いたいことを最後まで言ってのけたサルキアの耳に飛び込んできたのは意外な言葉で。
「疲れ果てた」
目を伏せ気味にしつつ、溜め息をつくように吐き出す。
「復讐心のみで生きてきたが気力がなくなった。正直なところを言えば、もうどうでもいい、その一言に尽きるのだ」
演技? 嘘? よく分からないけれど、エリカの表情を正面から見つめていたら偽りの言葉を吐いているようには思えなかった。
「ゆえに、わらわはもう何もせぬ」
エリカははっきりとそう言ってのけた。
「本当に……言っているのですか?」
サルキアはすぐには理解できず戸惑ったような顔をしてしまう。
「疑っておるようだな」
「すみません。けれどすぐには信じられません。ただ、もし本当にそうしてくださるのであれば、とてもありがたいのですが」
彼女の発言を素直に信じて良いものかサルキアには分からなかった。
と、その時。
「オイラーが戦場へ行くということはあの鼠ももちろんついてゆくのであろう――それは良いのか?」
エリカは新たな話題を切り出す。
「お主、あの鼠を愛しておるのだろう?」
まさかの言葉に愕然とするサルキア。
「鼠が絡むとお主の振る舞いは日頃と明らかに変わるのでな、とうに気づいておったわ」
サルキアの表情を見てより一層それが事実であると理解したらしく、エリカはその唇に薄い笑みを浮かべた。
「母親というのは娘の恋心を容易く察知するものだ」
女性にしては低いその声は彼女の人生を表現しているかのよう。
「高貴な我が娘の初恋の相手があのようなやつになろうとは」
「そんな風に言わないでください、アンダーは……彼は、とても良い人です」
「嘘つけ、人殺しぞ」
「そういう仕事ですから仕方のないことです」
「なんてな。冗談よ。この世の中では誰もが似たようなものであろう、完全に清らかな存在の方が珍しい」
エリカは少し間を空けて再び言葉を紡ぎ始める。
「……後悔することがないようにせよ」
サルキアは何も言わないまま目の前に佇む母を見つめている。
「行かないでほしいのならそう言うがよい。何事も言わなくては伝わらぬものだ。もっとも、言っても伝わらないこともあるだろうが、それでも言わぬままよりかはましであろう」
結局愛を掴めなかった貴女がそれを言うの? なんて思いそうになるけれど、その発言はそれほど間違ったものではないと思うサルキア。
「関わるなとは仰らないのですね」
意外だ、という顔をしながら発する。
「お母様のことですから、あんな男を気にかけるな縁を切れ、とでも仰るかと思っていました」
そんな風に言われるものと思っていた。
アンダーのことをあんなにも嫌っていたエリカが自分のこの気持ちを受け入れることは決してないだろう、と。
だがエリカは予想より柔らかい態度を取っている。
さすがにアンダーを見直したわけではないのだろうが。
それでもサルキアが抱く感情を一方的に否定はしていない。
「そう言ったところでその想いは止まらぬだろう?」
「それは、そうかもしれませんが」
「振り返ればわらわにもそういった時代があった。恐らくそれは誰もが通る道なのであろうな」
彼女なりに心配してくれているのかな? なんて思ったサルキアは。
「ありがとうございます」
落ち着いて、礼を述べる。
「後悔のないように生きてゆくつもりです」
だがアンダーを引き留めることはできない。無理だ。それは彼が最も望まないことだと分かっているから。
それに。
望まないことを強要されて大人しく従うような男ではないだろう、彼は。




