76.いつも唐突に
ジルゼッタの父親にして事実上エイヴェルン軍の最高権力者と言っても過言ではない位置に佇んでいるヴィーゲン将軍は、国内における治安の悪化に危機意識を抱えている。
治安は一度悪化すればなかなか改善しないものだ。
だからこそ早く対処せねばならないと考えている。
これまでは貧しい地区はともかく一般国民が暮らす地域は比較的平和であった。
だが状況は日々移り変わっている。
そして近頃の変化は六十年近く生きてきた男でさえ問題視する類の変化である。
「どうした、ものか……」
日に日に力をつける武装組織と対峙してきたエイヴェルン軍はじわじわと戦力を削がれている。
規模的にすぐに壊滅することはない。
だが万が一直接剣を交えることとなったなら、その時には、圧倒的勝利を収められるかどうかは怪しいところだ。
……あくまでヴィーゲン将軍の脳内における計算によると、だが。
敵が力をつけているなら自分たちも戦力を増強したい――いたって普通の思考だが、言うだけなら簡単なことほど案外難しいものだ。
考えることが多すぎて、ヴィーゲン将軍はつい溜め息をついてしまう。
先日はナンバーツーにアンダーを勧誘に行かせたが失敗に終わった。
だがそれは想定内であった。
そしてこの先また同じようなことを繰り返しても恐らく返事は同じだろう。
オイラーが軍に戻るとなればアンダーはそれに同行するだろうが……。
しかしオイラーは既に国王となっている。
一国の頂に立つ者を連れ戻すというのは至難の業。
「……待てよ?」
何か思い出したヴィーゲン将軍は急いでテーブルの傍のファイルへ手を伸ばす。中に入っている文字で埋め尽くされた紙を探り始める。そうしてようやくたどり着き太い指で取り出したそれは、これまでに国民から届いた意見書の内容を部下がまとめたものだ。
「これだ!」
指先がなぞる文章は。
『偉大な陛下に、国を乱す犯罪者たちを叩きのめしてほしいです』
この国に生きる誰かが書いたものだ。
ヴィーゲン将軍はさらにページをめくる。
頭痛がするような厳しい意見も多いがそれすらも今は彼の脳内に芽生えたばかりのアイデアをサポートする。
『軍が無能すぎて昨日家が被害を受けました、本当にどうにかしてほしい』
民の意見は特に役立たないものであることもあるが。
『武装組織にろくに対抗できない軍部は要りません。もういっそ、陛下が軍の長となられる方がまだましだと思います。陛下には反逆者を屈服させたという実績もありますよね? 軍所属であった時期もあられるわけですし、天才的指揮官ではないにしても今のままよりかは状況が改善する気がします』
時には宝となるようなものも交ざっている。
『どうにかしろよこの状況! 税金使ってんだから仕事しろ!』
国民からの意見書。
内容はただのストレス発散でしかない場合も多々あるが。
『今のエイヴェルン軍は人材不足過ぎ。貧民あがりの群れな武装組織の方が優秀というどうしようもない状況。これでは国を護れない』
時に真っ当な意見も含まれているため、困った時に見ると意外と参考になることも――あったり、なかったり――と、それは半分冗談にしても。
実際ヴィーゲン将軍も「おおお! これは!」というような意見を発見したことがあった。
『兵士の方には感謝しています。いつもありがとうございます。ただ、上層部があまりにも能力不足ではないでしょうか。全員とは言いませんが能力無し家柄だけで出世したような人物もいるようですし。そういうのはどうかと思います』
そんな感じなのでヴィーゲン将軍は意見書を馬鹿にはしていない。
「上手くいくかは、分からないが……」
――試す価値はある。
ヴィーゲン将軍はやる気に満ちた顔をした。
◆
「ということで、陛下に軍へ戻ってほしいという意見が国民の間に広がりつつあるとのことです」
その日オイラーへの報告を行ったのはサルキアだった。
「そうか」
報告を受けるオイラーの背筋はぴんと伸びている。
元より背が高いこともありより一層すらりとした体型に見える。
「陛下は人気があられますね」
「いや、それは恐らく、常々国民向けに少々誇張された情報が流されているからだろう」
数秒の間だけ苦笑したオイラーはすぐに真面目な面持ちに戻る。
「だが、そういった意見が出てくるということは、民にも色々と迷惑がかかっているのだろう。……どうにかしなくては、な」
彼は落ち着いた声でそう言った。
◆
その日、王都近くの大会議場にて、軍のお偉いさんらが参加する会議が行われていた。
だがそこで事件が起こる。
会議の途中、会場内に仕掛けられていた爆発物が爆発したのである。
それによって多くの負傷者が発生。
やがて死傷者まで出る事態へと発展してしまった。
ジルゼッタの父親であるヴィーゲン将軍も爆発に巻き込まれ重傷で搬送された。
その情報はすぐに王城にも届いた。
兄は彼女のもとへ急いでやって来る。
「ジル、病院へ行こう」
「兄上……」
「緊急事態ゆえ外出は許されるはず。だから行こう」
「し、しかし」
「とにかく行こう! それ以外は後でいい!」
ジルゼッタは王城から出ることを躊躇っていたが。
「ここはティラナにお任せですわぁ~、ジルさまぁ。旦那さまの危機なんですもの、いってらっしゃいませ~」
ティラナが発した優しさある言葉に背中を押されたジルゼッタは、ようやく頷く。
「ありがとうティラナ」
彼女はそう礼を言うと。
「兄上、それでは私も共に参ります」
父のもとへ行こうと誘ってきている兄へ目をやって、一度頷いた。




